1888話 破滅の知恵
「……そういう訳だ。では、確かに引き渡したからな」
二人の襲撃者とのあらましを語り終えたテミスは、ガタリと音を立てて席を立つと、フリーディアの返答を待つ事無く部屋を辞した。
彼等は恐らくこの後、蒼鱗騎士団か白翼騎士団の者による尋問を受け、持ちうる情報を喋らされることになるのだろう。
だが、雇われだろうと兵士だろうと、任務で敵に刃を向けるのは然るべき事で。例えこの先彼等がどうなろうとテミスの知った所ではないものの、戦略的な打算であろうが、一般の住人たちを人質に取って迫るなどといった強硬策に出なかった所だけは、賞賛に値するところだろう。
「……敵国の地に存在するものは、獣や虫の一匹に至るまですべからく悪。ヴェネルティの連中が、そんないかれた連中でないとわかっただけでも僥倖か」
ボソリ。と。
屋敷の廊下に設えられた大きな窓から夜空を見上げながら、テミスは昏い微笑みを浮かべて独り言を漏らす。
ヒトという生き物は存外、自身の考え方の外に存在する者を理解する事は難しいらしい。
自分にとっては呼吸をするかの如く当然の常識であっても、その常識を有しない者にとっては特異な事で。
極力歩み寄ろうと努力しているフリーディアとテミスでさえ、その根本たる想いはきっと、永劫理解し合うことはできないのだろう。
となればもっと……。例えばあの女神の狂信者サージルのように。
魔族であるというだけで等しく罪深く、善良な精神性を持ち得ていようと等しく鏖殺する事こそ正義。
そんな、どう足掻いても手を取り合う事など不可能な相手よりも、己の損得勘定やプライドに基づいて動く連中のほうが、相対するにしても幾ばくかはマシというものだ。
「柄にもなく、自爆特攻船なんかが出て来やしないかと危惧した訳だが。流石に杞憂だったか」
魂の記憶にこびり付いた知識によれば、窮地に追い込まれたかつてのかの国では神風特攻隊なる部隊を組織し、爆弾を満載した飛行機で敵を道連れに玉砕したという。
言うなればそれは人力誘導式ミサイル。
自動で敵を追尾する必要のある現代兵器のミサイルとは異なり、それら精密かつ高精度な技術を必要とする機能を全て人が代替する事で、倫理を吐き捨てる事さえできれば、この世界の技術力でも再現する事は出来る。
だからこそ、テミスは連日湖のほとりへと足を運び、湖の監視を続けていた訳なのだが。
「待ってくれ……!」
「……!」
眠気の混じり始めた頭でそんな風に思考を巡らせながら、テミスがゆったりと歩みを進めていると、背後から慌ただしい足音と共にユナリアスの声が響く。
その声にテミスが振り返ると、どうやら幾らか漏らしていた独り言を聞かれていたらしく、良い香りを燻らせる茶器を手に、既に間近にまで接近していたユナリアスの顔は緊張の色を帯びていた。
「っ……すまない。立ち聞きするつもりは無かったんだ。ただ事情を聴くのに時間を咲かせてしまったからな、せめて寝入りが良くなるようにとお茶を持って言って貰おうかと思ってな……。深慮な君の事だ。もしかしたら……とは思っていたのだが……」
「……どこまで聞いていた?」
「追い付いたのはつい先ほどだよ。自爆特攻船なるものを君が危惧していたと」
「っ……!」
目を鋭く細めて問いかけるテミスに、ユナリアスは酷く気まずそうに目を反らしながらボソボソと答えを返す。
だがそれは、テミスが頭を抱えるには十分過ぎるほどで。
自らの迂闊さに眩暈を覚えながら、テミスはパシリと自身の額に掌を当てる。
「忘れろ……と言っても無駄だろうな」
「君がそう命ずるのならば、努力はするよ」
「やれやれ……。私の落ち度だ。この場で殺して口を封じるなどという無体な事はしないが、少なくとも世に出すべき知識……発想ではない事だけは理解してくれ」
「……わかった」
抜き身の刀のような鋭さを帯びたテミスの言葉に、ユナリアスは穏やかに緩めていた表情を引き締めると、背筋を正してコクリと頷きを返す。
茶器を抱えるその手が僅かに震えている辺り、彼女の態度がこの場を切り抜けるための嘘ではない事が見て取れると、テミスは余計な着想の可能性を潰すために、正しい知識をユナリアスに語り聞かせた。
「ッ……!!! 悪魔の発想だ……。あり得ない……!!」
「あぁ。狂気とも言うべき想いや信念があってこその戦略だ。それほどの覚悟を持った兵を数多く擁する事は現実的には難しい。だが……」
「……これ以上聞くのは止そう。先ほどはああいったが、私もこの話は忘れるとする。確かにこれは、決して広めてはいけない考え方だ」
「理解してくれて感謝する」
静かにテミスが語り終えると、顔色を真っ青に変えたユナリアスはガタガタと全身を震わせ、その存在を否定するかの如く弱々しく首を横に振る。
そう。己の命すら使い捨ての道具として敵を滅するなど、本来ならば到達し得ない狂人の発想だ。
しかし、自身の手でやろうと考えるものは少なくとも、他人にやらせる手法を捻り出す輩はいくらでも居る。
そこから始まるのは、幾万幾億もの死体が積み重なる悲劇と絶望であり、それは間違い無くこの世界を蝕む毒と化すだろう。
だからこそ。
「この茶は有り難くいただいておく。落ち着いたらフリーディアの元へ戻り、なるべく早く休むと良い」
「そう……だね……。部屋まで送れなくて申し訳ないけれど、そうさせて貰うよ。情けない話だが、しばらく動けそうにない」
「クス……。構わない。それでは、良い夢を。ユナリアス」
テミスは震えるユナリアスの手から茶器を受け取ると、静やかな笑みを残してクルリとその身を翻したのだった。




