1893話 正道の限界
テミスの手による戦力の蹂躙。
眼前に突き付けられた絶望の問いに、フリーディアは言葉を返す事すら出来ず、ただ唇を噛み締める事しかできなかった。
強大な力を手にすれば、戦いはより凄惨なものとなる。そう理解しながらも、フリーディア達に取れる手段は、技術の鹵獲の他に未だ見付かっていないのが現実だった。
それほどまでに彼我の戦力差は大きく、だからこそフリーディアとユナリアスはたとえ過大な力を手に入れたとしても、兵の暴走を防ぐために、自分たちの指揮が及ぶ範囲を広げるべく奔走していたのだ。
けれど、フリーディアはあくまでも白翼騎士団、ユナリアスは蒼鱗騎士団を率いる騎士団長に過ぎず、フォローダの当主たるノラシアスは勿論の事、彼の旗下たる現場指揮官の権限には手が届かないのが実情で。
先日の戦いで、辛くも勝利を収めたという功績があるからこそ、辛うじてまだ足掻く余地は残されているものの、既に八方塞がりに近かった。
「ッ……!!!! ふふ……いっそのこと、それも良いかもしれないわね……」
「なに……?」
ずだんッ!! と。
長い沈黙の後で、フリーディアは固く握り締めた拳を執務机に叩きつけると、絞り出すような声で吐き捨てた。
その様子は、普段のフリーディアの言動からはかけ離れたもので。
テミスは胸の内でふつふつと湧き出し始めていた怒りが吹き飛ぶのを感じながら、驚きの眼差しをフリーディアへと向ける。
だが、ドロリと瞳を絶望に曇らせ、自棄を起こしたかの如く皮肉気な笑みを浮かべたフリーディアがそれ以上の言葉を紡ぐ事は無く、見かねたように傍らのユナリアスがゆっくりと口を開く。
「私たちはもう、手段を選ぶことすらできないほど追い詰められているんだ。先日の戦いでは、君の放つ月光斬やコルカ君たち魔法部隊の強力な魔法、そしてサキュド君率いる飛行部隊の活躍もあって何とか敵を退ける事は出来た」
そう言葉を紡ぎながら、ユナリアスは自身の執務机の端に置かれていた書類の束を取り上げると、ペラペラと捲りながら言葉を続ける。
「けれど、それはあくまでも君たちの力があってこそのもの。鹵獲できた戦艦一つを取ってみても技術の差は歴然。今フォローダにある船とは数世代以上の差があるんだよ」
「……それにしてもらしくないな。如何に戦力に差があろうとも、コイツがその程度で折れるような奴ならば、私もここまで手を焼いてはいない筈だ」
「陸上での戦いならばそうかもしれないね。けれど、この戦争は湖の上。どう足掻いた所で船の質が大きくものを言う。いくらフリーディアたち白翼騎士団が精強でも、水上の足である船が脆ければ水底に沈むのを待つばかりだし、剣が届かなくては何もできない」
「なるほど……見えてきた。だからこそ戦力増強を急ぎ、そして……」
ユナリアスの説明を受けたテミスは、静かに頷いて肩を竦めると、コツコツと足音を立ててフリーディアの机の前へと歩み寄る。
そして、机の上に山と積まれた書類を適当に掴み上げ、素早くその内容に目を通した。
そこには、各所からフォローダに寄越された戦力や二人の指揮下に無い防衛隊のリストが記されており、指揮権を持つ者の性格や概評に至るまでの仔細な情報がまとめられていた。
「手詰まり。という訳だ」
手に取った書類にざっくりと目を通した後。
テミスは薄い笑みと共にバサリと書類を放り捨てると、端的な言葉でフリーディア達の現状を言い当てた。
確かに、武勇に名高い白翼騎士団と、領主の娘たるユナリアス率いる蒼鱗騎士団が、輝かしい戦功を手に自身の元へ集えとでも呼びかければ、その声に応じるものも少なくは無いだろう。
だがそれでは、肝心の元来指揮権を持っている連中からの反発が生じるのは当然の事で。
そして何より、一度の戦功でいとも簡単に勝ち馬に乗るべく飛び付いてくる連中など大した戦力になるはずも無く、真に二人が欲しているであろう熟練の兵や忠義に厚い者達の指揮権には、一向に手が届かないのだ。
「ククッ……! 流石のお前でも、芯の通った通りを捻じ曲げる事はできんか」
しかし、二人の置かれた状況を理解して尚、テミスはクスクスと愉し気に笑いを零すと、目に涙すら溜めて俯くフリーディアを見据えて軽口を叩いた。
これはロンヴァルディアの政。本来ならば外様であるテミスが口を出すべき事柄ではなく、フリーディア達の領分だ。だからこそ、どうしようもない窮地に陥って尚、フリーディアは助けを求めなかったのだろう。
けれど……。
「ま、さもありなん。だ。道理を捻じ曲げ、卑劣な策で悪知恵を巡らせるのは、どちらかというと私の領分だからな」
悔しさに歯噛みするフリーディアとユナリアスを前に、テミスは軽い調子でそう告げると、机の上からペンを取り上げて適当な紙にさらさらと走らせていく。
このフリーディアがここまで追い詰められているのだ。ここいらで少しばかり、借りを返しておくのも悪くは無いだろう。
そう胸の内で嘯きながら、テミスが記したのはたったの一言。パラディウム砦の名前だけで。
「戦功というものは掲げるものじゃあない。要は使い方さ。ククッ……ここは一つ、ご褒美を強請いに行こうじゃないか」
テミスは悪どい笑みを浮かべて二人に告げると、ぺろりと舌なめずりをして見せながら、鼻歌まじりに二人の執務机の上に積み上げられたの書類の山を漁り始めたのだった。




