1863話 戦中謀略
「……交渉だと? ハッ……! 笑わせるな。この船の指揮官ならば兎も角、たかが一兵卒であるお前にそのような権限は無い」
突如として自らへと向けられた言葉に対し、テミスは僅かに驚きの表情を浮かべたものの、即座に吐き捨てるようにして切って捨てた。
そもそも、交渉とは互いの立場が対等であってはじめて成立するものだ。ひとまずとはいえ、戦いに決着が付いた事がここに至った時点で両者の間には勝者と敗者という明確な差が存在する。
故に、交渉など最初から成立する訳もなく。
仮にこの場で話し合いの場が持たれるとするのならば、ヴェネルティ側の指揮官なり代表なりと面を突き合わせての戦後処理くらいのものだろう。
だが……。
「そうでもねぇさ。確かにアンタの言う通り、俺は一兵卒だ。けんど、これでも馬鹿ではないつもりでね」
「少々小賢しかったところで何になる? そうだな……祖国を裏切り、我が身可愛さに亡命すると宣うのならば、幾ばくか考えてやらん事もないが……」
「冗談止してくれ。こんな俺にだって忠誠心はあらぁ。元より、俺の事なんざどうでもいいのよ。アンタ等に交渉してぇのはそこじゃあねぇ」
「フム……面白い。迎えが来るまでの暇潰しだ。何を囀るか聞くだけは聞いてやろう。ユナリアス。フリーディア」
挑発を交えて皮肉を叩きつけたテミスに、兵士は欠片ほども動ずることなくふてぶてしい笑みを浮かべてみせると、余裕すら伺わせる態度で肩をすくめてみせた。
その根源が見えて来ない兵士の自信を前に、何某かの秘策があると察したテミスは小さく一つ息を吐いた後、傍らのユナリアスとフリーディアの名を呼び、正式に交渉の場へと同席させる。
たとえ全てがこの兵士のハッタリであったとしても、あくまでこの戦いはロンヴァルディアとヴェネルティの戦争だ。
なればこそ。非公式なものとはいえ、交渉事をテミスの独断だけで進める訳にはいかないだろう。
そう判断したからこそ、テミスは二人を呼び寄せたのだが、交渉の余地など存在しないこの場面で、これだけの面子を交渉の場に引きずり出す事が出来た時点で、この兵士は勲章モノの快挙を成し遂げたと言えるのは間違い無かった。
「何やらこの男、我々と交渉したいらしいぞ? その蛮勇に免じて耳を傾けてやろうではないか」
「交渉……彼が……?」
「…………」
それ故に、フリーディア達もテミスと同様の懸念を抱いたようで、怪訝な表情を浮かべながらもあくどい笑みを浮かべるテミスの傍らに並び立ち、静かな視線を兵士へと向ける。
「っ……! 感謝しますよ。俺如き一兵卒の話を聞く為に、御三方もお耳をお貸し戴けるとは」
「御託は結構。それとも、交渉内容は自殺志願だったか? ならば今すぐにでも叶えてやるが?」
「おっと、失礼。軽口でも叩かねぇとやってられなくてね。どうかご勘弁を」
自らへと注がれる三つの視線を前に、兵士は不敵な笑みを浮かべて一礼をしてから、テミスの言葉を逆手にとった皮肉を並べてみせた。
無論。ただでさえ絶対的に不利な状況に在る交渉に場において、そのような挑発はただ自身の首を絞めるだけの悪手ではあったのだが、目を吊り上げたテミスの一言を前に、兵士は深々と頭を下げて謝罪を述べた後、一転してその表情を真剣なものへと変える。
「……!」
「俺がアンタ等に求めるのはただ一つ。ユウキ様たちの保護だ」
場に漂う空気が一変し、テミスが自身の発言を利用された事に気が付いた刹那。
兵士はテミスに口を開く隙を与えず、差し込むように淡々とした口調で自身の要求を口にした。
だがその内容はテミス達にとって、少なからず予想外なもので。
密かに息を呑んだテミス達が目配せを交わす一瞬を逃す事無く、兵士は大きく息を吸い込んで言葉を続けた。
「対価は情報だ。ユウキ様たちの身の安全と士官待遇以上の生活の保証と引き換えに、アンタ等はユウキ様たちへ好きに質問する……どうだ?」
テミス達の機先を制する事に成功した兵士は、一息で自身の要求と差し出す対価を並べると、真正面から三人の顔を見据えて静かに問いかける。
ヴェネルティにとって、勇者を名乗るユウキという戦力は無視することの出来ない大きな戦力だろう。
それを、条件付きとはいえ大人しく引き渡すというだけでも、ロンヴァルディアにとっては敵国の戦力を大きく削ぐ事が出来る利のある話。
さらにそこへ、わざわざ尋問する権利までつけてくれたのだ。
敵戦力を内側に引き込む危険性と、士官待遇以上をさせる生活費を差し引いたとしても、十分にお釣りがくるどころか特典まで付いてくるような話。
これ以上引き出すべきか……?
内心でテミスがそう逡巡した時。
「話にならないわね。あなたが言うべき事がそれだけなら交渉はお終い。さ、お行きなさいな」
テミスの傍らからフリーディアが一歩前へと進み出ると、クスリと顔に似合わない冷ややかな笑みを浮かべながら、脱出艇に群がる兵士達を示してそう言い放ったのだった。




