1900話 果ての姿
軍港へと戻ったテミス達を真っ先に出迎えたのは、青い顔をしたフリーディアだった。
その傍らにユナリアスの姿は無く、港のそこかしこではフリーディアと同じような顔色の騎士達が、虚ろな目をして俯いている。
「……? 何事だ?」
「ごめん。テミス……私……」
「何だよ。今にも吐きそうなほど酷い顔色だぞ」
「…………。あぁ……なぁ、アレじゃねぇのか?」
「ン……? ハッ……なるほど」
はじめは酷い船酔いにでもなったのかと疑ったテミスだったが、ロロニアが軍港の一角で燃え上がる炎を指差すと、眼前の惨状の意味を理解して笑みを零した。
焚き火の傍らでは、騎士達とは対照的に平然とした表情のコルカたちが、炎に薪をくべるかの如く、次々と魔法で生み出した火の玉を炎の中へと打ち据えている。
つまり。あの炎の中に『ある』のは、この軍港の中に転がっていた数々の死体なのだろう。
たかだか十日かそこらだとはいえ、比較的に温暖な気候かつ水場の近いこの場所に打ち棄てられたのだ。生肉の塊たる骸がどんな惨状を晒しているかなど想像に難くない。
「気にするな……と言った所で無駄だろうからな。お前に気休めは言わんぞ? 戦いとはそういうものだ。だからこそ兵士は敵を怨み、憎み、呪うのさ」
「えぇ……わかっていた……。いいえ、わかっているつもりになっていた……ね」
「クス……。案ずるな。例え元が何であれ、アレらが腐臭を放つ朽ち果てた肉である事にかわりは無い。気持ちが悪いと思うのは当然の心情だ」
「っ……! けれど……!!」
言葉を交わしながら更に表情を曇らせるフリーディアに、テミスは皮肉気ながらも何処か穏やかな雰囲気が漂う微笑みを浮かべると、静かにその背を擦った。
フリーディアとて、これまで生半可な覚悟で戦場に立っていた訳ではないだろう。
当然、自身が殺される覚悟も、仲間を喪う覚悟もあったはずだ。
けれど、それらの覚悟は良くも悪くも生者の視点からのみのもので。
きっと戦場で命を失った友であろうと、自身が命を落とす羽目になった時の想像であろうと、亡骸のその後まで克明に考えていた訳ではない。
そこへ突き付けられた無慈悲な現実。
腐った身体は腐臭を放ちながら剥がれ落ち、鍛え上げた筈の肉は蛆や鼠に食い荒らされる。
唯一原形を保ったままの骨すら薄汚れ、さぞ悍ましいものに映ったに違いない。
「じきに慣れる。私も初めての時は、泣きながら吐き散らしたものさ」
「っ……!! 貴女も……? 意外だわ……」
「チッ……人が気を使ってやっているというのにそれか。私を何だと思っているんだ」
「ごめんなさい。でも、あまりにも想像が付かないものだから」
「…………だろうな」
かつての世界で、はじめて損傷の激しい遺体を目にした時の事を思い出しながら、テミスは僅かに肩を竦めて静かに告げる。
直後。フリーディアの漏らした感想に苛立ちを露にしながらも、テミスは当時の自分を懐かしみながら、無意識に優しくフリーディアの背を擦り続ける。
朽ち果てた遺体を目にした時の、強い拒絶感を孕んだ感情は、そう易々と乗り越える事が出来るものではない。
そういった類の具体的な死の形に、ある程度慣れていたからこそ、こうして今も剣を振っていられるのだろう。
不意に訪れた穏やかな沈黙の中。
テミスがぼんやりとそんな事を考えていると、フリーディアの背を擦っていた腕が柔らかく押し戻される。
その感触に、テミスが傍らへと目を向けると、未だに顔色は悪いものの、瞳には強い意志の輝きが戻ったフリーディアがテミスを見据えていた。
「フッ……。ここから少し歩いた先に、打ち棄てられていたと思われる小さな漁村の跡があった。広さと地形を考えても、野営するのに問題は無いだろう」
「なら、そっちへ行きましょう。片付けたけれど、私を含めて皆、ここでは休まらないと思うわ」
「っ……」
「ククッ……。まぁ待て。ロロニア曰く、あちら側はどうも水深が浅いらしくてな。我々の船では座礁してしまうらしい。故に、私たちが漁村で野営をするのなら、隊が二つに分かれる事になる」
「……! それは……」
フリーディアに気力が戻った事を確かめたテミスは、クスリと微笑みを一つ重ねてから、淡々とした口調で報告を始める。
すると、フリーディアは告げるべき事柄を皆まで聞く前に結論を出したが、続けられたテミスの言葉を聞くと唇を噛み、周囲の騎士達へと視線を走らせる。
そして、僅かな逡巡を見せた後。
「……やむを得ないわね。今は皆の休息の方が優先。ひとまず、テミス達の見付けてきた漁村に野営陣を張りましょう」
「賛成だ。遺体はあらかた片付けたとはいえ、衛生状態は酷いものだ。こんな場所で病にでも罹る奴が出たら事だからな。虫は兎も角として問題は鼠……船の連中にも、念を入れておいた方が良い」
恐らくは自らの旗下の騎士たちの様子を慮ったのだろう。ゆっくりと首を振ったフリーディアは、静かな声でそう判断を下した。
そんなフリーディアに、テミスはピリリと肌を駆ける緊張感を覚えながら、コクリと頷いて同調したのだった。




