1924話 疾駆する影
「ではなサキュド。手はず通りに。しくじるなよ」
日が暮れ、休息を取っていた騎士達が目を覚まし始めた頃。
テミスは密かにサキュドたち黒銀騎団が使っている天幕を後にしていた。
物資の天幕で一振りの剣を手に入れた後、テミスは約束通りしばらくの間見張りの騎士の代役を務めてから、仕込みを施すべく方々を駆け巡った。
テミスの動きに感付けば、フリーディアとユナリアスは必ず行く手を阻んでくる。だからこそ、勝負は眠りこけている間のみしかない。
だが、幸いにもサキュドに作戦を伝えた段階で全ての仕込みは完了した。
しかし未だに、新たな命令が発せられていない事を鑑みれば、間に合ったとみて間違いないだろう。
「ン……!」
絶えず張りつめていた緊張を解き、テミスが一息を吐いた時だった。
テミス達の使っている天幕が設えてある方向から、二つの人影がテミスの前を横切っていく。
その姿をテミスが見間違えるはずも無く。
「っ……!!! フリー……ディアッ……!!!」
僅かに緩んだはずのテミスの胸の内に緊張が張り詰め、喉が一気に干上がった。
まずい。非常にまずいッ!! まずすぎるッ!!!
一瞬で錯乱を起こしそうになる思考を無理矢理にまとめ上げたテミスは、フラリと大きく上体を揺らめかせた後、足音を殺しながら脱兎の如き勢いで駆け出した。
「クソッ……! クソクソクソッ……!! 馬鹿か私はッ……!!」
天幕の間を駆け抜け、朽ちかけた小屋の傍らを曲がりながら、テミスはブツブツと自らの迂闊さを呪った。
相手はあのフリーディアとユナリアスだ。たとえわずかな違和感でも、一度企みに感付けば猟犬の如く嗅ぎつけて来るに違いない。
無論。フリーディアが訪れた時に、テミスが偶然指揮を執るために指揮所の天幕を空けている事もあるだろう。
だがこればっかりは理論ではない。
自分の目が届かない時に、テミスが指揮所を空けていたら、フリーディアがどう思うかなのだ。
「っ~~~~!!!!」
ギリギリと固く歯を食いしばったテミスは、気配と足音を殺しながら細い道を必死に駆け抜ける。
不運にも、指揮所の天幕の出入口は湖に向けて設えられていた。
こちら側からでは、真っ直ぐに天幕を目指すフリーディアたちの視界を避けると、ぐるりと遠回りをする羽目になる。
運が良ければ、すれ違う騎士の誰かが二人を呼び止め、足止めとなってくれているかもしれない。
けれど、たとえ全力で駆けたとしても、最短を行くフリーディア達と遠回りを強いられるテミスでは、僅かな時間で差を埋めるには絶望的ともいえる距離の差があった。
更に加えて、同じ入り口を目指すのだ。
入り口の前で鉢合わせる事を避けるためには、二人が天幕の近くにまで辿り着くよりも先に……最低でも、指揮所の天幕の入り口が面している通路へ足を踏み入れるより前に、天幕の中に滑り込まなければならない。
「ッ……!!!」
「――安だわ。テミスだもの、また抜け出して何かやっていそうで」
「ふふ……。そう疑っては可愛そうだよ。不安な気持ちもわかるけれど、彼女を信じてあげても――」
「ッ……ハッ……! ハッ……!!」
駆け抜けた天幕の向こう側から、テミスはフリーディアとユナリアスが楽しげに話す声が漏れ聞こえてきた気がした。
テミスたちの天幕が最奥に設えられているとはいえ、元は建物が数件並んでいる程度の小さな村だ。指揮所の天幕までいくらも距離がある訳ではない。
――間に合うかッ……!?
半ば祈るような気持ちでテミスが崩れ果てた小屋の残骸の傍らを曲がり、指揮所の天幕を視界に収めた時だった。
「チィッ……!!!」
その視界の傍らでは、既にフリーディアとユナリアスが通りの角まで辿り着いており、入り口が面した通路を目指して方向を変えていた。
――駄目だ。このままでは間に合わんッ……!!
瞬時にそう判断したテミスは、指揮所の天幕の入り口を目指すのを諦め、一つ前の通路へと飛び込んだ。
そこは指揮所の天幕のちょうど裏側に面した通路で、無論中へ入る為の入り口など設けられてはいない。
だが……。
「止むを得んッ……!!」
ボソリと呟きを零したテミスは、背負った大剣へと手を閃かせると、目にも留まらぬ速さで抜き放って一閃を放った。
狙いは眼前の天幕を覆う分厚い布地。
天幕の布は地面に縫い留められてはいるものの、テントのようにぴんと張り詰められている訳ではない。
ならば一か所を切り裂いて無理矢理に近道を作り出し、開いてしまった新たな入り口は、大剣でも突き立ててまた地面に縫い留めてやればいい。
「フッ……!!!」
テミスの振るった大剣が柔らかな布地を切り裂き、迸った剣風を受けてふわりと舞う。
その開いた僅かな隙間をすり抜けた直後、テミスはぐるりと身を翻して切り裂いた天幕の布を掴み、ぴんと張って大剣を突き立てた。
「よしッ……!!」
ギリギリの所で指揮所の天幕への侵入を果たし、大剣で地面へと縫い留めた天幕に隙間が無いことを確認すると、地図が広げられた指揮卓代わりの木箱へと駆け寄る。
瞬間。
「指揮を任せてしまってごめんなさい。今戻ったわ、テミス」
「……あぁ。こちらは、問題無い。ゆっくりと休めたようだな?」
天幕の入り口を潜り抜け、フリーディアが姿を現すと、微笑を浮かべてテミスへ声を掛けた。
続いて中へと入ってくるユナリアスと、自身の側へと迷いなく歩み寄ってくるフリーディアに、テミスは干上がる喉の痛みを堪えながら、悠然と言葉を返したのだった。




