1904話 額に刻まれし怒り
翌朝。
テミスとユナリアスの二人は、むくれたフリーディアが腰を掛けた椅子の前に膝を付き、肩を並べていた。
チラリと視線を上げた先、長い金髪のしたから僅かに覗くのは、未だに消えない二つの柄頭の跡で。
反射的にフリーディアを伸してしまったテミス達は、意識を失った彼女を天幕へと連れ帰り寝かせたのだが、どうやらうまく記憶まで失ってくれる事は無かったらしい。
三人の中で最も朝が早いフリーディアに叩き起こされたテミスは、怒り心頭の彼女がユナリアスの寝込みを襲撃するさまを、眠気に呆けた頭でぼんやりと眺めていた。
そして、無事に寝床から引きずり出されてきたユナリアス共々、朝も早くから冷たい地面の感触を味わっているのだ。
「……二人共。私が何で怒っているか……わかるわよね?」
「…………」
「…………」
ふしゅぅぅぅぅぅ……と。
口から白煙でも立ち昇らせるのではないかと思うほどの形相を浮かべたフリーディアは、テミス達を鋭い視線で睨み付けて口火を切る。
その怒りとは当然、額に証の残っている昨夜の出来事なのだろうが……。
ただそれを素直に言及しただけでは、無駄にフリーディアの怒りと制裁を受ける羽目になる事を理解している二人は、互いに瞳だけを動かして視線を絡めた後、俯いたまま沈黙を貫いた。
「ふぅん……? だんまり……か……。素直に謝るのなら許してあげようと思っていたんだけれどなぁ……?」
「っ……」
「嘘を吐け……」
「ン? 何か言った? テミス?」
「いや……何モ……」
迫力のある笑顔を浮かべて続けられたフリーディアの言葉に、テミスは思わずボソリと反論を零す。
瞬間。
変わらぬ笑顔のままぐるりと顔を近付けて力強く問いを重ねたフリーディアに、テミスは全力全霊で視線を逸らして早口で答えを返す。
このままではまずい。
非常にまずいッ……!!
フリーディアとて、作戦行動の重要性は理解しているだろうし、よもや自身の怒りを優先して、作戦に支障をきたす事などはしないだろう。
だからと言ってこのまま引き延ばせば、『仕事』に取り掛かった後も永遠に機嫌の悪い事が確約されたフリーディアと一日中向き合う事になるし、日が暮れて休息の時間となった暁には、熟成された彼女の怒りがどれ程凶悪な仕返しを生み出しているかすらわからない。
「えぇそうでしょうね? 夜中に出歩くような二人からしてみれば、ふと目を覚ました私が? だぁれも天幕に居ないから、何かあったんじゃないかって心配して探しに行っただなんて、どうでも良い事だものね?」
「それは違――ッ!!」
「…………」
黙り込むテミス達を見据えたフリーディアは、大きく息を吸い込んでから、芝居がかった口調で嫌味に富んだ言葉を叩きつけてくる。
それは、普段からこの手のやり取りを繰り返しているテミスへ向けられたものではなく、キラリと得意気に光るその視線が示す通り、ユナリアスへと狙いを絞った一閃で。
フリーディアの思惑通り、慌てふためいたユナリアスは声をあげかけるが、すんでの所で傍らのテミスの肘が閃いて脇腹を小突いて黙らせた。
「んん? 何かな? ユナリアス?」
「い……イエ……何も……」
「ッ……」
――これは罠だ。
――すまない。助かった。
目にも留まらぬ速さで元の体勢に戻ったテミスは、再びユナリアスと視線を混じり合わせると、声なき会話を交わす。
そう。ここで慌てて否定しようものならば、何をしていたのかを洗いざらい喋らされた挙句、額を打ち付けて昏倒させた罪まで自供させられるだろう。
それはフリーディアへの敗北宣言に等しく、彼女に大きな借りを作ってしまう事になる。
「……まぁ、でも仕方ないか。気を抜いていたとはいえ、後ろからあんな距離まで接近を許しただなんて、認めたくないわよねぇ?」
「ッ……!!!」
「そんなにユナリアスとの話に夢中になっていたのかしら? 何を話していたの? もしかして、そんなに恥ずかしい話だった?」
「ッ~~~~!!!」
そらきた。と。
テミスは胸の内でそう嘯きながら、ささくれ立つ己が心を宥め、歯を食いしばって全力で沈黙を貫いた。
ユナリアスを陥落させ難しと判断したフリーディアが、テミスへ矛先を変える事は容易に想像できる。
けれど、二人の心根をよく理解しているフリーディアは挑発的な笑みを浮かべて言葉を重ねると同時に、姿勢を屈めたテミスに視線を合わせ、指先で艶やかに歯を食いしばって強張った頬を撫で上げた。
それでも。
これが挑発であると理解していれば、屈辱にも耐えられない事もない。
同時に、これは紛れもない好機だ。
そう確信したテミスは、このどうしようもなく追い詰められた窮地を覆すべく、尋問官よろしく嗜虐的な笑みを浮かべたフリーディアを見返して不敵に微笑みを浮かべる。
そして……。
「そう拗ねるなよ。砦への先行偵察さ。本当は黙って行こうと考えていたんだがな。ユナリアスに見付かってしまったから、お前を説得する知恵を借りていたのさ」
テミスはキラリと紅い瞳を輝かせると、胸の内に潜めていた一案を利用して、皮肉を添えて反論を返したのだった。




