177話 裁きの刃
「っ……くっ……!!」
轟雷を纏った大剣を携えながら、テミスは津波のように押し寄せる魔法弾の中を右へ左へと躱してドロシーの元へと突き進んでいた。
「チッ……」
ジュワッ! と。紅の魔法弾がテミスの頬を掠めると、鋭い痛みと共にその肌が焼け焦げる。しかし、テミスはその足を止める事無く前進を続け、躱し切れなかった魔法弾が肌や甲冑を掠めてはダメージを与えていく。
「腐っても魔女かッ……!」
テミスは身を落として飛んできた魔法弾を潜り抜けると、苛立ちを言葉にして吐き捨てた。
ドロシーとの距離は十数歩ほど……全力で踏み込めば数歩とかからぬ距離のはずだった。だがこの濃密な弾幕の前では、その短い距離が永劫にも思えるほど長く感じる。
「グゥッ――!?」
突如。他の魔法弾よりも速い速度で飛来した魔法弾が、テミスの脇腹に着弾する。その瞬間。魔法弾は強い斥力を放ち、テミスが駆けて来た距離を数歩分弾き返す。
「小癪な真似をッ――!!」
数歩で踏みとどまったテミスは歯ぎしりと共に零すと、再び弾幕の中を掻い潜りながら、ドロシーに必殺の一撃を叩き込むべく前進を続ける。
「くっ……捕らえきれないッ……」
一方で、雨の様に魔法弾を浴びせ続けているドロシーもまた、苦しい表情を浮かべていた。
魔力の量にはまだ余裕はあるが、このペースで魔法を打ち続ければ数分と持たずに枯渇するだろう。それに、こうして魔法を放ち続けている瞬間も、ドロシーの体は徐々に重たく、苦痛を叫ぶようになっていく。
「どうするっ……!?」
ドロシーは魔法を放つ手を動かしながら、必死で思考を巡らせた。
今、選択権を握っているのはこちら側だ。このまま魔法を浴びせ続け、奴の体力が尽きるのを待つか……若しくは、最後の一撃に残った魔力の全てをつぎ込んで賭けに出るか……。
「……馬鹿か。私は……」
ドロシーはそう呟いて苦笑すると、自らの剣に力を籠める。
そうだ。我慢比べなどしていても埒が明かない。死の淵から蘇る程の異常な執念を見せたあの女の事だ……体力が尽きたとしても、意地で突破してくるだろう。
……ならば、採るべき選択肢など始めから一つしかない。
「フフ……馬鹿に付き合って、本当に莫迦になったのかしら」
ドロシーは柔らかな笑みを浮かべてそう呟くと、自らの剣と盾に全霊の魔力を込め始める。
いつもの私であれば、こんな賭けに出るようなことは絶対にしなかった。
意地だなどと言う不確定なものを計算に加えるなど馬鹿馬鹿しいし、こちらに肉薄してくる速度が増したとはいえ、私の魔力が尽きるより先に奴の体力が尽きる公算の方が確実に高い。
だが、それを理解して尚。ドロシーは必ずテミスがこの弾幕を突破してくると確信していた。
「っ――アァァァァァアアアアアアッッ!!」
ドロシーが目を見開き、まるで獣のような咆哮をあげた。同時に、その体から凄まじい量の魔力が迸り、パリパリと周囲へと放たれ始める。そして、彼女が全霊の魔力を込めた先……白く輝いていた剣と盾が肥大化し、鮮血のように赤い紅へと色を変える。
「っ――!!」
そして、その様子は弾幕の只中に居るテミスへも伝わっていた。
ピクリとテミスが眉を動かした刹那の後。ドロシーの魔力注入が完了し、肥大化した剣と盾が紅いオーラを纏った。
――瞬間。ドロシーの背に展開されていた無数の魔法陣が陽炎の様に消え失せ、滝のように放たれていた魔法陣の弾幕がピタリと止まって視界が開ける。
「オオオオォォォォォォォォッッッッ!!!」
「アアアアアアアアァァァァァァッッッ!!」
視界が開けた途端、二つの咆哮が雷声の様に闘技場へ響き渡り、二振りの巨大な剣が振るわれた。
上段からは、一気に跳び上がって距離を詰めたテミスの大剣が。
下段からは、一直線にテミスへと飛び出したドロシーの剣が。
まるでスローモーションのように交叉すると、テミスの剣はドロシーの盾へ、ドロシーの剣は微かに遅れてテミス腹を薙ぐべく迫っていた。
――勝った。
引き延ばされた時間感覚の中で、ドロシーは勝利を確信する。
いくらテミスの技が強力でも、反射の付与されたこの盾を貫く事は不可能だ。
そして、剣を止められたテミスに私の剣を防ぐ術はない。例え、躱そうとしても奴は空中。翼でも生やさない限り回避は不可能だ。
「砕け散れェェッッ!!!」
テミスの剣がドロシーの盾に触れた瞬間。ひと際荒々しいテミスの咆哮が響き渡る。同時に、テミスを見上げるドロシーの瞳に、黒く巨大な雷が自らに向けて降り注いでくる光景が映し出された。
黒い雷がテミスの剣に追いつき、まるでその斬撃を後押しするかのように迸る。
その瞬間。ピシリッ――。と。巨大化したドロシーの盾に亀裂が走り、粉々に砕け散った。
「っああああああぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
落雷の轟音と共に、吹き飛ばされたのはドロシーの方だった。
斬撃を受けたその体に黒い紫電を迸らせながら、数回地面をバウンドして転がり、ようやくその動きを止める。
「グッ……ガハッ……」
しかしテミスもまた、腹に紅い剣を喰い込ませながら、ガシャリと言う派手な音を立てて地面に落ちて膝をついた。
「ッ……グッ……ッ……!!」
ズルリッ……と。地面に大剣を突き立て、杖の様にそれに縋りながらも、先に動いたのはテミスの方だった。
その漆黒の甲冑をだくだくと流れ出る鮮血で赤く染めながら、よろよろとした足取りで倒れ伏すドロシーへと歩を進める。
「……私の勝ちだ」
そして、その傍らに辿り着くと、ドロシーの喉元に切っ先を突きつけて宣言した。
「……だから……何よ……早く殺せば?」
その宣言に、ドロシーは苦し気なうめき声を返すと、その身を力なく投げ出した。
もう、指の一本さえも動かない。魔力も使い果たした。この状況を覆せる奇跡の一手など、私にはもう残されてはいない。
「ああ。そのつもりだ」
ドロシーの呟きにテミスは冷たく答え、ギロチンの刃の様な大剣を高々と振り上げる。
その刃を眺めながら、ドロシーは何処か清々しい気持ちで薄く笑みを浮かべていた。
及ばなかった悔しさはある。
私を救ってくれたギルティア様のお役に立てなかった悔しさもある。
未練など、並べ積み上げても足りない程に残っている。
……けれど。
ゆっくりと落ちてくる刃と、その後ろに広がる雲一つない青空。そして、視界の片隅で厳しい顔でこちらを見つめるギルティアの顔を見て、ドロシーは微笑んだ。
けれど、今の私にできる最大限の忠誠を尽くす事はできた。
ドロシーはそう確信し、ゆっくりと目を閉じたのだった。