18話 武人の誇り
同時刻 ファント市街東区画
「人間達よ! 罪無き市民の凌辱を止め、我と立ち合えッ!」
狂乱のサイドストリートに、重々しいマグヌスの声が響き渡る。
ここはテミスの位置からさらに2区画東へと進んだ商店街で、特に食品などを取り扱う店が集まっていた。
「なぁにが立ち合え~……だ、間抜け!」
「……下郎め」
咆哮するマグヌスに動きを止めた兵士の一団が、薄ら笑いを浮かべながらマグヌスを包囲する。
人間は戦士としての誇りを失ってしまったのだろうか。マグヌスは内心で嘆息しながら腰の太刀を抜刀する。
「オラ、たかだか魔族一匹で何ができるか見せてみろよ! ギャハハハハハッ!」
正面の男が耳障りな声で笑い声を上げると、マグヌスを取り囲んだ兵士たちもそれに状して嘲りの笑いを上げた。
「我が名はマグヌス・ド・ハイドラグラム」
そんな人間達を歯牙にもかけず、マグヌスは静かに名乗りを上げる。いかに相手が見下げ果てた下郎であっても、自らは武人たれ。これはマグヌスの誇りであり、同時己に課した枷でもあった。
「――推して参る」
静かにそう呟いた後、猛然と突撃するマグヌスの一撃が嘲り嗤う人間の兵士たちをまとめて斬り飛ばし、その剣圧が浅く市街の壁を切り裂いた。
「こ……コイツッ! 軍団長級だぞっ!」
マグヌスの背後の兵が悲鳴混じりに叫びを上げると、近くで強奪を続けていた兵士たちが我先にとマグヌスに背を向けて駆け出して行く。
「ヒ、ヒィアアアアアアァァァァァッ……!」
「害獣……か…………」
マグヌスは悲しげにそう呟くと掌に魔力を集め、一目散に逃げて行く兵士の背に炎弾を発射する。
打ち出された灼熱に輝く光球は逃げ惑う背中を正確に追尾し、断末魔の悲鳴と共に焦げ臭い臭いが通りに充満した。
「このザマでは確かにその通りかもしれんな……」
マグヌスは炎弾を打ち出す『作業』を繰り返しながら、沈痛にひとりごちる。その脳裏には、先ほどのテミスの戦いが浮かんでいた。
実の所、マグヌス自身はテミスにそう大して思う所は無かった。故に、武人として従えと言われれば従うし、処断せよと言われれば斬る。だが、先ほどの戦いを見たマグヌスの胸中には、言い知れない不安と恐怖が宿っていた。
「あの人間……隊長は……何と言えば良いのだ……」
思考の一部を漏らしながらもマグヌスは『作業』を続け、その思考は次第に深く沈んでいく。
テミスのあの戦い方は一見すればただの狂気だ。無傷の兵士から目を逸らしてまで戦闘不能になった者を嬲り殺す。魔族に比べ選民意識こそ強いものの、同族意識の乏しい人間にはとてもではないが効果的な戦術とは言えない。
「あれは……怒り? いや、もっと純粋な……癇癪と言うべきか……」
マグヌスには一つだけ、テミスのあの姿に既視感があった。
彼女は魔王の前でも、ファントに向かう最中もずっと、凄まじく焦っているように見えた。そしてこの町の様子を見た途端、雰囲気が一変したのだ。そしてあの戦い方。まるで燃え盛る怒りそのものを叩き付けるような残虐性は、怒り狂う子供を見ているようで……。
「セアァァッ!」
「ッ――!?」
思考が答えに辿り着く寸前。一抹の寒気を覚えた瞬間に、烈破の雄叫びがマグヌスの意識を現実へと引き戻した。
「――何者!?」
マグヌスの視線の先、逃げ惑っていた若い兵士の前に、年季の入ったハルバードを構えた老兵の姿があった。
「我が名はメルザック。竜神族よ、戦意を失って逃げる者を撃つとは……その誇りすら棄て去ったかっ!?」
「っ!!?」
老兵が一喝した瞬間、マグヌスの方がピクリと震える。
「笑止。なればヒトこそ矜持を喪と言えよう。否と言うのならば、この惨状をどう説明するかっ?」
「っ…………」
マグヌスが吠えるとメルザックは黙り込み、固い沈黙が場を支配する。
「……退け。人間よ」
「なに……?」
長い沈黙を破ったのはマグヌスの方だった。
「我に下された命は『害獣』を始末する事。貴殿は未だヒトであると見受けるが?」
「ほざけ。この老骨、老いさらばえたとはいえ気骨までも老いた気は毛頭無い。貴様も竜人族のはしくれであるならば、誇りをかけて儂と立ち合うが良い」
しかし、掌を下げたマグヌスに向けられたのは、凄まじい気迫の込められた斧槍の切っ先だった。
「……承知。このマグヌス・ド・ハイドラグラム。推して参る」
マグヌスはメルザックの口上に応じると、腰の太刀を抜いて身を落とす。
「ほう……牙心一流か。その業は絶えたと思うておったが……」
不敵に口角を上げたメルザックが斧槍を上段に構えると、二人の間に再び静寂が訪れる。ただし、先ほどまでの静寂とは異なり、それは空気が凍てつくほどの緊張感を孕んでいた。
「……参るッ!」
烈破の気合と共にマグヌスの体が弾丸の如く飛び出し、刺突のように鋭く放たれた斬撃が、切り上げるようにメルザックへと肉薄する。
「フンッ!!!!」
迸る緊張感に対して、その戦いに激しさは無かった。
たった一度の激しい金属音と共に二つの影が交差し、片方の影が数歩たららを踏んだ後、ガシャリと音を立てて膝をつく。
「…………無念」
「…………」
膝を付いた影。メルザックはそう呟くとマグヌスを振り返り口を開く。その傍らには、老兵と共に戦い抜いてきたであろう斧槍の切り落とされた穂先が、まるで屍のように転がっていた。
「……決着は付いた。貴様の勝ちよ。我が首を持って行くがいい」
静かに目を閉じたメルザックはそう告げると、首を差し出すようにマグヌスに向けて首を垂れた。
「……否。我の命は『害獣』の駆除である。誇り高きヒトとの戦いは命じられてはおらん」
「戯言を! 騎士に生き恥を晒せとほざくかッ!」
激昂したメルザックは勢い良く立ち上がると、マグヌスの胸ぐらを掴み上げて詰め寄った。
「否。武人としての貴様の命は頂いていく」
そう告げるとマグヌスはメルザックの手を弾き、足元に転がっていたハルバードの穂先を掴み上げた。
「我が主の望みは平和な世界。貴殿のような心を持つ者が絶えては困るのだ」
「何じゃと……?」
マグヌスは苦笑いを浮かべると、穂先に残っていた柄の切れ端を取り外し、手斧のようになった切っ先をメルザックへと差し出した。
「名乗り合っての正々堂々たる仕合などいつぶりだろうか……貴殿のような武人と相まみえたのは久方ぶりなのだ。その磨き上げた技と誇り高き心を伝えずして絶やすのは、愚かと言うものでは無いか?」
「…………」
メルザックは差し出された穂先を前に黙り込み、マグヌスが再び口を開く。
「魔族たる私から見ればヒトは誇りを失った害獣だ。私もまた、貴殿らから見ればそうなのやもしれん。だが少なくとも、この邂逅は街を犯し、破壊しつくすよりは有益であるはずだ」
マグヌスはそれだけ告げると穂先をメルザックに押し付けて、立ちすくむ老兵に背を向けた。
「隊長……? 命令更新、承知しました。なんですと……? サキュドが? 承知致しました」
太刀を鞘へと戻したマグヌスは、騎馬へ向う途中で首に手を当てて頷くと、そのまま騎馬に飛び乗って燐光の揺らめく通りを後にしたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




