175話 誰が為のセイギ
ゴォッッッ……。と。テミスの甲冑から噴き出た炎が辺りを焦がし、ゆらゆらとした陽炎を生み出した。その光景は、それを見るほとんどの者にテミスの死を確信させた。
「っ……」
剣を圧し返されたドロシーは息を呑むと、驚愕の表情を浮かべながら、炎の渦に飲み込まれたテミスを見ていた。
意味が解らない。
テミスは正真正銘に人間の筈だ。ならば、人間が無詠唱で魔法を使える筈が無い。
魔力が希薄な連中にとって魔法とは、道具の補助を受け、長々と力ある言葉を紡いだ果てに繰り出せるものだ。
それに、あの傲慢が服を着て歩いているような女が、追い込まれた程度で自殺だと……? そんな事をするくらいなら、周辺一帯を巻き込んで自爆するような女だというのに……?
「まさか……」
混乱するドロシーの頭の中に、ある一つの可能性が浮かび上がった。
人間が魔法を使える事例……。私はそれを、誰よりもよく知っている筈ではないか? そして、確か古代魔法の文献に……。
「っ……!! あり得ない! ならば、奴等に付くはずが無いッッ!!」
しかしドロシーは激しく首を振ると、自らの中に産まれた可能性を無理矢理振り払った。
そうだ。あり得ない。
テミスと私が、同類だなんて事は。
「悪いな、ドロシー。どうやら私にも死ねない理由があったらしい」
「っ……」
ゆらり……。と。立ち上る炎の中で黒い影が揺らめき、テミスの声が響き渡る。
「最早お前が何だろうと関係ない。私は私の守るべきものに懸けてお前を斃す。それが私の正義だッ!!」
「そんな……まさか……」
ドロシーが震える声を漏らす前で、テミスの黒い甲冑が炎の中から歩み出てくる。その確かな足取りは、とても先程まで死にかけていた者とは思えなかった。
「フッ!!」
気合と共にテミスが大剣を振るうと、辺りに燃え盛っていた炎が吹き消されるように消し飛ぶ。そしてその後には、チリチリと小さな音を立てる火の粉が辺り一面に漂っていた。
「何で……」
驚愕に目を見開いたドロシーが叫びを上げる。間違いない。奴は完全に回復している……。ならば、テミスは私と同じ……。
「ならば何故お前は人間に味方するッ!」
ドロシーの上げたその叫びには、憎悪にも等しい怒りが込められていた。
「ハッ……何を今更……」
憎しみの咆哮を上げたドロシーに、テミスはあざ笑うように笑みを浮かべると口を開いた。
「私がお前と戦う理由など一つしかあるまい……。お前が私の守るべきものに弓引いたからだ」
「馬鹿なッ! お前もそうなら迫害を受けたはずだッ! だと言うのに何故! お前は人間共に付くッ!?」
「迫害……?」
「そうだっ! 奴等は自分より優れている者を疎み、貶し、貶めるッ!」
ドロシーは目の端に涙すら浮かべながら、憎しみを込めてテミスに向けて叫びを叩き付ける。
……そうだ。あり得ない。
お前が正義を語るのであれば、お前は奴等の側に居てはいけない。
お前が人の理を越えた『力』を持つのならば、奴等はお前の敵のはずだ。
お前も、私と同じように迫害されたはずだッッ!!
「…………下らん」
しかし、ドロシーの叫びを聞いたテミスは、つまらなさそうな表情を浮かべると事も無げに切り捨てた。どうせなら、そんな過去など明かさずに憎しみに徹していればいいものを……。
「今更語って聞かせる義理も無いしな……お前の事など知った事か。私は私、お前はお前だ。それに……」
テミスはきっぱりと言い放ちながら大剣を構えると、その刀身が目に見えるほどに禍々しい気配を纏った。
奴は一つ、とんでもない思い違いをしている。その考え方は何処の世界でも共通して悪であるし、共通悪であるのならば斃さねばならない。
一拍の空白の後、テミスは大きく息を吸い込むと、目を見開いてドロシーを一喝した。
「自らが虐げられたからと言って、他の者を虐げて良い理由にはならん! 自らの過去にいかな悲劇が横たわっていようとも、お前が新たな悲劇となって良い免罪符ではないのだッ!!」
一喝と共に、大剣の纏った禍々しい気配が膨れ上がり、びりびりと肌を焦がすほどの圧力を周囲に振りまいた。
暗黒剣。怒りや憎しみといった負の感情をエネルギーに変換し、剣に纏わせる技だ。その威力は折り紙付き、この技を使うのは敵側の将軍だが、竜神の加護を持つ主人公の守りを易々と切り裂き、一時は戦闘不能にまで追い詰めたあの作品の中で最強の攻撃技だ。
「故に、私はお前を否定し、討伐する! 我が正義の名の元にッ!」
テミスが咆哮し、弾かれたようにドロシーへと突撃する。自らの愉悦、不満を垂れ流すだけの異物は排除すべきだ。それが、アリーシャ達の笑顔を曇らせるのならば尚更に。
「フン――何度来ても同じ事……。反射」
ドロシーはぎしりと歯を噛み締めた後、小さくせせら笑うと盾を掲げて呪文を唱える。すると、白い光を放つドロシーの盾に薄く魔法陣が浮かび上がった。
「舐められたものだ……文字通り一度殺された術に何の策も無しに打ち込む訳が無いだろう」
引きつりながらも勝利を確信した笑みを浮かべるドロシーに、テミスは頬を歪めると小さく呟いたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました