1898話 同胞として
軍港の片隅に茂る藪を切り拓いて進むロロニアに続くこと約五分ほど。
背後を振り返れば既にそこは獣道のような細道が続くばかりで。
身の丈程の草木が視界を完全に遮り、テミス達の周囲は完全に草木によって囲われていた。
「……なぁ」
「何だ?」
「っ……。いや……何でもねぇ……」
ザシュッ! シャギッ! と。
ロロニアの振るった剣が藪を漕ぐ音と、近くから聞こえる波の音だけが響く中。
酷く歯切れの悪い調子でロロニアが口を開くが、淡々と問い返したテミスの返答に再び口を紡ぐ。
普段は竹を割ったように快活な性格のロロニアであっても、言い辛い事の一つや二つはあるものだろう。
テミスとて、根掘り葉掘り無理にそれを聞き出そうなどという野暮な考えは持ち合わせていないが、一度切り出された話を何も聞かされる事無く収められては、諸々と腹が座らないことこの上ない。
尤も、心情としては。テミス自身がこの全く景色の変わらない藪の中を、ゆっくりと進む事に飽きてきたというのも大いにある訳だが。
「おいロロニア。そこまで言ったのならばはっきりと言え。何か言いたい事があると示されたとて、私はお前の心中を察してやれるほど深慮に長けてはいないぞ」
「ッ……! 悪ぃ……。ただ、少し気になってよ……」
「ほぉ……? くふふっ! 良いぞ。話してみろ。一体誰だ? ン……? いや待て当ててやろう。ユナリアスか? それともフリーディアか?」
僅かな苛立ちを交え、テミスが続きを促して尚。ロロニアはモゾモゾと奥歯に物が引っ掛かっているかの如く口ごもりながら、ゆっくりと再び口を開く。
前を行くロロニアの様子は、後ろを歩くテミスからは良く見え、その動きは意中の相手に近しい者へ問いかける男子を思い出させた。
瞬間。
ニンマリと満面の笑みを浮かべたテミスは、一転して愉し気に笑い声を漏らすと、自身の心情を隠す事無くフリーディア達の名をあげつらい始める。
「なぁッ……!? ば……馬鹿野郎!! なに変な勘違いしてやがんだ!!」
「んん……? 何だよ違うのか……つまらん。良いじゃないか。若き湖族の頭領と、その地を収める領主の娘。吟遊詩人にでも知られたら、大流行り間違いなしの物語だ。もしもフリーディアの奴が良いなどという妄言を吐き出しはじめたら、お前の為にも全力全霊で止めておけと言うがな」
「ハァ……アンタ。よくもまぁあの勇名轟く白翼騎士団長をそこまでコケにできるな。俺まで調子が狂って来るぜ。ったく……」
「本心からそう言っているだけだからな。そもそも、アレに恋心などという人間的な感情が備わっているかすら怪しいものだ。博愛主義だと言えば聞こえは良いが、私にはアイツの敵をも赦すソレが、おおよそヒトらしい感情だとは思えん」
「わかった。俺が悪かった。頼むからその手の話題に俺を巻き込まないでくれ。わざわざ余計な争いごとに首を突っ込む趣味はねぇんだ」
ガリ……と。
クスリと微笑んで軽口を叩くテミスに、ロロニアは酷く気まずそうに後頭部を掻くと、深々と溜息を吐いた。
しかし、肝心の話に入ろうとすらしないロロニアにテミスが止まるはずも無く、小さく肩をすくめてフリーディアを評し始める。
その話題はロロニアにとって、いくら聞いたところでただ厄災にしかならないもので。
ロロニアは掌を後ろを歩くテミスへ向けて溢れ出す愚痴を制すると、再び深いため息を吐いてから静かに言葉を続けた。
「……今回の依頼。アンタの発案だって聞いてるぜ。随分と俺達を認めてくれてるんだなと思ってよ」
「ハン……あれだけの死線を潜り抜ける操船技術を有しておいて今更な話だ」
「だが、いくら公爵サマに名を覚えられているとはいえ、俺達は正式な軍に加わる事すら出来ねぇ無法者だ。正直、こういう任務なら公爵直属の連中を連れて行くと思ったぜ」
「っ……!」
だが、ボソボソと続けられたロロニアの言葉は、テミスも目を丸く見開いて驚くほどに意外なもので。
テミスとしては、最前線近くまで出向く事になる今回の任務では、ロロニア達の存在は絶対に外す事が出来ないと考えていたのだが。
どうやら当のロロニア達はそうは思っていなかったらしく、湖族らしからぬ慎ましい言葉に、テミスはクスリと笑みを零す。
「なんだ。もしかしてお前、身分なんか気にしているのか? 悪いが、肩書だけの無能な味方は敵よりも厄介な存在だと私はよく知っている。戦場にそんなものは不要だ」
「……!! へ……へへ……。嬉しい事言ってくれるじゃねぇか。世辞だなんて思わねぇぜ?」
「世辞など捏ねる間柄でもあるまい。お前達の腕を買っているのは本当さ。何ならこのまま、私の旗下に加えたいくらいにはな」
「ッ……!!! ……ったく。揶揄うのも大概にしろってんだ。だがまぁ……覚えておくぜ」
テミスが本心から手放しの称賛を重ねると、ロロニアは背後からでも分かるほどの嬉色を滲ませる。
無論。この言葉に嘘は無いし、テミスはもしも本当に彼等が黒銀騎団へ加わりたいと望むのならば、ファントへ連れて帰る気でいた。
だが。
そんなテミスを振り返ったロロニアの顔には、湖族の長としての気高い誇りが輝いていて。
「あぁ。良く覚えておいてくれ」
テミスは彼等が決して旗下に収まらないであろうことを知りながらも、クスリと皮肉気な笑みを浮かべて静かに言葉を返したのだった。




