1958話 朗らかな導き手
陽が落ち、月が天頂へと向けて昇り始め、夜の見張りを担う騎士達以外の者は、己に割り当てられた天幕へと戻った頃。
自分の天幕の簡易ベッドに身を横たえたテミスは、音も無く静かに瞳を開いた。
「…………」
きろり。と。
身じろぎ一つしないままに、テミスは視線だけを動かして天幕の内を見据えながら、意識を研ぎ澄まして周囲の気配を探る。
この天幕には、テミスの他にフリーディアとユナリアスも起居していた。
本来これくらいの時間ならば、二人のうちのどちらかはとうに戻ってきている頃合いだ。
だが、視界の内に人影は無く、耳を澄ませてみても天幕の内からは呼吸の音一つ響かず、研ぎ澄ました意識が人の気配を捉える事は無かった。
「よし……」
きっと今頃あの仕事中毒者共は、相も変わらず寝食を忘れて執務に忙殺されているのだろう。
この天幕へ仮眠を取りに戻った本人たちの口から聞き出した話によれば、先の戦いでこちら側が被った損害は小さくなく、人的被害は軽微なものの物的損害は甚大。
加えてテミスたち黒銀騎団も全員を戦力として起用したため、動力源たる魔石も大幅に消費してしまったという。
艦艇の修理と物資の補給。
湖にポツンと浮かぶ孤島であるからこそ、この二つは喫緊の課題であり、まずはここを固めなければ、崩壊したパラディウム砦の再建など夢のまた夢だ。
二人もそれを理解しているからこそ、こうして必死で奔走しているのだろうが、こうして戦いから数日を経た今でも帰りが遅いという事は、本国ないしはフォローダとの交渉は難航しているとみるべきだろう。
「……やれやれ全く。世話の焼ける奴め」
周囲に人が居ないことを確認したテミスは、嘯きながらゆっくりと体を起こすと、傍らに突き立てた大剣の柄に引っ掛けていた白翼騎士団の制服をバサリと羽織る。
尤も、全身に分厚く巻かれた包帯の所為でまともに着る事はできないため、首元の留め金だけを留めたマントのような形なのだが、テミスは地肌に包帯を巻いただけの格好でうろつくよりは、幾ばくかマシであると自覚していた。
「っ……」
「……入って構わんぞ。今は私だけだ」
「わっ……! お、おじゃましまぁす……」
護身用の白銀雪月花を手に取り、逆の手でロロニア謹製の杖を取り上げたテミスは、おもむろに天幕の入り口から中を窺う気配へと声を掛ける。
すると、微かだった気配は驚きの声と共に膨れ上がり、潜めた声で応えながら、スルリとユウキが天幕の中へと滑り込んできた。
「手筈は?」
「ロロニアさんの方は問題無いって。先に始めているから、いつでも来いってさ」
「フリーディア達は?」
「それが……ここに来る前に指揮所の天幕を覗いてきたんだけど、二人とも居なかったんだよねぇ……。今日は船の修理の事を話し合っていたみたいだから、もしかしたら港に行っているかもしれないけれど……他に行く当ては思い付く?」
「フゥム……」
簡単に現状を報告をした後、ユウキは小首を傾げてテミスに問いかける。
こういう細かな仕草が、良く言えば可愛らしく、悪く言えばあざといのだが、本人に自覚が皆無な所を鑑みれば、心情が行動に直結している様の表れだと考えるべきなのだろう。
そんな酷くどうでも良いことを考えながら、テミスは静かに思考を巡らせるも、当然行動を共にしていない以上は二人の良く先に当てなどあるはずが無く、損害を被った艦艇の修理のために軍港へ向かったと考えるのが適切だろう。
「だとすると、まずいな。軍港までの道は一本道だ。下手を打てば、こちらへ戻ってくるフリーディア達とすれ違いかねん」
「それなら大丈夫! ボクに作戦があるんだ! ちゃんと考えて来たんだよ!」
「ホウ……? ならば任せよう。しくじってくれるなよ?」
「うん! 任せて! テミスはゆっくりと、ボクの後ろを歩いてきてくれるだけでいいから!」
テミスが胸の内に浮かんだ懸念を口にすると、ユウキは得意気に胸を張って自信に満ちた笑顔で言葉を返す。
その笑顔に、テミスは巡らせ始めていた思考を中断すると、クスリと薄い笑みを浮かべて頷いてみせた。
たとえ失敗したとしても、命がかかっている任務ではないのだ。
ならばここで無体に却下してしまうよりも、ここでユウキの実力を見ておくのも一興だろう。
決して笑顔に絆された訳ではない。
胸の内で理由を後付けをする事で自身にそう言い聞かせながら、テミスはカツリと杖を突いて立ち上がる。
「頼もしい限りだ。では、向かうとするか」
「オーケー! ちょぉっと待ってね……? …………。っ……! よし……! 今なら大丈夫だよ!! ゆっくり行くから……ちゃんと付いてきてね!」
そんなテミスに、ユウキは子犬を思わせるような弾ける笑顔を以て頷き返すと、そのまま首だけを天幕から突き出して慎重に外を確認する。
そして、天幕の内のテミスを振り返って密やかに告げたかと思うと、流れるような動きで天幕の入り口をすり抜け、テミスを先導して外へと飛び出していったのだった。




