1859話 沈みゆく船
放たれた二発の月光斬は、巨大戦艦に致命的な大打撃を与えていた。
機関部の大破に加えて船底も切り裂かれ、もはや自力での航行は不可能。巨大な船体は湖の藻屑と化すべく急速に沈み始めている。
船内には悲鳴と怒号が響き渡り、指令部の者たちの指揮の元、次々に脱出していく。
しかし、船底部に居たテミス達は未だ区画移動用のシャフトを駆け登っており、追い縋る浸水から全力で逃げ続けていた。
「ッ……!! まずいぞ……もう水がここまで……!! テミスは……!?」
「後ろから追ってくる様子は無いわ。けれどテミスだもの。きっと別の道から脱出しているはず」
「フッ……そうかもしれない――ッ!! 危ないッ……!!!」
フリーディア達は時折、自分達を先行させて一人残ったテミスの身を案じて背後を振り返るが、いくら目を凝らしてもそこに在るのはどんどんと距離を詰めてせり上がってくる水面だけで。
テミスは何時まで経っても二人の後を追ってくる気配は無かった。
けれど、フリーディア達が言葉を交わしながら、迷いを振り払うかの如く更にかける足を速めた時だった。
先を走るユナリアスが叫びをあげながら突如として足を止めると、ドガシャンッ!! と派手な音を奏でて、二人の眼前に大きな塊が飛び込んできた。
その凄まじい勢いは、階段に据え付けられている金属製の手すりを拉げ千切り、船の内壁をへこませるほどで。
だが直後。
そこに飛び込んできた者の姿を見て、二人は驚きに大きく息を呑んで声を上げた。
「――ッ!? テミスッ!!? 君……一体どうやってここまで……!? てっきり、別の道を行ったものだと……!!」
「なっ……!? それよりも今、飛んできたわよね!? 貴女の無茶はいつもの事だけれど……一体何をしているのよ……」
純粋な驚愕に目を見開くユナリアスとは異なり、フリーディアの驚きには少なくない呆れが混じっていたものの、二人は何処か安堵した心持ちすら覚えながら、めり込んだ壁に背を預けたテミスへと視線を向ける。
「クク……いくら私でも、この状況では何処へ続いているかもわからん道を進む気にはなれんよ。とはいえ、水の勢いが早い。いちいち階段を駆け上がっていては追い付かれてしまうからな。無理矢理跳び上がってきたんだ」
そうフリーディア達の問いに答えながら、テミスは壁の凹みからゆっくりと体を起こすと、拉げ捥げた手すりの向こう側に僅かに穿たれたもう一つの壁の凹みを指差した。
「っ……!! はは……何という跳躍力と胆力だ。私にはとても真似できそうにない。だが、良かった。一つだけ……頼みがあるんだ」
「断る」
「そう言わずに頼むよ。対価に私の命を差し出しても構わない。だから……」
「ユ……ナリアス……? 急に何を……ッ!?」
「黙れ。断ると言ったんだ。寝言は聞かん」
穏やかな笑顔を浮かべて言葉を紡ぐユナリアスに、テミスは揺れる事のない眼差しを向けると、叩き切るように冷たい言葉を投げかける。
その視線はユナリアスにこそ向けられてはいたものの、穏やかな微笑みを浮かべる顔ではなく、何かを堪えるかのように固く握り締められ、微かに震える拳に向けられていて。
「問答をしている暇はないんだ。もう水がすぐそこまで迫っている。お願いだ」
「何度も言わせるな。フリーディア。お前はまだ走れるな?」
「え……? えぇ……まぁ……」
「ッ……!! 止せ!! 駄目だッ!! 馬鹿な事を考えるな!!」
「黙れと言ったはずだ」
ユナリアスへ向けていた視線をチラリとフリーディアへ向けたテミスが、淡々とした口調でそう確認すると、それに抗うかのごとくユナリアスが声を荒げる。
だが、テミスがそれを一切聞き入れる事は無く、言葉と共に振るわれた腕をヒラリと躱し、身体を屈めて一歩ユナリアスの懐へと潜り込んだ。
「なっ……あっ……! うわぁっ……!?」
「……おおかた、私を躱した時にでも足を挫いたのだろう。気を使わなくていい」
「しかしッ……!!」
「駄々をこねるな。それともお前は、私に自分が犯した失態の挽回すらさせてはくれんのか?」
「っ~~~~!!! そういう……言い方は……狡いだろう……」
「ククッ……これでも元魔王軍なんでな。知らなかったか? 人間共にとって魔王軍の者達は皆、狡い小細工ばかりする卑怯者らしいぞ?」
そしてテミスは、言葉を交わしながらも拒む暇すら与えずにユナリアスを担ぎ上げると、カツカツと軽快な音を立てて数歩階段を上る。
最初はテミスの肩の上で、逃れんと暴れていたユナリアスだったが、皮肉気に頬を歪めて告げたテミスの問いに力を失ったかのように暴れるのを止めて、視線を虚空へと泳がせた。
「さて……水も追い付いてきた。そろそろ行くぞ。ついて来い。フリーディア」
「はいはい。貴女こそ、ユナリアスを落とすんじゃないわよ」
合流を果たしたテミスは、さも当然の如くフリーディアに声を掛けると、視線すら向ける事無く凄まじい速度で駆け始める。
そんなテミスの背を追って、フリーディアも先ほどまでと比べてかなり速い速度で駆けながら、軽い口調で言葉を返したのだった。




