1965話 宴の朝
それぞれの一夜が明けた朝。
宴会の勢いのままロロニア達の船に泊まったテミス達は、重たい瞼を無理矢理にこじ開けて、帰り支度を始めるべく藻掻いていた。
尤も、体内で荒れ狂うアルコールの残滓に懸命に抗っているのは、フリーディアとユナリアスの二人だけで。
そもそも酒に酔うことの出来ないテミスは、己の睡眠欲への忠誠と、まず間違いなくしばらくは使い物にならないであろうフリーディア達の、代わりを務めなければという責任感が熾烈な戦いを繰り広げた結果、八割がた眠気に呑まれつつあるものの微かな抵抗を見せている。
だがその傍らでは、大きな酒瓶を抱きかかえたユウキが、スヤスヤと極楽の如き表情を浮かべて爆睡しているのだが。
「うぷ……っ……。酷い……気分だわ……。貴女は……大丈夫? ユナリアス」
「駄目だね。起床せねばとわかってはいるのだけれど、身体が動かない」
「み……水が……欲しいわ……。喉が灼けてるみたい……」
「ねぇ、フリーディア……。この胸の奥からせり上がってくる苦しみを解き放ったら、少しは楽になれるだろうか……?」
「尊厳を棄てては駄目よユナリアス。どうか堪えて」
「…………」
恐らくは、耐え難い苦痛の中に居るのであろう二人の会話を聞きながら、テミスは言葉を発する事無く静かに寝返りを打つ。
体調の面だけで見れば、この場で最も介抱役に適しているのはテミスなのだろう。
しかし、それは気力が許せばというだけの話で。
酒に酔いこそはしないものの、テミスとて朝方まで酒を飲み、飯を喰らって騒ぎ続けていたのだ。
今は僅かに意識が現実へと浮上しているとはいえ、耐え難い眠気に理性が敗北しかかっている現実に変わりはなく、テミスは迷うことなくフリーディア達の苦しむ声を黙殺し、二度寝を決め込む態勢に入っていた。
だが……。
「おいおいなんだ揃いも揃ってだらしがねぇ! マトモに目ぇ覚ましてんのはお嬢たちだけかよ。陽はとっくに昇ってるぜ! 起きやがれ!!」
ドカドカと威勢のいい足音を響かせながら、部屋へと押し入ってきたロロニアが景気のいい声をあげ、雑魚寝を決め込んでいた面々を叩き起こす。
けれど、良く響くその声は、眠っていた他の湖族たちには効果てきめんだったようだが、ギリギリの所で堪えていたフリーディアとユナリアスには逆効果だったらしく、元々青白かった顔色を更に蒼白へと変えて、揃って唇を固く噤んだ。
「チィ……こいつ等はピクリとも動きやがらねぇ……。良い度胸してやがるぜホント……って」
「っ……」
「ッ……!」
一喝が響いて尚動かないテミスとユウキに、ロロニアが呆れ切った視線を向けた時。
その視界の隅で、ひと目見ただけでありありと不調が見て取れるフリーディアとユナリアスの身体が、ゆっくりと前傾していく姿が留まった。
「っ~~~!!!! 待て待て待てッ!!! 堪えろ!! ぶちまけるなよ? 俺の言う事がわかるな? ゆっくりと息を吸え」
「っ……!」
「ッ!! ッ……!!!」
瞬時に二人が如何なる窮地にあるかを察したロロニアは、脱兎の如き勢いで傍らに駆け寄ると、焦りを帯びた声で呼びかける。
同時に、素早く部屋の中へと走らされた視線がバケツを探し求めるが、不運にも目に留まるところに目的の物は無く、かわりに眼前のフリーディア達は、目に一杯の涙を溜めて何かを訴えるかのように、ぶんぶんと首を左右に振っていた。
「クッ……!!!」
もはや万事休す。
与えられた猶予が幾ばくも無いことを直感したロロニアは、ぎしりと歯を食いしばって必死で思考を巡らせる。
ここから甲板まで大した距離は無い。
だが、この状態の二人を抱えて走るには少々厳しく、かといってどう見ても往復している余裕はなさそうだ。
突き付けられたのは選ぶ事などできる筈もない二択。
フリーディアとユナリアスのどちらを選んだとて、今後のロロニアに幸福が訪れる要素など微塵たりとも無く、国に追われる身となるか、故郷から追われる身となるか。
ここでどちらかを選択してしまえば、どう足掻いても災難しか降りかかる事は無いだろう。
「畜生ッ!!! 湖族舐めんなよ!! アンタ等は死ぬ気で食いしばれ!! 今、甲板まで連れて行ってやるからよ!!」
退路などもはや存在しないことを悟ったロロニアは、半ばやけくそ気味に叫びをあげると、鬼気迫る形相でフリーディアとユナリアスを抱えあげて、甲板へと駆け出していく。
その後。
「…………」
雑魚寝を決め込んでいた筈のテミスの口元がクスリと歪み、寝惚け眼を擦りながら起き出した湖族たちに混じって、ムクリとその身を起こしたのだった。




