1878話 死の商人
ヴェネトレアの議会に乱入した男の装いは、おおよそ異質なものだった。
軍人然とした張りのある意匠の服で身を固めているにも関わらず、華奢な体躯は彼が軍属ではない事を声高に物語っている。
だというのに。眼鏡の奥にきらりと光る黒い瞳は理知に満ち満ちており、飄々とした態度とは裏腹に、深い思慮を窺わせた。
そんな男の乱入に、声を上げようとした年老いた男は開きかけた口を噤み、議論を戦わせていた年老いた男たちも皆、一様に苦虫を噛み潰したかのような渋い表情を浮かべている。
対して、怒りと共に勇ましい声を上げていた壮年の男たちの表情は、まるで戦場に友軍でも駆け付けたかの如く輝きはじめていた。
「おぉッ……!! 来てくれたかッ……!!」
「えぇ勿論。敬愛すべき皆様がたの窮地とあれば、私はいつでも駆け付けますとも」
「フンッ……良く言うわ……」
「お前が更に力を貸してくれるとあれば非常に心強いッ!!」
「はははは! 私はただ、ご期待に沿えるよう微力を尽くすのみですよぉ」
一斉に席を立ち、現れた男を取り囲む壮年の男たちを、年老いた男たちは蔑むように眺めながら鼻を鳴らす。
この怪しさに満ちた男の名はバイニン。
ヴェネルティ連合の中で唯一、ロンヴァルディアへの侵攻へ慎重だったヴェネトレアが掌を返した原因でもあるのだ。
開戦前。財政状況に問題を抱えていたヴェネトレアに多額の融資を申し出ると共に、最新鋭の戦艦やあの巨大戦艦を引っ提げて現れたこの男は、瞬く間にその巧みな話術を以て議会に名を連ねる者達の心を虜にしていった。
故に。当初より開戦に反対の意を唱えていた者達にとって、彼は招かれざる客であり、逆に今も尚継戦を望む者達にとっては力強い援軍であることだろう。
「……バイニン殿。この場は関係者以外の立ち入りはご遠慮いただいておる」
「何を仰るかッ!! バイニン殿はもはや我が国に欠かすことの出来ぬお方! この窮地を切り抜けるため、我らと共に肩を並べる事に問題など何も無いはずッ!」
「バイニン殿。お気を悪くされないで下さい。我々は最早盟友と言っても過言ではありません! 此度の戦が終わった暁には、是非ともヴェネトレアの一員として正式に議会に加わっていただきたい程です」
「またまたご冗談を。一介の商人である私には、皆様のような重責に耐えられるとは思えません。ホラ、見て下さいよこの細い腕を」
「ガハハハハッ!! いやはや、この謙虚さこそバイニン殿の聡明さよな! 我が身可愛さしか頭に無い何処ぞの誰ぞにも見習っていただきたいものです」
部屋の最奥に座す年老いた男が嗜めるように告げるも、勢い付いた壮年の男たちは取り合う事無くバイニンを席に着かせ、皮肉までも叩き始める。
だが、当のバイニンはのらりくらりとどちらともつかない態度でへらへらと冗談なんかを飛ばしながら、自然な所作で壮年の男たちの輪の中に腰を落ち着けていた。
「まぁ今その話は止しましょう。こうしてバイニン殿がいらっしゃったのだ、きっとまた何か、この状況を打破できる妙案をお持ちなのだろう」
「おお、そうであった。お歴々がたもまずは、結論を急がれる前にバイニン殿のご提案を聞かせていただいてからでも遅くないのでは?」
「ウム。きっとまた何か、利のあるお話をいただけるに違いない!」
「いやぁ……これはこれは参りましたねぇ……。皆様の多大なご期待にこのバイニン、緊張のあまり震え出してしまいそうです。ですが……私などの浅知恵でよろしければ、お話しできる事も確かに御座います」
「えぇい焦らすのぅ! バイニン殿は! ささ……! どうぞどうぞッ!!」
ワイワイと持ち上げられる中で、バイニンは不敵な笑みを浮かべながら、壮年の男たちに勧められるがままに静かに前へと進み出ると、にっこりと笑みを浮かべて年老いた男たちを見渡してから、満を持して口を開く。
「私もよもや、ロンヴァルディアがあれほどの戦力を有しているとは、正直想定外でした。私が独自に掴んだ情報ですと、どうやらあの白翼騎士団まで引きずり出してきたとか」
「っ……!! 何処からそれをッ……!!」
「んふふ……。商人たる者、耳が聡くなくてはやっていけませんから。ですが私の方もあのクラムトローネが破られるなどとは驚きでして。我々にも、クラムトローネの同型艦はご用意いたしかねるのです」
「なんと……!! そ、そこを何とかできんのかね……!?」
朗々と語り始めたバイニンの言葉に、彼を囲う壮年の男たちは表情を曇らせ、不安気な面持ちで言葉を重ねる。
しかし、片手で頭を抱えて大仰な態度で首を振るバイニンの目は、揺らぐ事無く年老いた男たちを見据えていて。
「今回の戦いで失った最新鋭艦の補填に加えて、更に粒ぞろいの船と船員ならばご用意できます。敵の放ってみせた一撃は脅威ですが、所詮は一発の大技頼り。圧倒的な数で圧し潰してしまえば恐るるに足りません!」
「なんとッ!! 確かにその通りだッ! ではまたそれだけの船を我々に――」
「――申し訳ありません。私も商人。先だってのお話は私からの顔見せのご挨拶のようなもの。我が身を切ってのご提供でした。勿論! 今回もお安くご提供させていただきますが、お代が金貨にしてざっと五千万枚ほどになりましてぇ……」
「なッ……!!? き、金貨五千万枚……!?」
流暢に話を進めていくバイニンは話の流れを完全に掌握すると、さらりとした口調で途方もない金額を叩きつけた。
金貨五千枚など、元より財政難を抱えていたヴェネトレアには到底支払う事が出来るような金額ではなく、バイニンの傍らに立っていた壮年の男たちですら、顔を青ざめさせていた。
だが……。
「ですが私と皆様の間柄です。先だってご用意させていただいたものと同じく特別に、お支払いは戦いの後……ロンヴァルディアをその手に収めてからでも構いませんよ」
「ははっ……!! バイニン殿もお人が悪い。それならば何の問題もありませんなぁ!」
キラリと黒い瞳を輝かせてバイニンが言葉を付け加えると、傍らの男たちの間に流れていた緊張感がいっぺんに緩む。
しかし、相対する年老いた男たちの表情は厳しいままで。
部屋の最奥に座する年老いた男は、長い沈黙を経て真っ直ぐにバイニンを見据えると、ゆっくりとした調子で口を開く。
「……我らには戦いに勝たん限り到底支払えぬ額じゃ。そうなるとお主は我々が敗北を喫した場合、途方もない損を被ると思うのじゃが?」
「あはははっ! 何を仰いますか。以前のお金と同じく、このお金もいわばヴェネトレアという国家へお貸しするものです。皆様がお支払いできずとも、国民総出で働けば一代程度でご返済いただけますよ。まぁ、敗北を喫する事などまずあり得ませんがねぇ」
告げられた問いに、バイニンはにっこりと満面の笑みを浮かべると、淀むことなくさらりと答えを返した。
けれどその瞳は夜の闇よりも深く暗く淀んでいて。
「…………今すぐに決める事ができる話ではない。しばらく議論の時間を頂きたい」
「畏まりました。では、私はまた出直すと致しましょう。また折を見てお伺いいたしますよ」
絞り出すように告げる年老いた男に、バイニンは変わらぬ調子で答えを返すと、ヒラリと身を翻してから一礼をし、足早に部屋を去っていったのだった。




