1881話 釣果の宴
夜。
釣りを終え、湖族たちが根城としている店へと赴いたテミスは、ロロニアを前にしてカウンターの内側に立っていた。
傍らには、バーテンのような風体をした大柄の男。
どうやら彼もまたロロニアたち湖族の一員らしく、平時はこの店の取り仕切りを、船に乗る時は炊事全般と救護を担当しているらしい。
「ま……要するに雑用だよ。ちっとばかし料理が得意なだけだぁね」
へらりと軽薄な笑みを浮かべて軽口を叩く店主の様子からは、言葉とは裏腹に漲るような自身が漏れ溢れていて。
事実。この店で出される料理はどれも美味く、酒もこういった場末の酒場にありがちな混ぜ物の類は一切されておらず、幅広い銘柄を取り揃えている。
つまるところ、自信と経験に裏打ちされたが故の軽口からくる態度なのだろうが。
炊事場にテミスが立った今、この場の主たる店主の顔からは軽薄な笑みが消え、真剣そのものといった表情でテミスの一挙手一投足を見据えていた。
「おい店主。油と片栗……あ~……小麦粉よりきめの細かい、白い粉はあるか?」
「油ならそこの壺の中だけどよ……。ハァ……見損なって貰っちゃあ困るぜ。これでも俺達ゃこのフォローダの領主様から認められてこの稼業やってんだ。料理人の誇りに誓って、メシに混ぜモンなんざしちゃいねぇよ」
「……? 混ぜ物? 何の話だ? 水に溶かすととろみがついて、そのまま握るとキュッキュッと音が鳴るくらいきめの細かい粉だよ! 無いのなら小麦粉でも構わんが……」
「水に溶か……あ~……お頭?」
「悪ぃがこの店は見ての通りだ。あんま大層な材料を期待されても困るぜ。そもそも、そんな不思議な粉なんざ聞いた事がねぇ。悪いが、小麦粉で我慢してくれ」
下ごしらえを終えたテミスが静かに問いかけるが、店主は深いため息と共に不満気に表情を歪めると、肩を竦めながら答えを返す。
しかしテミスはただ、小麦粉ではなく片栗粉の在庫があるかを問いかけただけで。
まかり間違っても料理ですらない、怪し気な粉などを求めた訳ではないのだが……。
話の食い違いを察したテミスが、己が求める『粉』の詳細を並べ立てると、店主もそこで漸く己の勘違いに気が付いたのか、眉を吊り上げて席に腰を落ち着けているロロニアへと視線を向ける。
すると、店主の意を受けたロロニアはクスリと微笑みを浮かべ、木製のジョッキを傾けながら店主の代わりに答えを返した。
「フゥム……こちらではあまり出回っていないのか。となると竜田揚げは厳しいな。ならば……よし。天ぷらで行くか」
「なぁ、その何とかってぇ粉は食材なのか? タツタアゲ……? 聞いた事の無ぇ名前の料理だが、どうやって作るんだ?」
「こちらでは何と呼ばれているかはわからんが、芋を濾して作る粉さ。その粉を衣に……食材にまぶして作る揚げ物を総じて、竜田揚げと呼ぶんだそうだ。普通の揚げ物よりもザクザクとした歯ごたえで美味いぞ」
「っ……!! お頭。突然で悪りぃが、一つ頼みがある」
「わかったからそう睨むな。ウチでもその粉を仕入れるにはどうすれば良い?」
テミスは言葉を交わしながら、店主から小麦粉の入った袋を受け取ると、空いた器に入れて着々と準備を進めていく。
だが、気楽な調子で話すテミスとは異なり、店主のまるで人生の岐路にでも立っているかのような真剣さが籠った眼差しを受けたロロニアは、酒の入ったジョッキをコトリとカウンターの上に置くと、鋭い微笑みを浮かべて問いを口にした。
それはただの知り合いや、仲間に向けたものでは無く、湖族の頭領としての意が込められた問いだった。
「……! クク……そうだな……」
無論。ロロニアの言葉の真意に気付かないテミスではなく。
仕込みの手を止めて不敵な微笑みを浮かべたテミスは、人の少ない店の内へ静かに視線を巡らせた後、ゆっくりとした動きでカウンターの方へ身を乗り出し、囁くような声で口を言葉を続ける。
「ファントの町まで人を寄越せるのなら、卸すように伝えておいてやる」
「っ……! ありがてぇ。陸の事ぁ正直専門外だが、意地でも何とかしてやるぜ」
「さ……て……商談も一つ纏まった事だ。そろそろコイツを……っと!」
「ッ……!!?」
テミスの出した条件に、即断即決したロロニアは頷きと共に力強く答えを返す。
すると、ヒラリと身を翻したテミスは満足気な微笑みを浮かべ、下ごしらえをした魚をおもむろに取り上げると、熱した油で満たした鍋の中へと静かに放り込んだ。
瞬間。
シュワッ……!! と景気の良い音を奏でながら鍋はパチパチと爆ぜ、ビクリと肩を跳ねさせた店主は及び腰になりながらも、食い入るようにテミスの手元を見つめていた。
「……油は新鮮なものを使う事。熱した油は危険だ。触れれば肌が焼け爛れるし、目にでも入ったら光を失う可能性もある。蕩けた鉄を扱っているようなものだと思え」
「っ……!」
「鍋に満たした油に火が触れれば、瞬く間に燃え上がる。加えて燃え上がった火に水でもかけた日には、油が弾けて更に炎は猛り狂う。万に一つ鍋から火があがったら、他に燃え移る前に蓋をして火元から離せ。そのまま時間を空ければ油の火は消える」
「何つぅ恐ろしい……!! とても船の上じゃ作れねぇな……」
「フッ……だがその分美味いぞ? そら! できあがりだ。釣った魚は山ほどある。幾らでも作ってやるから、ひとまず食ってみるといい」
揚げ鍋に視線を向けながら、テミスは背後の店主に向けて、淡々とした口調で注意事項を並べてていく。
この調子ではどうせ、知らないまま見様見真似で試す気なのだろう。だが自分が原因で店が燃え尽きたとあっては気分が悪いからな。
テミスはそう胸の内で言い訳を零しながら、自分の忠告に顔を青くする店主に微笑みかけると、綺麗に揚がった魚の乗った皿をロロニアの前へと差し出したのだった。




