1949話 猛進猛攻
甲高くも重たい金属音が鳴り響き、さざ波の音を切り裂く。
剣戟での応酬から一転、搦め手に回ったアイシュは攻撃に剣を用いる事を止め、ひたすら防戦に徹していた。
対するテミスができる事はただ一つ。嵐のような猛攻を繰り出す事のみで。
今この場で求められるのは、アイシュに小細工を使わせる暇すら与えない連撃に次ぐ連撃。
だが、アイシュとて剣技が拙い訳ではなく、テミスの剣技は防戦に徹した彼女の守りを突き崩すまでには至っていなかった。
ならばテミスが頼る事ができるのは、人外の力たる能力に頼った戦術を除けば、人の枠から外れた膂力のみ。
事実。
テミスの大剣はその大きさにあるまじき速度で空を裂き、放たれる斬撃を常人がまともに受ければ、腕の一本や二本は軽く持っていくほどの威力を誇っていた。
それでも……。
「チィッ……!!!」
「ンフフ……! 私も少し楽しくなってきました」
時に身を躱し、ときに斬撃を受け流すアイシュの反撃を全て潰す事はできず、猛攻の合間を縫って繰り出される影を用いた応撃を、テミスは無理矢理に身体を捻って躱す。
もしもこの戦いを見守る者が居たとすれば、よほどの達人でない限りはほとんどの者がテミスの圧倒的優勢を確信するだろう。
だが真実は違う。
凄まじい攻勢によってアイシュを圧倒しているように見えるテミスは、その実ただひたすら力任せに、前へ前へと逃げているだけ。
それでも逃れきる事ができない攻撃が、間隙を縫っての応撃としてテミスを苦しめているのだ。
「隙あり。ですよ?」
「ッ……!!」
放たれた応撃を無理に躱したテミスの僅かな隙をついて、アイシュはクスリと笑みを深めると、足元に広がる自らの影へと剣を突き立てる。
すると、まるで剣を突き立てた個所から波が溢れ出て来るかの如く影が広がり、テミスを包み込む形で襲い掛かった。
「舐めるなァッ……!!!」
「……っ! おっと」
だが次の瞬間に響き渡ったのは、猛々しいテミスの咆哮。
気合一閃放たれたのは、アイシュの足元から湧き出た影の波が視界を遮った一瞬の内に、体勢を立て直したテミスの斬撃で。
横薙ぎに振るわれた剛撃は、アイシュの放った影を易々と斬り裂いて砕き、深々と前へ進められた踏み込みは、大剣の刃をアイシュの元まで届かせた。
しかしアイシュとて、易々と斬撃を食らう事は無く、甲板に突き立てた剣を咄嗟に抜き放ってテミスの一撃を受けると、その威力に逆らわずに後ろへと跳躍して退くことで受け流す。
「クッ……!!!」
そうなると、一転して苦しいのはテミスの方だ。
なにせ、変幻自在な影での攻撃を繰り出すアイシュに対して距離が開いてしまえば、テミスはただ逃げ回る事しかできないだろう。
故に。ぎしりと歯を食いしばったテミスは、振り抜いた大剣を引き摺るようにして逃れたアイシュに追い縋るも、飛び出した先の甲板から迎えるように、闇の棘が数本テミスへと生え向かう。
「甘いッ!! 読めているわッ!!」
だが、テミスは猛々しく吐き捨てると、自らを目がけて伸びてくる棘を無視して更に前へと歩を進め、力強く甲板を蹴って跳躍すると、棘を跳び越してアイシュへと迫った。
けれどその先に待ち受けていたのは、穏やかに勝ち誇ったアイシュの笑顔。
「同じ台詞を返しましょう」
「っ……!! 誘われたかッ……!!」
「宙に逃れるのは愚策でしたね」
悠然と放たれた言葉に、テミスは自らがアイシュの策によって跳ばされたのだと察するも、足の届かない空中ではどうする事も出来ずに息を呑む。
そこへ放たれたのは無数の闇の棘。
殺意こそ籠められてはいないものの、テミスの周囲を取り囲むようにして放たれた棘は、身動きの取れないテミスへと一斉に襲い掛かる。
直後。
「はは……嘘でしょう? コレを凌ぎ切りますか……」
ガギバギギャリィッ!! と。
響き渡る破壊音と共に闇色の棘は砕け散り、パラパラと音を奏でながら甲板の上に飛び散った後、音も無く虚空へと溶けていく。
逃れる事は叶わない。
瞬時にそう判断したテミスは棘を躱す事を諦めると、高速で自身の周囲を大剣で薙ぎ払い、刺し貫かんと迫る無数の棘を叩き斬ったのだ。
「チッ……!! 凌ぎ切る……? 馬鹿を言うな。一撃貰っているわ」
だが、テミスの剣速を以てしても周囲から無数に迫る棘の全てを叩き切ることはできず、砕き損ねた一本が肩を貫いていた。
しかし、その一本も即座に大剣の咢に砕かれて虚空へと消え去り、傷口から溢れ出した鮮血がポタリと甲板へ落ちる。
「ですがその程度は掠り傷……貴女の動きを止めるには及ばない。違いますか?」
そんなテミスに、アイシュは気を緩める事無く剣を構え直すと、笑顔を形作った頬に一筋の冷や汗を流したのだった。




