1868話 通すべき義理
圧倒的な戦力差。
それを見せ付けるかの如く、大剣を置き去りにしたテミスは戦場に身を閃かせ、襲い来るヴェネルティ兵たちを悉く叩きのめす。
ある者は強烈無比な拳を顔面に叩き込まれ、ある者はしなやかに振るわれた脚で胸を穿たれ、またある者は剣を振り下ろした腕を止められ、そのまま固い甲板へと身体を打ち伏せられる。
打ち鳴らされる剣戟の音は一つとして無く、事ここに至って未だ一人の死者すら出ていないこの戦いは、最早戦いというよりもテミスによる指導試合の様相を呈してきた。
そうして、拳打と蹴撃の応酬が続き、ヴェネルティの兵達は幾度となく打ち倒されても立ち上がり気炎を上げるが、心と身体が限界を迎えた者から次第に膝を付き、次第にその数を減らしていく。
「フム……そろそろか……」
そんな様子を眺めながら、涼し気に呟いたテミスの前に残ったのは三人。
その誰もが血と汗に塗れ、頬や唇を痛々しく腫らしている。
けれど、その手に握った白刃からは未だ力は失われておらず、僅かな時間の間に目配せをした三人は、僅かに呼吸をずらして一斉にテミスへと襲い掛かった。
「悪くない考えだが、即席の連携では無意味だ」
だが、テミスは真正面から刺突を仕掛けた兵士の刃を悠然と躱し、傍らを通り抜けた兵士の手首を掴んで止めると、追撃を仕掛けるべく剣を振り上げていた背後の二人へ向けて投げ飛ばす。
投げ飛ばされた兵士の身体は為す術もなく宙を舞い、追撃の兵士たち二人は投げ飛ばされた兵士の身体と衝突すると、三人まとめて甲板の上を転がった。
「…………」
そして訪れた僅かな静寂。
再び戦いを挑まんと立ち上がる事の出来る者は潰え、テミスは一瞥を残して身を翻すと、間近にまで近付いたロロニアの船へと視線を向ける。
そこでは、船の間に渡す板を携えた船員たちや、移乗の隙を狙った攻撃に備えるコルカ達の姿があり、テミスの口元に微かな微笑みが灯った。
この調子ならば、もう十分と経たずに移乗は完了し、フォローダへの帰路へつく事が出来るだろう。
そう判断したテミスは、再び自身の手で打ちのめしたヴェネルティの兵達へと向き直り、ゆらりと右手を甲板へ突き立てた大剣へと伸ばす。
「……諸君。遊びは終いだ。彼我の実力差は十二分に理解できたはず。じきに我々はこの船を発つ。最終勧告だ。捕虜としての脱出を希望する者は居るか?」
掴み上げた大剣を肩に担ぎ、テミスは甲板に倒れ伏す兵士達を鋭い視線で睨み付けると、淡々とした口調で告げた。
彼等は敵だ。普段ならばこんな面倒な投稿勧告などしてやる義理は無いのだが、仮にも今袖を通しているのは、博愛精神あふれるフリーディアの率いる白翼騎士団の軍服。
ならば郷に入りては郷に従え。この勧告を以て最低限の義理は果たしたと言えるだろう。
「グッ……!! はいッ!! 投降……しますッ……!! こんな所で、死にたく……ねぇッ……!!」
「っ……!! 俺も……! 俺も連れて行ってくれ……!!」
「僕も降参します! だから助けてッ!!」
「待ってよ……!! 私もッ……!!」
数秒間の重たい沈黙の後。
一人の兵士が苦し気な声と共に手を挙げ、手にしていた短剣を投げ捨てると、テミスの前へと進み出た。
それを皮切りに、数名の兵士たちが続き、テミスの前に縋り付くようにして肩を並べる。
「フム……」
投降を選んだ兵達は一見して若々しく、恐らくは新兵なのだという事が窺えた。
だからこそ、他の者達と比べて軍への忠誠が薄く、脱出の望みが薄い自分達の現状を冷静に判断し、自身の命を優先する選択をしたのだろう。
だが、そんな彼等の選択は他の兵たちにしてみれば裏切りと同義で。
彼等の背中へ突き刺さる視線は、怒りと恨みに満ち満ちていた。
「ま、この程度の人数ならば問題あるまい。フリーディア。構わないな?」
「えぇ。勿論よ。フフッ……寧ろ私、今とっても驚いているわ?」
「ハッ……ほざいてろ。おい捕虜共。いつまでそうやってグズグズと座り込んでいる気だ? さっさとあちらへ行け」
その怒りや恨みは当然生ずるべきもので。
しかしそれを理解しながらもテミスは眼前に蟠る想いをクスリと一笑に伏すと、チラリとフリーディアへ視線を送って確認を取る。
尤も、テミスとしてもその答えはわかりきっているものではあったのだが。どこか嬉しそうな笑みと共に返ってきた皮肉に、テミスは肩を竦めて言葉を返した後、足元に縋り付く捕虜たちを一喝した。
「さて……あとは……」
テミスの一喝に、ビクリと怯えを見せた捕虜たちは、口々に震える声で返事を返すと、ガクガクと震える足で立ち上がり、テミスが身振りで示したフリーディアの方へと移動を始める。
だがその瞬間。
「――っ!!」
捕虜たちを目がけて一振りの短剣が宙を走り、即座にそれを察知したテミスが大剣を振るって投げ付けられた短剣を弾き飛ばす。
チャリン……ヂャリィ……ン! と。
弾き飛ばされた短剣は耳障りな音を奏でながら甲板へと落ちる。
そして……。
「待てよテメェ等ッ!! そいつは反逆行為だ!! 手前勝手に逃げ出してンじゃねぇぞッ!!」
怒りに満ちた叫びと共に、ヴェネルティの兵達の中から鼻血を流した一人の兵士が立ち上がると、捕虜たちへ血走った目を向けていたのだった。




