幕間 待ち人来たらず
さざ波の音だけが響く暗闇の中。
テミスを巨大戦艦へと送り届けたロロニアは、一人船の上に腰を下ろし、帳を下した闇を見透かそうとしているかの如く、鋭い視線で巨大戦艦の鎮座する方向を睨み続けていた。
「……遅い」
既にテミスが巨大戦艦へと乗り移ってからかなりの時間が経過しており、戦闘の音こそ聞こえないものの、ロロニアの胸の奥底に密やかに不安が這い寄ってくる。
パラディウム砦の島へ戻るための時間を考えれば、こうして待機していることの出来る時間はそう長くは無い。
夜が明けて尚この場所に留まれば、巨大戦艦側から補足される事は確実だろう。
加えて、パラディウム砦側のフリーディア達にも、不在が露見するのは確実。
そうなってしまえば、テミスの計画に支障をきたすのは確実といえる。
「ッ……! どうする……? 俺は……どうすれば良いんだ……? なぁッ……!!」
固く噛み締めた歯の隙間から、ロロニアは絞り出すような声でテミスの消えた暗闇へと問いかけた。
ロロニアがこの場を去ってしまえば、テミスにはもうパラディウム砦の島まで戻る手段は無い。
言い換えるのならば、今まさにロロニア自身がテミスの生命線であり、同時にテミスの立てた計画の急所でもあるのだ。
「……僅かでも陽が出ちまったらもう入港はできねぇ。そうなっちまったらもうお終いだ」
白翼騎士団・蒼鱗騎士団・そしてロロニア達湖族の三勢力によって、厳重な警備態勢が敷かれているパラディウム砦の軍港の守りは固い。
こうして出奔できたのも、警備体制を熟知している事に加えて、さざ波一つ立てずに操船できるロロニアの腕前と、姿を覆い隠してくれる夜の闇があったからこそできた芸当だ。
故に。そのどれか一つでも欠けた時。
即ち身を潜める事ができる闇が薄まった瞬間、ロロニアを以てしても秘密裏の帰還は困難になる。
「ッ……!! クソ……!! 嫌な予感がしやがる……!! お前は俺に何を求めているんだ? 俺に課された役割は何だ……? 考えろ……俺は何をすればいい……?」
刻一刻と迫る期限を前に、ロロニアは組み合わせた指をせわしなく動かしながら、必死で思考を回転させた。
恐らく今、テミス自身以外で最も彼女の計画を知っているのはロロニアだろう。
だが、語り聞かされた内容が計画の全容であるとは考え難い。
ならば聞かされた内容から予測し、推測を交え、テミスの定めた己の役割を導き出す。
それができる最も近い位置に居るのは、間違い無くロロニアだけだった。
「っ……」
『待つ』か『引き返す』か。
突き付けられた選択肢の前で、ロロニアは暗闇を睨み続けたまま長い間頭を悩ませる。
今この瞬間にも、巨大戦艦の上に明かりが灯り、もしくは何かしらの手段を以て、こちらに向けて合図が出されれば、こんなに頭を悩ませ続ける必要も無いのだ。
しかし、幾ら待てども眼前の暗闇が変化する事は無く、周囲に漂う空気が芳醇な湿気を帯び、微かな朝露の香りを漂わせ始めた頃。
「チッ……!! 間違ってても……恨むなよッ……!!」
もはやこれ以上待つ時間は一刻たりとも無い。
そう判断したロロニアは素早く立ち上がると、暗闇の中に舌打ちを響かせ、未だに姿を現さないテミスへと届かぬ言葉を置き残す。
そして、巨大戦艦へと向けていた舳先を素早く反転させると、ロロニアはテミスを残してパラディウム砦のある島へと引き返していったのだった。




