1887話 積み重ねし誇り
テミスの配慮とフリーディアの鬱憤。
どちらも共に珍しい感情の発露が招いたのは、喋り出す事すら困難なほどに酷く気まずい空気だった。
そんな不定形の難敵を前に、二人が選択したのは全力での逃走で。
しばらくの沈黙が続いた後。ゆらりとテミスの傍らへと歩み寄ったフリーディアはテミスの首から首輪を外すと、酷く事務的な声で質問を始めた。
テミスもまた、頬を僅かに赤らめながら腕を組み、足を組んで淡々とフリーディアの質問に答え、それからはこれまで滞っていた話が嘘のように円滑に進み始める。
そして……。
「……今の話を総合すると、少なくとも彼等はヴェネルティ連合の正規兵では無いわね」
「根拠は? そうまではっきりと断言するんだ。それなりの訳があるんだろう?」
「彼等の扱ったという剣技だよ。ヴェネルティ連合は元々ロンヴァルディアの一部だった国。根ざす剣技は私たちの扱う正当流派とさほど変わらない筈だ」
「付け加えるのなら、ヴェネルティは公国……つまり高位貴族が治める国よ。正規兵や騎士団といった立場の者ほど、誇りと伝統を重んじるわ」
「フム……。つまりコイツ等の剣は邪流。たとえ何も語らずとも、積み重ねた剣技や研鑽が己を証明するとは……皮肉だな」
真剣な声色で結論付けたフリーディアに、未だにそう断言するには足りないだろうと考えるテミスが問いかけると、傍らから温かな湯気を立たせる紅茶を差し出したユナリアスが優美に告げた。
その解説を補足するように、フリーディアはユナリアスよりももう少し深堀した点にまで言及し、チラリと視線を襲撃者達へと向ける。
つまるところは歴史。
その誇りとも言うべき考え方はきっと、王族の一員であるフリーディアや、高位貴族のユナリアスだからこそ持ち得るものなのだろう。
元よりそのような歴史など持たないテミスとしては、そう言った誇りこそまさに付け入る事のできる隙そのもので。もしもテミス自身が本気で相対するのならば、まずそういった認識の齟齬は利用して罠を張る。
だが仮に彼等が|そう〈・・〉だったとしても、自分ならばそれを証明できるような物品など一つとして持たせる事は許さないだろう。否。寧ろ彼等がまともな兵士ではない事を示す偽りの証拠を持たせて、混乱を助長させる。
だからこそ、仮に彼等をここで裸に剥いて調べたとしても、意味は無い……か。
「ン……?」
「……? どうしたの?」
「……!! これは……美味しいな……!」
フリーディア達の言を受けて、テミスがそう思考を巡らせているとテミスはふと一つの事実に気が付いて喉を鳴らすと視線を上げる。
そこでは、テミスの手土産である魚の天ぷらを頬張っているフリーディアとユナリアスの姿があり、首を傾げて応じてみせたフリーディアの傍らでは、歯型の付いた天ぷらを手にしたユナリアスがぶるりとその身を震わせていた。
「……少し塩を振りかけてみろ。旨味が増すぞ」
「っ……! なんと!! 塩か……この部屋にあっただろうか……? 今から厨房に……いや、待てよ? 確かこの間……」
「……。ユナリアス……相当あなたの手土産が気に入ったのね」
「ふっ……何よりだ」
何処か気の抜けてしまうような二人の姿に、テミスはふと脳裏に浮かんだ疑問すら投げ棄てて目を瞬かせた後、肩をすくめて穏やかな声で助言を添える。
その言葉に、ユナリアスは目を輝かせながら小さく跳ねると、食べかけの天ぷらを手にしたまま、何やらブツブツと独り言をつぶやきながら、部屋の隅の棚を漁り始めた。
一方でフリーディアは、無邪気な様子を見せるユナリアスに苦笑いを浮かべた後、テミスへ視線を向けて告げた。
テミスもまた、純粋な喜びを見せるユナリアスの姿は嬉しいもので。フリーディアの視線に肩を竦めてみせはしたものの、満足気な微笑みを浮かべて応えてみせる。
「それで、どうしたの? 何か気付いた様子だったけれど」
「ン……あぁ。彼等が正当な剣術でないが故に、正規兵でないと断ぜられるのならば、私もまた同じだったなと思っただけさ」
テミスの扱う剣術は我流で、得物の差こそあれどフリーディア達のものとはまるで違う。
他国同士の戦いに首を突っ込む以上は、ある程度自身の正体を隠す必要があるだろうと考えていたのだが……。
「ふふっ……! 大丈夫よ。私からしてみれば貴女の剣術はまだまだだもの。そうね、|白翼騎士団〈ウチ〉に新しく来た新米騎士ってところかしら?」
「なっ……!?」
「そもそも、そんな事心配する方が野暮よ。大剣なんて筋肉が服を着ているような大男でもないと扱えない武器よ? そんな細身で扱っている時点で、貴女が冒険者将校なのは一目瞭然じゃない」
「……! ふぅむ……それもそうか……」
テミスの疑問に、クスクスと楽し気に笑いながらフリーディアは答えると、まるで何かを待っているかのように、一瞬だけ視線をチラリとユナリアスの方へと向ける。
そんなフリーディアに気付かず、テミスは大真面目にフリーディアの言葉を受け取ると、何処か釈然としない思いを抱きながらも、ゆっくりと頷いたのだった。




