1916話 持ち帰られた大騒動
夕刻。
砦の偵察から帰還を果たしたテミス達を迎えた仮拠点は、蜂の巣をつついたような大騒動となっていた。
それもその筈。
パラディウム砦へと差し向けられた部隊の中でも、最強に位置する双翼。その片翼たるテミスが手傷を負って帰ってきたのだから。
「全周警戒ッ! 今夜は不寝番だ! 注意を絶やすな!」
「この島の周囲を徹底的に調べ上げる! 抜描しろ!!」
「湾内から警戒に当たる! 野郎共! 配置に付け!!」
「これからの時間はアタシ達がテミス様をお守りする眼よ! 気張りなさい!!」
響く怒号は猛る士気の高さを示しており、寂れ果てた村は今、まるで祭りのような活気を取り戻している。
そんな怒声を遠くに聞きながら、テミスは指揮所を兼ねた天幕の中で手当てを受けていた。
「敵は退いたというのに、随分な張り切りようだな?」
「まさか……既にあれほどの手練れが送り込まれているなんて……警戒は当たり前でしょう?」
「正直、君がそれだけの傷を負う相手だ。不安が無いと言えば嘘になる」
「クク……敢えて止めはしないさ。本当に退いたと決まった訳ではないからな」
テミスは応急処置の上から改めて治療を施すフリーディアへと視線を向けて告げると、毅然とした声で生真面目な答えが返ってくる。
一方で正面に腰を掛けたユナリアスは、鬼気迫る表情で傍らの簡易的な指揮卓の上に広げられた手書きの地図を睨みながら、部隊の配置を弄り回していた。
そんな二人に、テミスは喉を鳴らして不敵に笑うと、肩を竦めて嘯いてみせる。
事実。
パラディウム砦に現れたあのアイシュとかいう女が、どうやってこの島に上陸したのかはまだ見当がついていない。
砦の奥へと向かって立ち去った事を鑑みるに、常識的な範疇で考えれば砦の奥から繋がっているらしい隠れ港から上陸したと考えるのが妥当だが、それは隠れ港の位置を正確に把握している者しかできない芸当で。敵国の兵であるアイシュには到底不可能な事だ。
となれば、我々よりも先に上陸したヴェネルティの連中が彼女を一人残し、今も尚この島の何処かに潜んでいるのだろう。
現に、フリーディアもユナリアスもそう考えているようで、この仮拠点へと戻るなりに警戒態勢を指揮したフリーディアに、ユナリアスも完全に同意している。
しかし……。
「ほどほどにしておけよ? 気合を入れ過ぎては、無駄になった時に反動が大きい」
この場に集う者の中で、テミスは唯一二人とは意見を異にしており、まるで今夜の追撃を確信しているかの如く動く二人を、安穏とした声で制しているのだ。
その考えの元にはアイシュの携えていたあの呪法刀とかいう剣の力があり、戦いにおいては武器を模ったり壁を創り出すといった使い方をしていたが、もしも奴が自在に闇を操る事が出来るのなら、その汎用性は恐ろしい程に広がるだろう。
「悠長な事を言っている場合ではないでしょう!? 敵はまだ近くに居るはずなのよ? 探し出さないと!!」
「ウム……近くに敵船が潜んでいる可能性も考えられる。周辺偵察の報告が返ってくるのは早くとも夜になるだろうけれど、今は警戒を厳とすべきだ」
「……寧ろ、それで何かを見付ける事が出来れば御の字だと思うがな」
自分の意見に口をそろえて反論する二人に、テミスは敢えて抗弁する事無く視線を逸らすと、ボソリと小さな声で呟きを漏らした。
もしも、周辺に敵船も見当たらず、圧倒的優位を取ることの出来る夜間にも奇襲を仕掛けて来ず、アイシュが本当に退いたであろう可能性が高くなった場合。
それは彼女が単独で船すら用いる事無く、長距離を移動できる術を持つという事で。
今後アイシュという敵と相対する事を考えれば、どちらが厄介であるかなど考えるまでもなく明らかだ。
「……よし! ひとまずはこれで良し! あまり無茶はしない事! 良いわね!?」
「約束はしかねる。それよりも、先に確認させたことはどうなっている?」
「対応済みだよ。幸い、この村は湾の奥まった所に在るからね。どうやら、相当湾の中に入って来ないと光は見えないらしい。日が暮れてからも一応、改めて確認をするよ」
「あぁ……その方が良いだろう」
「優先事項として指示を出しておくよ。では、次は私の番だ。一応、大まかには話を聞いたけれど、詳しい情報を共有してくれるかな?」
包帯を巻き終え、朗らかに告げるフリーディアを尻目に、テミスは己の懸案事項をユナリアスに尋ねると、力強い言葉で期待以上の報告が返ってくる。
今の状況で最も危険なのは、何らかの方法で逃げ帰ったアイシュにこの場所の存在を報告され、艦砲射撃に晒される事だ。
だからこそ、意見を異にしても、こうしてしっかりと動いてくれるユナリアスは頼もしく、テミスは満足気に頷いて答えを返した。
そんなテミスと、傍らのフリーディアに視線を向けると、ユナリアスは新たな紙を引っ張り出しながら、二人に詳細な報告を求めたのだった。




