1969話 獅子を誘う道化が如く
早々に脱線の様相を呈したモルムスとテミスの会談は、テミス自身の思惑もあって大荒れに荒れ、最早燦々たる様相を見せていた。
怒りに任せて怒鳴り散らす事は無くとも、互いに相手の神経を逆撫でし、怒りを煽る言葉を吐き合う姿は、もはやただの口喧嘩のようで。
そこに込められた尋常ならざる殺気だけが、着実に部屋の中に充満していく。
「君のような者に礼節を弁えろと求める方が無体な話だが、分を弁える程度の知能は付けるべきだと思うがね。貴官を拾い上げたフリーディア様に恥をかかせぬ為にも……だ」
「戦場の礼節ならば弁えているつもりではありますがね? それに、戦功ならば十二分に挙げているはず。あなた方とは違って」
「ッ……!! その物言いが無礼であることは自覚しているのだろうね?」
「事前の報せも無しに押しかけた挙句、文句ばかり喚いている何処ぞの指揮官殿よりは礼を失していないと自覚しておりますとも。我々が必死で敵と戦火を交えている間も、安全な場所で安穏と過ごしていらっしゃった方はやはり言う事が違う」
「貴様ッ……!! 我々を愚弄するのもいい加減にして頂こうか!!!」
「…………。ハッ……。愚弄も何も。事実では?」
皮肉の域を大きく超えたテミスの挑発に、遂にモルムスが気炎を上げると、その怒りにさらに油を注ぐかの如く、テミスは嘲笑を浮かべて鼻を鳴らした。
こうして相対してみて初めて理解したが、このモルムスという男は鼻持ちならない男ではあるものの、意外と指揮官としての資質は本物らしい。
他者を明確に見下している気位の高さを持ちながら、テミスの挑発を前にここまで怒りに呑まれなかった冷静さは、驚くべき忍耐力だと言えるだろう。
とはいえ、相手が交渉に値しないテミスであるからという理由もあるのだろうが、一向に本題に入ることなく無駄話に明け暮れ、結果としてテミスの狙い通りに事が運んでいる事を加味すると、やはり気位が資質を無駄にしてしまっている感触は否めないが。
「我々が何も知らぬと思うなよ……? この恥知らずな裏切り者が……!!」
「随分なお言葉ですな。口が過ぎるのはどちらか、一度己が身を振り返られると良い。貴方こそ、下手な失言はフォローダ公爵家の名に泥を塗る事になる」
堪え切れぬ怒りに固く歯を食いしばったモルムスは、血走った目でテミスを睨み付けると、腹の底から絞り出すような声で吐き捨てるように口走った。
その口上に、僅かに眉を吊り上げたテミスだったが、すぐに偽悪的な笑みを満面に浮かべて、更にモルムスの怒りを加熱させるべく挑発を続ける。
だが。
「これほどまでに女性を殴り倒したいと思ったのは初めての事だ。スゥ……ハァァ……しかし茶番は結構」
「っ……!」
「貴官がその傷を負ったという先日の戦い。前線防衛の任に当たっていた我々は、敵の姿を一度も補足していないのだよ。そう……ただの一度もだ」
「だから謝罪をしに来られたとでも? 監視の任を怠った責を――」
「――あり得ない話なのだッ!! 私の敷いた防衛網は完璧だった!! 隠密性に特化した小型船の一隻や二隻ならば兎も角、この島を急襲した艦隊など補足できないはずが無い!!」
「そう声を荒げなくとも聞こえます。ですが事実、その完璧な防衛網とやらは抜かれているのです。早急に改善策を練る必要があるのでは?」
「……不思議なものだ」
「は……?」
「実際に相対したら縊り殺してやろうと思うほどの怒りがあったはずなのだがな……。どうやら私は自分が思う以上に理性的らしい」
怒りに吠えたモルムスはテミスの言葉を遮って叫ぶと、頬を怒りに紅潮させながら怒鳴り散らした。
思惑通りに時間を稼ぐ事ができているテミスは、飄々とした態度のまま溢れ始めた怒りを適度にコントロールすべく言葉を放つが、モルムスは唐突に喉を鳴らしてくぐもった笑いをあげ始める。
「わからんかね? あれほどの艦隊が、その存在すら露見する事無くこの島へ到達するのは、こちらの配置を知らぬ限り不可能なのだよ。事実。フリーディア様たちが敵艦隊を発見した時間から逆算し、敵がこちらの配置を知っている事を前提に考えると、酷く奇妙ではあるが抜けることの出来る航路は存在した」
「苦しい言い訳にしか聞こえませんな。自身の敷いた防衛陣が完璧であった前提など、聞くに堪えない恥ずかしさすら込み上げてきますが……」
「一直線にこのパラディウム砦を目指す訳でもなく、不可解な取り舵六回に、無意味にも思える面舵が十二回。茶番は結構だと言ったはずだ」
低い声でつらつらと論じながら、モルムスは手書きの海図を懐から取り出すと、バシリと叩き付けるようにテミスの眼前に広げて見せる。
そこには、ミミズがのたくったかのようにグニャグニャと折れ曲がった一本の線が描かれており、海図の端からパラディウムと書かれた島を模した円まで続いていた。
「白翼騎士団はロンヴァルディアの誇る最強の精鋭部隊。ユナリアス様率いる蒼鱗騎士団も、由緒正しき家柄の者達が集う信の置ける騎士団だ。つまり、最も信の置けない異物は、客将である貴官なのだよ……!!」
「…………」
「随分と手の込んだ真似をするじゃあないか。ヴェネルティの連中らしい小賢しく狡い手だ。それとも、ただの手柄欲しさに逸ったか?」
「フッ……クク……アハハハハハハハッ……!!!」
罪人を問い詰める審問官のように、モルムスは手書きの海図をテミスに突き付けたまま、力の籠った声でテミスを糾弾した。
語られた理論はモルムス自身の願望すら込められた決めつけばかりで、前提も仮定も破綻だらけの推論でしかない。
だがしかし、皮肉にも導き出した結論だけは正鵠を射ていた。
そんなモルムスを前に、テミスは僅かに黙り込んだ後、堪えかねたかのように身体を反らして弾けるように笑い転げたのだった。




