1961話 優しさに揺蕩いて
宴会の会場を一人抜け出したフリーディアは、酒杯を片手に甲板の塀に身体を預け、ぼんやりと暗い湖を眺めていた。
その瞳は酷く物憂げで。
淡い月明りに照らし出されたフリーディアは、触れれば崩れてしまいそうな儚さを帯びていた。
「…………。ハァ……」
「よ。酔い覚ましかい?」
「っ……!?」
フリーディアが幾度目になるかもわからない溜息を零した時。
砲身の落とす影から歩み出たロロニアが朗らかに声を掛けると、欠片ほどの気配すら感じ取る事ができていなかったフリーディアは、ビクリと身を跳ねさせて背後を振り返る。
「ロ……ロロニアさん……。驚いてしまってごめんなさい?」
「クク……構わねぇよ。こんな所に人が来るだなんて思いもしねぇだろうからな。隣、邪魔するぜ」
「ぁ……」
声の主がロロニアである事に気が付いたフリーディアが、静やかな笑みを浮かべて言葉を返すと、ロロニアは喉を鳴らして笑いながらフリーディアの傍らへと歩を進め、有無を言わさずに身を落ち着けてしまう。
それは、一人で物思いに耽っていたかったフリーディアにとっては望まざる客人で。
だがしかし、この船はそもそもロロニアたち湖族の物だからこそ、招かれている側であるフリーディアが、否やを告げる事はできなかった。
「俺達の宴会。つまらなかったか?」
「いいえ! そんな事は無いわ! その……ごめんなさい。何も言わずに抜け出してきてしまって……」
「あ~……悪い。意地の悪い言い方だったな。一応……俺ぁアンタらを招いている身だからよ、そいつは確認しておきたくてな」
「すごく明るくて……温かい、素敵な宴会だわ」
「そう言って貰えて何よりだ。アイツらも喜ぶ」
「えぇ……。…………」
「…………」
静かに告げられた問いを皮切りに、ロロニアとフリーディアはぽつりぽつりと言葉を交わすも、やがて言葉は尽きて酷く気まずい沈黙が場を支配する。
けれど、宴会の会場に戻る気にもなれず、かといってロロニアに立ち去れとも言えないフリーディアに逃げ場はなく、ただ気まずさに耐えながら、彷徨わせた視線を湖に向ける事しかできなかった。
一方ロロニアは、静かに目を細めて視線を湖へと向けると、何かを躊躇うかのように、二度三度口を開いては言葉を発する事無く閉じるのを繰り返す。
そして。
「……なぁ。アンタ、全部知ってたんだろ?」
躊躇いを数度繰り返したロロニアは、意を決して喉を震わせると、言葉を飾り付ける事無く真正面から問いを叩き込んだ。
「いや……知ってたって訳じゃねぇか……。察してたって言うべきか? テミスが……俺達が何を企んでいるか」
「…………」
ゆっくりと紡ぎ直された問いに対して、フリーディアは口を開く事なく、ただ沈黙を以て答えを返した。
だがそれは、テミスとフリーディア……二人の狭間に立つロロニアには、如何なる言葉を以て応ずるよりも雄弁な答えで。
「アンタみてぇなお人が、あの勇者の嬢ちゃんの処遇を見過ごすわけがねぇ。それは奴さん……テミスだって同じだぁな」
「クス……口では冷たいこと言ってるけれど、テミスは優しいから……」
「けれど、アンタには立場がある。この部隊を……俺達を率いているって立場だ。敵国の捕虜においそれと肩入れする訳にゃいかねぇ。アンタの旗下は慣れっこかもしれねぇが、湖族の連中やお嬢……ユナリアス様の部下達は違う。下手すりゃ離反者が出かねねぇ」
「…………」
滔々と続けられるロロニアの言葉に、フリーディアは何も返す事ができなかった。
何故なら、告げられる事全てが言い返すまでも無く正鵠を射ていて。
ユウキの置かれている現状を知りながらも、せいぜい見張りに白翼騎士団の騎士を据え、食事が滞る事の無いようにする程度しか、手を打つ事ができなかったのも事実。
そして、彼女の現状をテミスが知れば、必ず何か自分にはできない行動を起こすであろうと、希望にも似た予測を抱いていたのも確かだった。
「……アンタらの間柄の事ァ、俺にゃよくわかんねぇし、深く立ち入ったりする気もねぇケドよ。俺から見るアンタは、ちぃっとばかし一人で背負い込み過ぎだと思うぜ?」
「私は指揮官だもの」
「だとしてもだ」
「だからこそよ」
「ハァ……やれやれ……」
慎重に言葉を選びながら、ゆっくりとした口調で告げるロロニアに、フリーディアはただ一言、きっぱりとした言葉で言い放った。
その言葉に籠っていたのは、途方もなく張り詰めた責任感だけで。
言葉を重ねて尚、頑なな態度を崩さないフリーディアに、ロロニアはくしゃりと表情を緩めると、静かに肩を竦めてみせる。
「一人で背負い込んじまった結果、上手くできてなけりゃ意味がねぇだろ。折角こうして同じ船に乗ってんだ。アンタが背負い込んでる重荷……俺やアイツにも分けりゃぁいいんだよ。ユナリアスのお嬢だけじゃなくてさ」
「…………。……それはできないわ。駄目なのよ」
優しい声色で、ロロニアは諭すように言葉を続けると、湖へと向けていた視線を傍らのフリーディアへと向けた。
しかし。
そんなロロニアの視線の先には、今にも泣きだしそうな顔で力無く微笑みながら、ポツリと呟くフリーディアの笑顔があったのだった。




