1861話 積み重なる怨み
ユナリアスを担いでの脱出では、如何にテミスといえども壁を蹴り抜いて上を目指すという荒業はできず、全速力を以て階段を駆け上がることしかできなかった。
だが、わき目もふらずに上を目指し続けたお陰で瞬く間に最上階へと辿り着き、頑強な鍵によって閉ざされていた扉を蹴破ったのだ。
「ハァ……ッ……! フゥッ……!! クソッ……!! 二度と御免だぞ……こんな事ッ!!」
担いでいたユナリアスを甲板へと降ろしたテミスはそう悪態を吐くと、ゆっくりと立ち上がって周囲を見渡した。
随分と水面が近くなった空の下で繰り広げられていたのは、地獄もかくやという光景で。
規律と命令を遵守する軍人としての意識は何処へ消え失せたのか、我先にと救命艇へと群がって怒号をあげている。
「ハハ……連中、敵を殺しに行く気だったクセに自分の命は惜しいらしい。滑稽だな」
「……そういうものだろう。自分が虐げられる可能性を考えながら、他人を虐げる事が出来る者なんてそう居ないさ」
「困ったものね……ねぇ、テミス。もう決着は付いたのだから、私たちの船で彼等を保護しましょう?」
「…………」
身の安全を求めて群がる者達をテミスがせせら笑うと、傍らのユナリアスとフリーディアがそれぞれ好き勝手に胸の内を零した。
尤もテミスとしては、同時にフリーディアが付け加えた度し難い戯れ言だけは、聞かなかった事にしたかったのだが……。
「テミス? 聞いているの? 現在地が何処かもわからないこんな所で、見棄てるなんてできないわ」
「どう思う? ユナリアス」
「本心を語るのならば、見棄ててしまえばいい。だね。だいたい、身勝手な理由で攻め入ってきたのは彼等なんだ。私たちが助けてあげる道理は無いよ」
「なっ……!? ユナリアス!?」
「……と、私の個人的な感情はさておくとしても。だ。このまま放置すべきではないだろうね。何か間違ってロンヴァルディア側に流れ着きでもしたら、彼等は間違い無く野盗と化す」
「クク……確かに交互の憂いを断つ必要はある。ならば、この場で始末しておくか?」
「ふふ。その案なら、町の事を心配をしなくても大丈夫そうだね」
「ちょっと……!!」
言葉を重ねたフリーディアを流して、テミスはユナリアスへ不敵な笑みを浮かべながら水を向ける。
すると、テミスの意を汲んだユナリアスは、悪戯っぽい微笑みを口元に浮かべると、テミスの意見に同調して見せた。
だが、心の底から敵であった彼等をも救うべきだという考えを持っているフリーディアは、二人の本心に気付く事なく気炎を上げる。
どうせ何を言おうとも、ここで彼等を始末する事などフリーディアが断固として止めるだろう事は、テミスもユナリアスも理解していた。
けれどユナリアスの言う通り、ここで放置しても後に憂いを残す羽目になる。
ならばここで捕縛して捕虜として連れ帰るか、無事に元の場所へと戻って貰う事になるのだろうが……。
「フリーディア。お前、自分が何を言っているのか理解しているのか? こちらの船も無傷ではない。全ての者達を乗せる事など不可能だ」
「なら、救命艇に乗れない人たちだけでも乗せて、先導すれば良いわ!!」
「阿呆か。素直に従うわけがないだろう。陸が見えた瞬間どうなるかなど、考えるまでもなく目に見えている」
「だからって見棄てるの!? もう戦いは終わったというのに……!! そんなの、人として間違っているわよ!!」
「勝手に終わらせるな。と、連中なら言うだろうな。見ろ。連中はまだやる気らしい」
「なっ……!!?」
薄い笑みを浮かべたテミスが、くいと親指で船の向こう側を指差すと、そこでは救命艇を回収した一隻の軍艦が、その砲身をゆっくりとテミス達の方へ向けて動かしていた。
そう。戦いが終わったというのはあくまでも、フォローダの町へ迫る脅威を払う事ができたというこちらだけの話。
こんなデカブツまで引きずり出して戦いを挑んだ側としては、当然の事ながら何の成果も無しに引き下がることなどできる筈も無いのだろう。
「おーおー……。ありゃあ、撃つ気だなぁ……。まだあんなにも、自分達の所の兵が残っているというのに」
「そんなッ……!! どうしてッ……!!」
「…………」
「クク……もはや大義などどうでも良いのさ。自分達をやり込めた私達が、憎くて憎くてたまらないんだろうよ」
傍らに並んだ戦艦の砲が、こちらを向いてピタリと動きを止めると、テミスは酷くのんびりとした口調で、まるで他人事のように皮肉を漏らす。
その傍らでは、ユナリアスが不快感を露に眉を顰め、フリーディアが悲痛な悲鳴と共に鋭く息を呑んでいた。
「テミス!! 早く止めないとッ!!」
「ん……? 別に必要はあるまい?」
「どうしてそんな事が言えるの!? 冗談は良いから早く止めて!! あの大砲が狙っているのはもう、私達だけじゃないのよ!!」
そんなテミスに掴みかからんばかりの勢いで、フリーディアは烈火の如く詰め寄って気炎を上げる。
だがテミスは、自分達へ向けられた砲身など気にも留めても居ないかの如く、飄々と首をかしげるばかりで。
遂にしびれを切らしたフリーディアが、甲板を激しく踏み鳴らして怒声をあげた時だった。
ドゴォンッ……!! と。
テミス達が乗る巨大戦艦へと砲身を向けた船に、幾つもの火球が降り注いだ。
「なっ……!?」
「チッ……早過ぎる。どうせなら一発や二発撃たせてからでも良かったものを……」
それを見たフリーディアは、再び言葉を失って息を呑むが、テミスは舌打ちと共に、溜息を零しながら小さな声で吐き捨てたのだった。




