1873話 想い違えど
かつてない程に感情の籠ったテミスの震え声が響いた後。二人の間に訪れたのは静寂だった。
周囲を漂うのは、今も尚フォローダヘ向けて疾駆する船の駆動音と、切り裂かれゆくさざ波の音だけ。
船の末端で肉薄したテミスとフリーディアの間を遮る物は無く、そこにはまるで深い森の中のような静謐に満ち満ちていた。
「…………」
「…………」
……莫迦か私は。
黙したまま真っ直ぐに自らの目を見据え続けるフリーディアの前で、理性を取り戻したテミスは苦々しい想いと共に胸の内でひとりごちる。
いくら言葉を重ねようともコイツとは分かり合えない。
どれ程研ぎ澄ました想いをぶつけようとも、コイツが理解を示す事は無い。
何故なら、我々の目指す道は真逆のようで似て非なるもの。
私には憎むべき敵を赦す道理が理解できないように。
コイツには赦すべき敵を憎む感情が理解できないのだ。
だというのに。思いに駆られてつい、怒りのままコイツに感情をぶつけてしまった。
全てが無駄であると知っているのに。
自身の想いをフリーディアに告げるくらいならば、壁にでも話していた方がまだ、悉くを否定する為に反論してこないだけ建設的だというのに。
「……満足したかしら? 全部吐き出した?」
「チッ……。あぁ……」
「頑固ね。ここまで言ったんだもの。いっそのこと、一度全部ぶちまけちゃえばいいのに」
しばらくの間続いた沈黙をフリーディアの柔らかな声が破ると、テミスは意地のみで逸らさずにいた視線を外す。
それを合図としたかのように、テミスは舌打ちと共に唸るような声で応えながら、一歩退いて船の端に押し付け続けていたフリーディアの身体を解放する。
けれど、フリーディアがその場を動く事は無く、船の手すりに両腕をかけたまま身を預けた格好のまま、クスリと挑発的な微笑みを浮かべて言葉を重ねた。
「ッ……! うるさい。悪かったよ。当たり散らして。全部忘れろ」
そんなフリーディアの姿に、テミスの脳裏では我を失って子供のように怒鳴り散らしてしまった自身の姿とを比べてしまい、僅かに頬を紅潮させながら刺々しく告げる。
だが、自分への呆れと羞恥に身を焦がすテミスに対して、フリーディアはふわりと穏やかな微笑みを浮かべると、ゆっくりとその身を起こして静かに口を開く。
「ねぇ。テミス」
「何だ? 文句なら幾らでも訊いてやるから後にしてくれ」
「いいえ。違うわ。正直、色々まだ考えが追い付いていない所はあるけれど、私すこしだけ嬉しいの」
「っ……! はぁ……? 怒鳴りつけられて嬉しいだと?」
「ううん。まずはごめんなさい……ね。いつも通りだと思って私、言い過ぎたわ。けれど、嬉しいのも本当」
「さっきからお前、いったい――」
「――だって初めて、本当のテミスと話せた気がするもの」
穏やかに、けれど真剣な口調でフリーディアは言葉を紡ぐと、茶化すように表情を歪めたテミスの言葉すら遮って朗々と言い放つ。
フリーディアの真意はわからない。
けれど、後も先も一切考える事無く、フリーディアに対してただ感情のままに想いをぶつけたのはこれが初めてのような気もして。
正鵠を射られたテミスが振り返った格好のまま僅かに身を硬直させると、その隙を逃す事無く自然な歩調で歩み寄ったフリーディアは、言葉を止めたまま両腕でテミスの肩を捕らえた。
「ッ……! フリーディ――」
「――私には、貴女がなぜそこまで傷付いて、何にそこまで怯えているのかはわからないわ」
「私は怯えてなど――」
「――聞いて。けれどようやく、テミスも私と同じだって事がわかったわ。何の痛みも憂いも無く、ただひたすらに迷わず自分の道を突き進んでいるように見えた貴女も、私と同じで、ちゃんと悩んだり苦しんだりしていたのね」
「っ……! お前は……私を何だと思っているんだ」
「それだけ完璧に……いいえ、一分の隙もなく見えていたのよ。だってテミス、私になぁんにも話してくれないじゃない。ちゃんと言ってくれないと判らないわよ。辛いって。苦しいって」
「フン……お前に言った所で何になる。言っておくが、何を言おうとも私は自分の選択を間違っていたとは思わんぞ」
テミス、はにかみながら臆面もなく次々とこっ恥ずかしい台詞を叩きつけてくるフリーディアに口を挟もうとするが、全て機先を制されて封殺されてしまう。
それどころか、こそばゆい空気から逃れんと身を捩っても、がっちりと掴まれた両肩の手の力が緩む事は無く、逃れる事の叶わなかったテミスは真正面からフリーディアと言葉を交わす。
「良いわよ別に。私だって、そこに関して意見を変えるつもりは無いわ。けれど、それとこれとは話が別」
「なっ……!? お前ッ……わぷっ……!!?」
「これでも私、貴女の仲間のつもりよ? 辛いのなら言って。ちゃんと話して。貴女が壊れそうな時くらい、隣にいるわ? 貴女は私のこと好きじゃないかもしれないけれど、私はあなたの事……凄く感謝しているし尊敬しているもの」
そんなテミスに、フリーディアは小さく肩をすくめてみせた後、唐突に自身の胸にテミスを抱き寄せて話し続けた。
肌から伝わってくるフリーディアの鼓動は早鐘を打っており、耳元から聞こえてくるその声は僅かに震えを帯びていたのだった。




