1877話 敗北の衝撃
明かりの陰る豪奢な館の中には、陰鬱な空気が立ち込めていた。
円を描くようにして設えられた席で額を突き付ける者達の表情は一様に暗く、どんよりと重たい空気はまるで深海を思わせる静寂を帯びている。
「…………。その情報は、本当なのか?」
「……はい。残念ながら。大戦艦クラムトローネより脱出してきた兵からの報告です。信憑性は高いかと」
「ヌゥゥゥ……」
「ッ……!! あ……悪夢だ……」
酷く重苦しい静寂の中。
身なりの良い年老いた男が静かに口を開くと、傍らに座る眼鏡をかけた男が答えを返す。
だが、この二人が僅かに言葉を交わしただけで、この場に漂う雰囲気がより一層鈍重さを増し、短い沈黙の後で年老いた男が唸り声をあげる頃には、絶望の呻き声すら零れてきた。
「そもそもだ。敵の欺瞞情報では無いのか? あの大戦艦クラムトローネが沈んだなど、到底信じがたい」
「そ……そうだッ! あの船には我らヴェネトレアの誇る勇者ユウキ一行も乗艦していたというではないか!! それが、いとも容易く沈むなど、どう考えてもつじつまが合わないではないかッ!!」
「ウム! 事実、敵船はこのヴェルンに迫りながらも、クラムトローネの出撃と同時に大慌てで遁走したと報告を受けている」
「戦力差は歴然! あり得ん事だッ!!」
そんな絶望の中で紡がれた問いに、男たちはまるで縋るかの如く同調をはじめ、次第に絶望に淀んでいた瞳を輝かせ始める。
しかし。
身なりの良い年老いた男と他数名の表情が晴れる事は無く、寧ろ今この現状を憂うかのごとく口を噤み続けていた。
「連中は時間稼ぎをしているのだ! 今こそまさに好機ッ!」
「せめて攻めて攻め続けるッ!! 全軍を以て攻め入る他に無いでしょうッ!!」
一度勢いが付いてしまえばもはや何もせずとも議論は加速していき、つい先ほどまで彼等に覆い被さっていた筈の絶望は何処へ消えて失せたのやら、熱を帯びた叫びまでがあがり始める。
だが……。
「いい加減にせんかッ!!!」
「ッ……!!!」
「…………」
身なりの良い年老いた男は拳を机に叩きつけると、声を荒げて一喝する。
瞬間。
議論の場に立ち込めていた熱は吹き飛び、代わりに水を打ったような静寂が訪れた。
「……現実を見よ。それとも、お前達は退いてきた兵達の、命を懸けた報告を黙殺するのか?」
「パラディウム砦攻略作戦に参加させた者達の報告もある。国を導く責を負う者として、我々は現状を正しく受け入れるべきだ」
「やはり、大規模侵攻自体が間違いだったのだ。ロンヴァルディアはこれまで、魔族連中と鎬を削り続けてきた同胞。たとえかつて、袂を別っていようとも、胸に抱く思いは同じであったはず」
「っ……!」
年老いた男の一喝を皮切りに、これまで口を噤んでいた男たちが重々しい口調で口を開きはじめ、議論に熱を上げていた者達を静かに睨み付ける。
そうして口を開いた者達は皆、この場に集った者達の中でもひと際年を重ねているようで。
逆に鼻白んだ者達は、到底若者と呼べる年ではないものの彼等を一喝した男ほど年老いてはおらず、壮年と呼ぶにふさわしい年ごろの者達だった。
「今更何を言うかッ!! 今回の侵攻は我々の総意ッ!! あなた達もそう納得しての事だったはずッ!!」
「ハンッ……!! 言うに事欠き総意だと? 少なくとも儂は、最後まで反対をしておったはずだ。それを数の理で押し潰したのは貴様等のはず。責任の所在を違うなよ小僧め」
「クッ……! だとしても! 我々を説き伏せることの出来なかった貴方の落ち度でもある! 違いますか!?」
「はっはっ……! ならば我々の意見に全面的に従うと言うのだな? なれば今からでもロンヴァルディアに使者を送り、秘密裏に和平を結ぶべきであろう。何処ぞの阿呆が吹っ掛けた無駄な戦いの所為でそれなりの代償は払わねばならんだろうが、我らヴェネトレアがこれ以上の戦火を被ることは避けられようて」
「馬鹿なッ!! 古より続く連合の盟約を違えよと言うのかッ!!」
「おや? これは異な事を言う。たしか私の記憶では、君たちは古より続くロンヴァルディアとの盟約を違え、その背を刺すべきと論じた筈だが? その時に反論した私を……はて、君たちは何とせせら笑ったかねぇ?」
「なっ……!! 我々を愚弄するかッ!!」
熱を帯びた議論は次第に怒声へと変わり、相対する意見を掲げる者達の間で、最早罵声と何ら変わりのない言葉が、喧々囂々と飛び交い始める。
もはや当初の話題であった戦況の真偽など誰も語り口に上げる事は無く、議論の場であったはずのこの場所は、講和を模索する意見を持つ者達と継戦を唱える者達による意見の叩きつけ合いの場と化していた。
「そうだ! 我々は連合ッ! こんな時こそ同盟国に助けを求めるべきッ!」
「馬鹿を言うなッ! 切り札たるクラムトローネを失ったなどと知れれば、どれほど吹っ掛けられるか分からんではないか!!」
「我等は最初から道を間違えたと言っておるだろう! ここは退く以外に道はない!!」
「――っ」
もはや議論の体を成していない。
そう判断した年老いた男が、ひとまずこの場を解散させるべく、口を開きかけた時だった。
「お邪魔致しますよォッ! 皆々様が何やらお困りのようとお聞きいたしまして。参上仕りました」
バンッ……!! と。
けたたましい音を響かせて部屋の戸が開くと、ぴしりとした服で身を固めた一人の男が、飄々とした態度で踊り込んだのだった。




