1884話 利得か絆か
テミスの挑発を受けて尚、眼鏡の襲撃者は視線に力を込めこそしたものの、安易に斬りかかってくる事は無く、口を噤んだままゆらりとその場で剣を構え直す。
対するテミスは、捉えた襲撃者の動きを腕一本で封じ込めながら、残った片腕で腰の刀を剣帯から鞘ごと抜き放った。
一時は大勝を収めたとはいえ、今はまだ戦時中。
こうした斥候や暗殺者の類が紛れ込むのは想定内だが、幾らなんでも時期が早過ぎる。
だが、フリーディアたちの話では、確か先日一戦を交えたのはヴェネルティ連合を構成する三つの国の内の一つであるヴェネトレアらしい。
「ハッ……なるほどな。ヴェネルティは連合国家。一国を叩こうとも、疲弊した相手を残りの二国が食らい付くという訳だ」
連合国とは時折、|多頭龍〈ヒュドラ〉などの数多の頭を持つ生物に例えられる。
今回こそまさにその例を体現した動きそのもの。ヴェネトレアという頭一つを叩いた所で、残り二つの『頭』は無傷に近しいのだ。
交戦後の最も気が緩むであろうこの瞬間を、座したまま見過ごす阿呆などいない。
「さて……となると、どちらのお客さんだ? んん? 仮初とはいえ騎士の身分を頂戴している身の上だ。ここはひとつ、職務質問と洒落込むか。あ~……コホン。身分証明書を持っているのなら提示しろ。軍属ならば記章を、冒険者ギルドの証明でも構わんぞ」
「……ふざけた奴め」
「クク……わからんか? 私は選ばせてやると言っているんだ。敵国の放った刺客として拷問室へご招待するか、不運にも騎士に絡んでしまったごろつきとして、大人しく尋問室へついて来るかをな」
「どっちも……御免だッ!!」
「――おっと!」
不敵に微笑んで告げるテミスに、眼鏡の襲撃者は吐き捨てるように叫びをあげると、トリッキーな動きで前へと踏み込みながら横薙ぎの一閃を放つ。
だが、テミスは半歩退いただけで眼鏡の襲撃者の放った斬撃を悠然と躱し、捉えた男の捻り上げた腕を強く引き寄せながら、壁沿いに数歩退いてみせる。
そこへすかさず襲い来る第二撃は鋭く、刃はつい先ほどまでテミスが居た場所の背後の壁に深い刀傷をつけた。
「ガッ……ァァァァアアアッ!!! 畜生!! 引っ張るなッ!! 痛てぇんだよクソがッ!!」
「うるさい。こっちは戦闘中なんだ。動くに決まっているだろうが」
「チッ……! 逆に腕を引っ張って動きを鈍らせるとかやる事あんだろうが……。役立たずめ」
僅か一合の攻防を経て、テミスと眼鏡の襲撃者は壁を傍らに相対すると、互いに鋭い視線をぶつけ合う。
そのすぐ傍らでは、テミスが腕を捕らえたまま動いたせいで、最初に腕を捕らえた襲撃者が苦悶の叫びをあげる。
けれど、即座に叩きつけられたのは、テミスと仲間であるはずの眼鏡の襲撃者からの辛辣極まる言葉で。
「だぁぁっ!! テメェはいったいどっちの味方だよ!! 敵と一緒に馬鹿にしてんじゃねぇ!!」
「クス……随分と喧しいお仲間だな? だが、そうまで口汚く罵る癖に、見棄てて逃げはしないらしい」
「……テメェもうるせぇよ」
癇癪を起して怒鳴り声をあげる男をチラリと眺めながら、テミスはクスリと挑発的な笑みを浮かべると、眼鏡の襲撃者へ向けて言葉を重ねた。
今の攻防でこの男も、彼我の戦力差は悟っている事だろう。
それでも尚、こうして立ち向かって来るという事は、この捕らえているお仲間がよほど重要な情報を握っているのか、それとも……。
そう思考を巡らせるテミスを前に、眼鏡の襲撃者はボソリと舌打ち混じりの言葉を吐き捨てると、再びゆらりと大きく状態を揺らした。
「……っ!!」
「そうやって! いつまで余裕ぶっているつもりだァ!? こっちは! 一向に! 構わねぇけどなぁ!」
「いやなに。なかなか面白い剣技だったからな。少し様子を見ていたのだ。別にお前が喋らずとも、幾らでも情報は集められる」
「ッ……!!」
「だが……うん。十分か」
「なっ……!!?」
静かな怒声と共に猛然と斬りかかる眼鏡の襲撃者の攻撃を、テミスは一歩たりとも動く事なく躱し、弾き、反らしてみせる。
フリーディアの扱う剣技とは異なる異邦の剣技は、テミスにとっても真新しく新鮮で。
また、フリーディアやユナリアスの扱う剣技がロンヴァルディアと深く結びついているように、この剣技もまたいずれかの国に属するの可能性もある。
だからこそ、おおよその動きを把握するまで観察していたテミスだったが、特徴を捉え終えた今、これ以上無駄に戦いを引き伸ばすのも無粋。
そう判断したテミスは、それまで手に携えたまま使わなかった刀をゆらりと持ち上げると、上体を反らして振りかぶった眼鏡の襲撃者の剣の柄を止める。
そして。
「ご苦労。喜べ。運がよければ、優しく取り調べてくれるだろうよ」
「がッ……!? く……そッ……!!」
「あっ!! クソッ!! 離しやがれ!!」
「お前も少し寝ていろ」
そのまま、テミスは驚愕する眼鏡の襲撃者の懐へするりと一歩踏み込むと、クルリと刀を返してその柄頭で強烈に顎を打ち上げた。
テミスの一撃は、襲撃者の意識を刈り取るには十分過ぎる威力を誇っており、眼鏡の襲撃者は剣をその場に取り落とし、遅れて意識を失いドサリと崩れ落ちる。
それを見た囚われの襲撃者が再び喚き声をあげるが、テミスは冷ややかな目で己の捕らえた襲撃者を見下ろすと、淀みの無い動きで首筋を打ち据えて即座に意識を刈り取った。
「……やれやれ。これでは手土産も冷めてしまうな」
二人の襲撃者の意識を絶った後。
刀を剣帯へと戻したテミスはおもむろに壁際へと歩み寄り、戦闘の前に落した釣り具と包みを拾い上げると、どこか悲し気な雰囲気を漂わせながらボソリと呟きを漏らしたのだった。




