1911話 閃きの照らす活路
身を低く大剣を構えたテミスと、余裕を窺わせる笑みすら浮かべて構えを取るアイシュ。
二人の間の空気は緊張感によってチリチリと張り詰め、一触触発の様相を放っていた。
だが、鎖と剣。二つの形態を見せられた上に、片腕の封じられたテミスは迂闊に攻める訳にも行かず、圧倒的な優位を保っているはずのアイシュもただ悠然と待ちの姿勢を崩す事は無かった。
「…………」
「さて、次はどうしますか? まさか、これで降参……と言う訳ではないでしょう?」
「無論だ。お前の方こそ、先ほどから受けてばかりだが……攻勢に転じようとは思わんのか?」
「必要がありませんからね。暴れる貴女に無理に攻撃を仕掛けて、間違って殺してしまったら大変だ。だから待ちますよ。幾らでも」
「ッ……!!」
構えを崩さぬまま、挑発気味に語り掛けてくるアイシュに、テミスは軽口を以て応じながら、静かに思考を巡らせる。
何故だ……? こちらは手負いのうえに片腕を封じられている。奴が圧倒的有利にあるのは明白。ならばこちらが態勢を立て直す前に、畳みかけるのが道理というものだろう。
それでも攻勢に出て来ないという事は、未だに私が気が付いていないだけで、奴にとっての『不利』が存在する……?
「っ……!」
待つと宣言したとはいえ、敵の言葉を馬鹿正直に真に受ける者など存在しない。
故に、テミスがアイシュに対して最大限の警戒を向けながら、必死で思考を巡らせること数秒。
思考と共に注意深く観察を続けていたテミスの視線が、砦の影の際で立ち止まって構えるアイシュの足元でピタリと止まり、一つの仮説が脳裏に浮かぶ。
だが、それはあくまでも仮説であり、証明するには相応のリスクが伴うものだった。
「クス……」
「おや? どうしたんだい? まさか、本当に降参する気になったのかな?」
「どうだかな」
しかし、テミスは躊躇う事無く、片手で切っ先をアイシュへと向け続けていた大剣を下ろして構えを解くと、ドズリと傍らの地面へと突き立てて柄から完全に手を離す。
まごう事無き武装解除。
武器を手に相対する者としてはあるまじき行為ではあったものの、テミスの顔には不敵な微笑みが浮かんでおり、ピクリと不信さを露に眉を跳ねさせて問うアイシュに、変わる事の無い軽口を返し続ける。
そして、大剣によって塞がっていた手を、テミスが己が片腕と首を縛る鎖を解くべくゆっくりと持ち上げた時だった。
「させないよっ……!!」
「おっと」
テミスの狙いに感付いたアイシュが突如、闇色の馬上槍を鋭く投げ放った。
だが、テミスはまるでその攻撃を予測していたかの如く、傍らに突き立てた大剣の陰にヒラリと身を翻して躱すと、空を切った馬上槍は鈍い音を立ててテミスの背後の地面へと突き刺さる。
そこは、燦々と陽の光が降り注ぐ中で。
陽光の中に聳え立つ、闇を切り取ったかのように黒い馬上槍の姿は、見るもの全てに強烈な違和感を抱かせる異様な光景だった。
「フム……やはり。か」
ちゃらり。と。
自らの首を縛る鎖を鳴らしながら解くと、大剣を盾としたテミスは言葉を漏らす。
油断なくアイシュへと向けられた目は、変わらずその足元へと向けられており、その足はテミスが首の鎖を解く間も、微動だにする事は無かった。
「……お前のその力。影……若しくは闇の中でしか生み出す事が出来ないのだろう?」
「フフ……流石に、見破られるか……」
「当然だ。あまり舐めて貰っては困る。それと……陽の下では著しく強度が落ちるらしい」
朗々と告げた後、テミスはアイシュが浮かべた不敵な笑みをチラリと眺めながら、陽光の中に突き立つ馬上槍の傍らへと歩み寄る。
陽光の中に在って尚、一寸たりとも地に影を落す事の無い馬上槍は、腹の底が焦げるような不快感を覚えさせた。
だが、テミスは不思議とささくれ立つ感情を捩じ伏せると、己の首から解いた鎖を振り上げ、地面に突き立つ闇色の馬上槍へと叩き付ける。
すると。
カシィィィンッッッ!! と。薄い硝子を固い地面に叩きつけたような澄んだ音が鳴り響き、地面に突き立っていた馬上槍とテミスの手を貫いていた鎖が粉々に砕け散った。
砕けた破片は薄い煙と化し、地面に落ちる事無く虚空へと消えていく。
「っ……! まさか、たったの一撃でそこまで見抜かれるとは。ですが、それを知った所で無意味だ。私は今も闇の中。このまま睨み合いが続き、僅かでも日が陰れば私の勝ちだ」
「ハッ……! 勘違いするなよ。別に答え合わせがしたくてこんな事をべらべらと喋った訳じゃない」
それを見たアイシュは、驚きの表情を露わにしたものの、相も変わらず余裕の態度を崩す事は無く、肩をすくめて嘯いてみせた。
しかし、自信に満ちたアイシュの言葉をテミスは一笑に伏すと、力強く地面に突き立てた大剣の柄を再び手に取って言葉を続ける。
「これは勝利宣言だ。さて……いつまでその余裕ぶった表情が持つか見ものだなァ……?」
そして、テミスはゆらりと見せ付けるように大剣を振り上げると、ニンマリと溶け拉げた蝋燭のような歪んだ笑みを浮かべたのだった。




