1862話 偶然の表裏
数発の火球が連続して着弾すると、テミス達の乗る巨大戦艦へと砲身を向けていた戦艦からはもうもうと黒煙が立ち昇り、ゆっくりとその船体を沈めていく。
周囲で救助活動に当たっていた敵戦艦もコルカ達の攻撃を察知すると、即座に砲身を動かして警戒態勢を取った。
だが、最初に巨大戦艦へと砲身を向けた戦艦とは異なり、一定の距離を保って警戒の姿勢こそ見せたものの、その砲が火を噴く事は無く、加えて救命艇で逃れた兵達の救出作業も続けている。
「フゥン……敵にも少しは頭の回る奴もいるらしい」
「テミス……貴女……もしかして……」
眼前で作り出された膠着状態に、テミスは小さく息を漏らすと、静かに目を細めて呟きを漏らす。
その隣では、テミスへと詰め寄っていたフリーディアが言葉を失って俯き、何やらぶるぶると震えはじめていたが、テミスはそれを無視して視線を遠くへと彷徨わせる。
正直に言うのならば、テミスはあと数隻くらいは砲火を交える羽目になるだろうと考えていた。
戦いの趨勢こそ決したとはいえ、ユナリアスとテミス、そしてフリーディアがこの巨大戦艦に居る以上、彼等にもまだ起死回生の一手が残されていない訳ではない。
それに、彼等にとってテミス達は、自身の戦友を尽くこの湖の藻屑と変えた仇敵に相違ないはず。
だからこそ、眼前を漂う要救助者だけでは、恨みに塗れた矛を収めるだけの理由には届くべくもなく、あと数隻程度の犠牲……つまるところ戦えば自らも沈められかねないという危機感が必要かと思っていたのだが……。
「ともあれ、これで一件落着……か」
事がここに至れば、ひとまずはもう戦う必要はないだろう。
そう判断したテミスが視線を上げて遠くを見やると、そこには見覚えのある島が一つ、ポツリと水上に佇んでいた。
「あれは……」
「……早いな。この船は。もうこんな所まで戻ってきていたか」
「やはりパラディウム砦か」
「うん。あ~……ところで、先ほどから不思議に思っていたのだけれど……」
「ん?」
遠くを眺めたテミスの隣にユナリアスが歩み寄ると、周囲に視線を配った後で更に身を寄せ、声を潜めて耳元で言葉を続ける。
「私の思い違いでなければ、揺れが収まっている気がするのだけれど……。それに、これ以上船が沈んでいく気配もない」
「クク……らしいな。実に運がいい。岩礁にでも引っ掛かったか、それともこの辺りが浅かったのか。湖底に付いたようだな」
「まさか……君はこれも見越して……?」
「馬鹿を言うな。流石に偶然だ。ま、これだけ大きい船だ。希望的観測の一つとしては考えていたがな」
未だに船が着底した事に気付いていない兵達へと視線を移しながら、テミスは飄々とした態度でユナリアスの問いに答えた。
可能性の一つとして考えていたとはいえ、テミス自身もほとんどあり得ないと斬り捨てていた程度には、幸運を積み重ねた部類の結果だった。
こうして結果が出てから理論づけるのならば、この場所がパラディウム砦を擁する島の近くであり、比較的水深が浅い場所なのだろうという事と、規格外に大きなこの船の巨体に助けられた形なのだろうが。
「ま、あとはのんびりとロロニア達からの沙汰でも待とう。向こうの手筈が整い次第、無事の帰還を果たすだけだ」
満足気に一つ息を吐くと、テミスはゆったりとした足取りでフリーディア達から数歩離れて言葉を零す。
ユナリアスの救出に敵の切り札と思しき巨大戦艦の撃破。
戦果としては最上だろう。あとはこの一戦でヴェネルティ側が侵略を諦めれば良いのだろうが、こればかりは沿う事がうまく運ぶとは思い難い。
奇しくもこの戦いでロンヴァルディアは、非公式とはいえテミス達が交戦したことにより、ヴェネルティ側の主張を肯定する事となった。
つまり、こじつけの偽りであった大義が本物へとすり替わった事になる。
ヴェネルティ側からしてみれば、これは棚から牡丹餅なり瓢箪から駒が出るといった出来事で。ヴェネルティ連合が本格的に侵略の大義名分を得た事で、戦火はより苛烈なものになるであろう事は想像に難くない。
「やれやれ……面倒だな……。こんなはずではなかったのだが……」
当初のテミスの考えでは、パラディウム砦を包囲している敵部隊の誘因ついでに、少しでも敵に損害を与える事が出来れば御の字だという程度の作戦だった。
けれど蓋を開けてみれば、駐留部隊の練度は侵略戦争を仕掛けている国とは思えない程に低く、こんな想定外の切り札まで出張ってくる始末だ。
結果的に上手く事が運んだとはいえ、もう一度同じ事をやれと言われても二度と御免だと返す程度には危ない橋を渡っていたと言えるだろう。
などと、気を抜いたテミスがぼんやりとこの戦いを振り返っていた時だった。
「すまねぇ。アンタ。少しいいかい? 見たところ、ロンヴァルディア側の人らって事でいいんだよな?」
「ン……? っ……!!」
「おっと待ってくれ。敵意はねぇよ。不意打ちするつもりならとっくにやってるさ。そんな事よりも……他の連中がアッチに夢中になってる間に交渉がしてぇんだ」
傍らから投げかけられた聞き覚えの無い声に視線を向けると、そこにはヴェネルティ側の兵士であろう男が静やかな微笑みを浮かべて立っていて。
テミスは半ば反射的に身構え、右手を背中の大剣へと閃かせるが、男は身振りで救命艇へ殺到する他の兵士たちを示すと、穏やかに言葉を続けたのだった。




