1957話 悪童の本懐
響き渡った大きな声に振り返ったテミスの視界に映ったのは、白翼騎士団の制服に身を包んだユウキの姿だった。
既に捕虜の時に帰せられていたボロボロの服は身に着けておらず、ぴしりと綺麗に整えられた制服からは、フリーディアの指導の賜物が見て取れる。
それでも、フリーディアの着ているものに比べて、随分とスカートの丈が短いように見える気がするが……。
「ユウキ……!! この馬鹿ッ!! 大きな声を出すな!!」
「だってッ! ボク探したんだよ!? フリーディア……さまに様子を見てきてって言われて天幕に行ったら、何処にもテミス見当たらないし」
「だからといって叫び声をあげたらフリーディアの奴にバレるだろうがッ!! チィィッ……! 天幕に戻らねば――うぉッ!!?」
ユウキに苦言を呈しながら、テミスは苛立ちと焦りを滲ませて立ち上がると、身体が痛みを発するのも構わずに、天幕へと向かうべく一歩を踏み出した。
しかし、怒りと共に天幕へと突進してくるであろうフリーディアよりも先に戻らねばという焦りが良くなかったのか、一歩目を踏み出すべく突き出した杖がずるりと滑り、テミスは湖へ身体を投げ出す形で体勢を崩してしまう。
「危ないッ!!」
「……ッウ!! すまん。助かった」
瞬間。
閃いたユウキの掌がすんでの所でテミスの腕を掴んで捕らえ、湖の中へと吸い込まれつつあったテミスの身体は無事濡れる事無く桟橋の上に留まった。
だがその代償として、身体に残る傷は鋭い痛みを発し、テミスは咄嗟に歯を食いしばって漏れかけた悲鳴を堪えると、体勢を立て直しながらユウキに礼を告げる。
「もぅ……大丈夫? そんなに焦らなくても平気だよ。フリーディアさま達なら、ちょっと前に船の方へ向かったばかりだし。修復状況の確認だって」
「そうだったか。ならばひとまずは安心だな。良かった」
「……お転婆なのは結構だが、あまり焦らせるような真似をするのなら、俺も団長サマ達につくぜ?」
「勘弁してくれロロニア。お前まであちら側に回ったら、今度こそ私はベッドで腐っているしか無くなってしまう」
「なら、せいぜい気を付けるんだな。……。ハァ……」
テミスの身体を支えたまま、宥めるように言葉を続けるユウキに続いて、ロロニアは非難するような目つきでテミスを見上げて忠告をした後、近くの水面に浮かぶ釣竿へ視線を向けてため息を吐いた。
どうやらテミスが態勢を崩した時、ロロニアも持っていた釣竿を投げ出してまで救いの手を伸ばしてくれたらしい。
「うん……? 釣り竿? ちょっと待ってて!」
ロロニアの視線を追って、水面に浮かぶ釣り竿を見止めたユウキは、言うが早いかテミスが自身の足でしっかりと立ったのを確認してから、腰に差していた剣を鞘ごと抜くと、棒代わりに突っ込んで水面に浮かぶ釣竿を器用に取り上げてみせる。
「はいっ! どうぞ! 取れたよ!」
「お……おう……。ありがとよ……」
「ユウキ……拵えが良いとはいえそいつはただの鋼鉄の剣だ。そんな使い方をしていたらすぐに錆びるぞ?」
「大丈夫! ボク、毎日お手入れしっかりしているもん!」
「そうか……」
その突飛とも言える行動に、ロロニアもテミスも呆れた表情をユウキへと向けるが、当の本人は何一つ気にしていないらしく、弾けるような笑顔で拾い上げた釣竿をロロニアへと差し出していた。
だが、一応とばかりに忠告を口にしたテミスだったが、ユウキは抜いた剣を腰の剣帯へと戻しながら、得意気な表情で言葉を返す。
そう言われてしまっては、テミスとしてもこれ以上追及する事はできず、力無く答えを返す事しかできなかった。
「それよりも、何のお話をしていたの? すっごく楽しそうだったけれど」
「…………」
「っ……! えぇっと……なんと言うか……まぁ……その……だな……」
会話に僅かな間が生ずると、ユウキは思い出したとばかりに首を傾げ、テミスとロロニアに純朴な視線を向けて問いを口にする。
すると、ロロニアは口を噤んで逃げるように、受け取った竿に餌を付けはじめ、一瞬でその意図を察したテミスはピクリと頬を引きつらせながら、なんとか言い訳を捻り出すべく曖昧な言葉を繰り返した。
「…………。あ~……ユウキ。アジフライを食べたくはないか?」
「えっ!? アジフライ!? こっちにもあるの!?」
「ッ……!! 魚の種類が違うから、厳密にはアジフライではないが……。ここは一つ、取引といこうじゃないか」
「……やれやれだぜ」
しばらくの逡巡の後。
ここで苦しい言い訳をして、フリーディアに漏らされてしまっては、計画そのものが頓挫しかねん。
そう判断したテミスは、ニンマリと悪い笑顔を浮かべてユウキに身体を寄せると、静かな声で勧誘を始める。
食べ物で釣る格好にはなるものの、ユウキを巻き込んでしまえば天幕から抜け出すためにロロニアの手下の手を借りる必要も無く、一石二鳥の好手だと考えたのだ。
そんなテミス達の会話を傍らで聞きながら、ロロニアは片眉を吊り上げて渋い表情を浮かべると、溜息と共に呆れた声を漏らしたのだった。




