1956話 包帯だらけの脱走者
偶にはこうしてのんびりと、横になっているのも悪くは無いと思っていたのだが……。
全身を包帯で包まれたテミスは、薄暗い天幕の天井を眺めながら、そう胸の内でひとりごちる。
巨大戦艦でアイシュと相まみえてから数日。
自分で立つ事すらままならない重症である事を周知されてしまったテミスは、自らの能力を用いての治療を諦めると、フリーディア達の手によって薬品を用いた治療が施され、ゆっくりと回復を待っていた。
後からフリーディアに聞かされた話では。
テミスの失踪は想像以上に部隊の内に不穏をもたらしていたらしく、中にはテミスがヴェネルティ連合に裏切ったのではないかと噂する者まで出てきていたらしい。
だからこそ、テミスが単独で強敵を抑えていたことを周知する狙いもあって、敢えて船の中では応急処置に留め、重症で帰還したテミスを衆目に晒したのだという。
「……冗談じゃない。いつまでもこんな天幕の中に籠っていたら黴が生えてしまうわ!」
暇を持て余したテミスは未だに痛みを発する身体を荒々しく起こすと、包帯だらけの身体に上着を直接羽織り、杖を手に天幕の外へと歩み出る。
アイシュから受けた傷はかなり深いもので、この仮拠点へと帰還した晩など、一晩中鈍痛に苛まれて眠る事すら出来ず、明け方過ぎに気絶するようにして意識を失ったほどだ。
それからは、身体を刺し貫かれているような特にひどい傷には、完治に至らないまでも行動に支障が無い程度にはテミス自身が治療を施したため、たった数日で痛みはあるもののこうして歩き回る程度ならばできるほどに回復した。
とはいえそれでも、フリーディア達に見付かればたちまちベッドへと連行されてしまう為、テミスは周囲に気を配りながら、カツンカツンと杖先で小気味の良いリズムを奏でて水辺へと足を向ける。
「おっ……!」
だがそこには、朽ちかけた桟橋の上で暢気に釣竿を垂らしている先客がいて。
既に見慣れたその後ろ姿に声を漏らしたテミスは、ゆっくりと傍らへと近付いて声を掛ける。
「釣果はどうだ? ロロニア」
「あん……? まずまずって所だ。……って、お前……!!」
「クク……抜け出しているのはお互い様だ。ここは一つ共犯といこうじゃないか」
「馬鹿野郎。俺は休暇だ。やる事は山ほどあるんだがな……あいつ等、俺が先に休みを取らねぇと、いつまでも働き続けやがるんだ」
「上が働いていると下は休み辛いからな。何処ぞの仕事中毒共にも見習ってほしいね」
「そういうモンか……。それで? 身体の調子はどうなんだ?」
最初は気だるげに言葉を返したロロニアだったが、相手がテミスだと気付くと驚きに目を見張り、声を上ずらせた。
だが、テミスが歯牙にもかける事無く会話を続けながら傍らに腰を掛けると、早々に諦めを付けたかの如く肩を竦め、ぴんと伸びた細い竿先へと視線を戻しながら問いかける。
「痛みはあるが動く事に支障は無い。もっとも、お前のくれたこの杖ありきだがな」
「そいつは何よりだ。その怪我の責任の一端は俺にもあるからな。せめてもの詫びだと思ってくれ」
「気にするなと言いたい所だが、無理な話だろうな。だからこの杖で十分だ。お陰で退屈に殺されずに助かっている」
「ソイツを届けた日、団長サマ達には酷く文句を言われたよ」
「だろうな。フリーディアの奴め、私には一秒でも長く床についていて欲しいらしい」
二人は肩を並べて湖を眺めつつ、穏やかな微笑みを浮かべて言葉を交わす。
その間にもロロニアはピクピクと動いた竿先に合わせて竿を引き上げ、手のひらサイズの魚を釣り上げると、再び針に餌を付けて水中へと投げ入れた。
他愛のない会話にゆったりとした時間。
怪我の所為で釣りに興じる事はできないテミスだったが、こうして湖と時折釣り上げられる魚を眺めながら、のんびりと言葉を交わしているだけでも気は晴れるもので、平穏を噛み締めるかの如くとりとめもない会話を交わし続けていた。
「――なら、今夜あたり私の天幕へ迎えを寄越せないか?」
「冗談じゃねぇ! 団長サマに見付かっちまったら俺まで巻き込まれるだろうが!」
「……なんだ。酒盛りに呼んでくれるのならば、ひとつ肴でも振舞ってやろうと思ったのだがな」
「なん……だと……っ……!? だがッ……!!」
「あああぁぁぁ~~~~~っッッ!!! 居たぁぁぁぁっっ!!!」
「――ッ!!?」
「うおっ!?」
その平穏を打ち破ったのは、朗々と響き渡った甲高い声で。
突如として響いた朗らかな叫び声に、テミスとロロニアは揃ってビクリと肩を跳ねさせたのだった。




