1968話 怒りを求めて
コツリ、コツリ、と。
明るく照らし出された無機質な通路の中に、杖の音が怪しく響く。
フリーディア達を探していた騎士たちに誘われるままに、テミスは既に用意されていた小舟に乗ると、軍港の前に停泊しているフォローダ防衛隊の旗艦へと向かった。
同行していた騎士たちは船に上がる事を許されず、そこからは案内を引き継いだ先方の兵士達によって誘われているのだが。
配備された船は同型艦であるにも関わらず、テミス達の運用する船とはまるで別物であるかのような雰囲気を醸し出していて。
しかし、前後を案内役を称する防衛隊の兵士に挟まれながらも、テミスは己のペースを崩す事無く歩みを続け、大きな観音開きの扉の前へと通された。
「……こちらへ」
「フム?」
扉の左右でピタリと足を止めた防衛隊の兵士は、言葉少なに観音開きの扉を示してテミスへ告げると、言葉とは裏腹に薄い嘲笑を浮かべてテミスの動向を窺っていた。
見るからに重厚な扉は、杖をつかなければ歩行できない程の傷を負った者が開ける事が困難なのは一目瞭然で。
察するに、長く待ちぼうけを食わされた意趣返しなのだろうが、それが彼等の嫌味である事を理解しながらも、テミスはニヤリと浮かべた笑みを浮かべてゆっくりと口を開く。
「……すまないが、扉を開けてくれるかな? 見ての通りの手負いなんでね。重たい扉を開くのは億劫なんだ」
「おぉ……! これは気が付かず、失礼をいたしました。随分とお待ち申し上げておりましたもので、気が散漫になっておりまして」
「構わんよ。それなりに白翼騎士団には世話になっているが、紛いなりにも客人に、手ずから扉を開けさせるのがロンヴァルディアの流儀だとは知らなくてな」
「ッ……!! 手負いの騎士風情が減らず口を……」
肩を竦めてみせながら指摘して尚、一向に動こうとしない兵士にテミスは皮肉を叩き付けると、ゆらりと鎌首をもたげる蛇の如く、掌を扉へと向ける。
少しでも時間を稼ぎたいテミスにとって、この手のいざこざはむしろ歓迎すべきもので。
テミスはこのまま口論なり、小競り合いにでも発展すれば儲けものだとすら考えていたものの、案内役の兵士も多少の理性と規律は持ち合わせがあったらしい。
ロンヴァルディアの名を冠しての挑発に乗る事は無く、至上よりも国としての尊厳を優先させると、悪態を呟きながらテミスの掌が扉へと届くよりも早く腕を伸ばして道を作った。
「……随分と待たせた挙句、何故君がここに居る? 私は、パラディウム砦に先行した部隊の責任者を呼んだはずなのだが?」
開かれた扉の先は、船内にしては豪奢な造りの応接室になっていて。
扉が開くなり、待ち構えていたモルムス司令はテミスの姿を見止めると、立ち上がる事すらせず顔を顰めて低い声で問いを発する。
「フリーディア様とユナリアス殿でしたら、任務中につき席を外しております。とだけお伝え致しましょう」
「だとしてもだ。客将扱いの君が出過ぎた真似だとは思わないのか?」
「僭越ながら申し上げますと、私に次席指揮権をお預けになったのはフリーディア様がたの判断です。故に、私が参上する事に異を唱えられるのであれば、後程直接仰っていただくのがよろしいかと」
「馬鹿な……! チッ……!!! ならばお望み通り、フリーディア様方には、貴官のその態度も含めて忠告させていただくとする」
「クス……御随意に」
扉を開け放ったまま睨み合ったテミスとモルムスは、早速とばかりに火花を散らさんばかりの舌戦をはじめた。
しかし、全てが真実でないとはいえ、テミスが事実上フリーディア達と同等の指揮権を有している事に変わりはなく、挨拶代わりに交わされた話題の軍配はテミスに上がった。
「……ひとまず、立ったままでは話もできまい。かけたまえ」
「では、お言葉に甘えまして」
「しかしだな。貴官が次席であるならば猶更、やはり資質を欠いていると断ずる事しかできんな。我々がどれ程時間を無駄にしたか……。代行ならば代行なりに、疾く参ずるべきが貴官の役目だと思うがね」
テミスの背後で開かれた扉が閉ざされると、モルムスは嫌気を隠す事すらせずに椅子を勧め、懐から取り出した葉巻にカチリと火を点ける。
その言葉に従って、テミスがモルムスの正面に設えられたソファーのような格好の椅子へと移動する最中、モルムスは煙を吐き出しながら再戦とばかりに苦言を呈した。
だが、杖をついて歩くテミスがその尤もともいうべき苦言に言葉を返す事は無く、ゆっくりとした動きで示された椅子へと腰かけてみせると、真正面に座すモルムスを見据えて口を開いた。
「次席を預かっているとはいえ、私もこの通り療養中でしてね。これでも、無理を押して参じているのだとご理解いただきたく」
「その努力が足りないのでは……と私は言っているのだ。やはり、正当な教育を受けた者でなければ、指揮官としての職責は理解できんか……」
「部隊の者たちの命を預かるのです。その重さは重々に承知しているつもりですよ。とはいえ、このような些事が、限度を超えた努力した結果、死体と化す愚を犯すほど重要ではないと判断したまで」
「っ……!! そこを融通する事も大切な資質だと私は考えるがな。友軍の時間を無為に浪費する事は、国として大きな損失となる。要は大局を見る目という訳だ」
「……確かに、これだけ雁首揃えていらっしゃっているのです。兵站にどれだけ負荷がかかっているかと考えると、頭の痛い話ですな」
これが本題に入る前の前哨戦であることは理解したうえで、テミスは敢えてモルムスの挑発に乗ると、皮肉と挑発を叩き付けてせせら笑ってみせる。
そんなテミスの思惑に気付く事なく、モルムスはビキリと額に青筋を立てると、皮肉の応酬を始めたのだった。




