1891話 力の矛先
早急な報告が必要だ。
ロロニア達からの説明を受けたテミスは即座にそう判断すると、釣り上げた刺突魚と自身の釣り道具を湖族たちの酒場に預け、フリーディア達が詰めている蒼鱗騎士団の詰め所へと駆け込んだ。
幸いな事に、白翼騎士団の制服を身に着けているお陰で、テミスは阻まれる事無く団長室に通された。
一方で、血相を変えて駆け込んできたテミスに何事かと驚いたのはフリーディア達の方だった。
だが、居合わせた長身痩躯の男と何かの協議中であった事を察しながらも、テミスは男の存在を無視して自身の報告を優先した。
「ユナリアス。つい先ほど、この町の湾内で刺突魚の存在を確認した」
「っ……! なんだって!?」
「ロロニ……湖族たちの見解では、本来ならば沖合でしか遭遇しない刺突魚がこの辺りで見られるのは異常事態。群れからはぐれた個体である可能性も考えられるが、何かしらの要因があるとみて、連中も漁師たちの保護に動き始めた」
「……!! 確かに火急の事態だ。報告感謝するよ……リヴィア」
「……」
酒場のロロニア達から得た情報を語り聞かせると、ユナリアスは深々と頷きを返した後、チラリとテミスの傍らで立ちつくす男に視線を向けてから、静かに言葉を付け加える。
リヴィア。テミスの偽名であるこの名を今、敢えて口にしたという事は、この如何にも参謀将校然とした長身痩躯の男は、テミスの正体を隠さねばならない相手だという言外の警告に他ならなかった。
故にテミスも、未だに刺突魚の危険性と意味を理解できていないと言わんばかりに小首を傾げるフリーディアを視線で制してから、瞳だけを動かして傍らの男の様子を窺う。
「根拠に乏しい。ユナリアス様。私としてはこの一件、今一度確かな調査をしてから動く事をお勧めします」
「何……?」
瞬間。
テミスの視界に映った男の顔は、まるで嘲るかのような薄い笑みが浮かんでおり、直後に放たれた慇懃無礼な言葉が、テミスの勘を逆撫でした。
「報告は湖族からとの事でしたが、連中など所詮は唾棄すべき無法者共です。混乱に乗じて良からぬことを企んでいる可能性もあります。そもそも、報告の内にもあった通り、刺突魚は沖合でしか見られる事の無い魔獣。湾内で出現が確認されたなど、嘘にしても程度が低い」
「いきなりご挨拶だな。刺突魚は私がこの手で釣り上げたものだ。大層なご慧眼をお持ちのようだが、これ以上恥をかきたくなければ出しゃばらずに引っ込んでいる事をお勧めする。無能を晒す羽目になるぞ?」
「ッ……!! 出しゃばったのは君の方だろう! リヴィア……とか言ったな? 白翼騎士団の客将だと聞くが、所詮は正規の騎士に取り立てられる程ではないはぐれ者。湖族共と対して違いは無い。報告が終わったのならばさっさと立ち去るが良い」
「クス……お前が何処のどいつだか知らんが、フリーディア達の頭痛の種だという事は理解した。なぁ、どうせ名乗りすらしない無礼な猿なのだ。いっそのこと今、ここで膿を切除してやろうか?」
早々に睨み合い、テミスと男は熾烈な舌戦を繰り広げはじめ、火花散るその戦いを前にして、フリーディアとユナリアスは揃って溜息を零しながら額に手を当てる。
だが、それに構わず。
テミスはカチャリと腰の刀の鯉口を切ると、好戦的な笑みを浮かべて挑発を重ねた。
「チッ……! これだからはぐれ者は……。ご覧になりましたかユナリアス様! このような者の不確かな報告など聞くに値しません! そんな事よりも今は、先の戦いで沈めた敵巨大戦艦の接収と調査を優先すべきです!」
「ま……確かに報告はした。それを生かすも殺すもお前次第だユナリアス。そこの足元すら見えん愚物のように、目下の民の暮らしの事など眼中に無いというならば好きにするがいいさ」
「なんだと!? 私は民を想うからこそ進言しているのだ!! 碌に戦争というものすら知らんはぐれ者には理解できんようだがな。今は戦力の充足こそ最優先なんだ」
「いい加減に止さないか! モルムス司令ッ!! ……リヴィア殿も」
「……失礼致しました。ユナリアス様」
「すまんな。如何に戦時下といえども、そこに暮らす人々には日常がある。戦争を知らんはぐれ者としては、忠告すべきだと思ったのでな」
「ッ……! 貴様……!!」
挑発と皮肉の応酬は、ユナリアスの一喝を前に収まりを見せたかのように思えた。
しかし、一度は舌戦を終えたものの、モルムス指令と呼ばれた男はテミスではなくユナリアスへの謝罪を強調し、それにあてこするかのようにテミスが皮肉を重ねる。
それは新たな火種となってモルムスの怒りを呼び、表情を歪めたモルムスは悠然と微笑むテミスを真正面から睨み付けた。
「……ときに質問なのだが。お前はあの巨大戦艦を手に入れて何をしたいんだ? はぐれ者たる私の見立てでは、あんなものを手に入れた所で、今のロンヴァルディアには手に余るように思うが?」
「フン……これだから……。まぁいい、先見性の無いお前に教えてやる。あれ程の戦力を手に入れれば、胡乱なヴェネルティの連中を蹂躙し尽くすだけに留まらず、憎き魔族共も駆逐できるだろう! その為の! ロンヴァルディアの……いや、人類の未来を見据えるからこそ、調査が必要なのだッ!!」
「…………。なる、ほど……ね」
腰の刀の鯉口を切ったまま、さらりとした口調でテミスが問いかけると、モルムスはテミスの纏う空気が僅かに緊張感を孕んだ事に気付く事なく、朗々と自身の意見を語ってみせた。
だがその答えは、テミスが纏う緊張感が殺気へと変化するには十分過ぎる理由で。
短い沈黙の後。区切った言葉を発すると共に、テミスがゆらりと腰を沈めかけた刹那。
「そこまで!! モルムス指令。お話していた件はまた後程、日を改めてお話ししましょう。今日の所はお引き取りを。リヴィア。貴女はこのまま残りなさい」
表情を青ざめさせたユナリアスの隣で、ガタリと音を立ててフリーディアが立ち上がると、落雷のような怒声を以て場を制し、粛々と言葉を続けたのだった。




