1913話 背を刺す視線
退くか獲るか。
アイシュの熱心な勧誘の台詞が続けられる中。テミスは一つの選択を迫られていた。
この数分でアイシュが語った情報には、ロンヴァルディアとヴェネルティの戦争の中でも値千金の価値があるものだ。『呪法刀』に『先生』、即ち最新鋭の戦艦に次ぐ新たな兵器とそれを供与していると思われる者の存在だ。
だが、アイシュがヴェネルティ連合に属するどの国の手の者なのか、そして呪法刀の配備がどの程度進んでいるのかなど、核心に迫る情報はまだ得られていない。
「っ……!」
あと一歩踏み込んで問うか……?
テミスの思考がそう傾きかけた瞬間だった。
背後で微かな気配の高まりを感じたテミスは、ジワリと自らの背筋に脂汗が浮かぶのを感じた。
考えてみれば、至極当然の事。
数合切り結んだだけとはいえ、この場所には自分達の他にはほとんど音を立てるものが存在しない。
そのうえ、新月斬を防がれた際にはかなりの衝撃と音が響いたのだ。
後方で待機しているフリーディアが異変に気付かない筈は無い。
今のところ、任務に際しての指示を忠実に守り、即応待機に徹しているようだが、フリーディアの忍耐力がいつまでも持つわけがないだろう。
「何を考え込む事があるのです? これは運の良い貴女に訪れた無二の好機です」
「ハッ……! お前の言いたい事は理解した」
「そうですか。それは何より。でも共に――」
「――焦るなよ。結局お前は何処の国の者なんだ? 裏切る先も知らされずに頷く莫迦は居ないだろう?」
もはや長々と問答をしている暇は無い。
そう判断したテミスは、最低限引き出すべき情報に的を絞ると、大仰な身振り手振りを加えてアイシュへと問いかけた。
フリーディアがアイシュの前へと姿を現してしまえば、全てが水泡と帰すだろう。
だからそれまでの勝負。
せめてアイシュの持つ呪法刀とやらが、どこの国が有する兵器であるのか。
それさえわかれば漸く、これまで得た情報に意味が生まれるというものだ。
「おっと失礼しました。ですが、貴女が求める者を得る為には、何処であろうと関係の無い事では?」
「……かもな。だが、知っていると知らないとでは心構えも違ってくる。そうだろう? ヒトが顔も名も知らない何者かに、無条件に忠を捧ぐ事が出来る生き物であるのなら、そもそもこの世に王や指導者などという者は現れない」
「貴女は私の部下……配下という事になります。私を主と仰ぎ、私に忠義を捧げて頂いても構わないですよ?」
「ホゥ……? それは『先生』とやらに反旗を翻す気がある……と受け取っても構わんのか?」
「っ……! やれやれ。どうやら貴方は弁も立つようだ。参りました。試すつもりがこうも逆手に取られるとは……」
大袈裟な身振りにじょうして、テミスはさり気なく空いている左手を己が背の後ろへと回すと、必死の思いを込めて背後で様子を窺っているであろうフリーディアに、待機のハンドサインを送る。
しかし、それが伝わっているか否かをテミスに確認する術はなく、ただこの瞬間にフリーディアが飛び込んできていないという事実の積み重ねだけが、今のテミスのよりどころだった。
「それで? 答えてくれるのか?」
「えぇ。勿論。貴女のような優秀な方に、叛意アリなどと勘違いされてしまっては堪りませんからね」
じりじりと焦れる感情に突き動かされるかのように、テミスはかぶりを振るアイシュへと問いを重ねる。
それはともすれば、答えを急いている事を見抜かれてしまう危険性の高い問いではあったが、今のテミスにそこまで気を回している余裕は無かった。
だが幸運にも、アイシュはクスリと穏やかな微笑みを浮かべると、ゆっくりとテミスに向けて手を差し伸べながら答えを返す。
「貴女がこれから属する事となるのはネルード公国。ヴァネルティ連合に集った三国の内で最も精強な国ですよ」
「……そうか。理解した」
まるで迎え入れるかの如く、満足気な声色を交えてそう告げたアイシュに、テミスは淡々と頷いてみせた。
そして、抜き放ったままの大剣を肩に担いだまま、密かにぎしりとその柄を握り締め、一歩、また一歩とゆっくりアイシュの方へと歩み寄っていく。
「ふふ……思わぬ良い拾い物が出来ました。では、行きましょうか」
「そうだな。尋問室へご案内だッ!!!」
「――ッ!!?」
自らの眼前まで歩み寄ったテミスに、アイシュはにっこりと艶やかな笑みを向けた後、ヒラリと身を翻して砦の奥に続く闇の中へと一歩を踏み出した。
だが、テミスがそれに続いて、陽の光の中から足を踏み出す事は無く。
その代わりに、雷鳴の如き怒号を轟かせながら、眼前で揺れるアイシュの背に向かい、担いでいた大剣を渾身の力を込めて振り下ろしたのだった。




