1847話 憧憬の頂
コロラドル・スティング。
そう名付けられたこの技は、ユウキが有する彼の世界の記憶の中で、ひと際輝いていた技だった。
四連撃以上の上位剣技の中でも突出して、構え動作から技が発動するまでの遅延が短く、特に対人戦においては無類の使いやすさを誇っていた。
とはいえ、連撃を伴う上位剣技である事に変わりはなく、技の後に発生する隙は大きいのだが、そのリスクを差し引いて尚、使うだけの利点は十二分にある。
けれど、上段に二発、中段に二発と刺突を打ち込むこの技は、剣を派手に振り回す他の剣技とは違って、いたく地味な存在ではあったのだが。
「セェヤアアアアァァァァッッッ!!!」
気合の籠った咆哮をあげながら、ユウキはかつて抱いた勝利への渇望をも己が握る刃へと乗せる。
――勝ちたい。
この世界に来てからというもの、久しく感じる事の無かった焦げ付くような想い。
かつて最強という羨望の頂に焦がれ、ただひたすらに剣を握り続けた。
だが、いくら敵を倒せども無限に思えるほど上には上が居るし、いくら心血を注いでいるとはいえ所詮は遊戯。競技として剣で飯を食っている選剣士や、煌びやかな剣で楽しさを配信する選剣士として頂に君臨する者達には、一般人であるユウキが到底追い付けるはずも無かった。
でも、この世界なら……!!
剣技を磨く事そのものが生きる糧と繋がるこの世界なら……!!
ただ焦がれ眺め続ける事しかできなかった頂に手が届くかもしれない。
そんな期待と、羨望と、一抹の嫉妬が入り混じった感情全てを、眼前のテミスへ叩き付けるかの如く、ユウキは渾身の力を込めて剣を突き込んだ。
しかし……。
「――やれやれ……舐められたものだな。私も」
ガギガギガギガギンッ!!!! と。
金属を打ち合わせる激しい音が四度続き、技を出し切った後の硬直と共に、ビリビリと痺れるような感触がユウキの腕を蝕むと、溜息まじりの静かな声が緩やかに響く。
そこに在ったのは、途方もない程の失望で。
ユウキは盾の如く構えられた大剣の向こう側から覗く、冷ややかなテミスの目を見るまでもなく、ビクリと肩を竦ませて生唾を呑み下した。
「幾ら迅かろうとも、今更その程度の単純な突きが通用する訳もあるまい。いずれにしても、これで終いだ」
「ぁっ……!?」
剣を突き込んだ格好のまま硬直するユウキを眼前に、テミスは淡々とした口調で言葉を紡ぐと、刺突を受けた大剣をそのまま下段に構え、打ち上げるようにしてその手から剣を弾き飛ばした。
相対したテミスにとって、ユウキの最も厄介だったのは、まるで映画のフィルムを無理矢理に継ぎ合わせたかのように唐突に切り替わる、先読みの出来ない剣技だった。
だが最後の攻撃だけは、全ての動きが敵を射抜く為に最適化されて理に適っており、それ故に剣の軌道や狙いを読み切ることが容易かったのだ。
テミスの手によって、高々と空へ打ち上げられたユウキの剣は、キリキリと高速で回転しながら弧を描いて甲板を超えて飛び去り、視界から消え去った数秒の後に、ポチャンと何とも言えない呆気ない音を奏でる。
「……必要に迫られぬ殺しをすると口喧しい奴が居るんでな。この場であえてお前を殺す事はしない」
「ッ……!!」
技の硬直が解けたユウキがじりりと後ずさるのを視線で追いながら、テミスは声に疲労を滲ませつつ告げると、傷付いた身体を庇うかの如くゆっくりと、上方へと振り抜いた大剣をゆっくりと下す。
剣を失ったユウキはもう戦う術がない。
それを理解しながらも、テミスは自身を警戒して身構えるユウキを睨み付けて、ゆっくりと言葉を続けた。
「それでもまだ続けるというのなら……。素手で殴りかかってでも我々の前に立ちはだかると言うのならば……。その気概を買って、武人としてこの手で斬り伏せてやろう」
「ぅ……ぁ……ぁぁ……っ……!!!」
その瞬間。
テミスからユウキに向けて放たれ始めたのは、混じり気なしの純然たる殺意で。
手にした刃の如く鋭く、冷ややかな殺意を真正面から受けたユウキは、ガクガクと全身を震わせながらその場でぺたりと尻もちをつき、目尻に大粒の涙を浮かべて後ずさりを始める。
「…………。フン……」
幾ら戦いの腕が立とうとも、所詮は命の奪い合いと遊びの分別も付かない糞餓鬼だ。
目の前だけのきれいごとや、自分の世界の中だけの正しさを声高に叫ぼうとも、命を賭して尚それを貫き通さんとする芯などあるはずも無い。
自らの放った殺気に呑まれて恐怖の底へと突き落とされ、完全に戦意を失ったユウキを冷たく見下ろしたテミスは、胸の内で冷静にそう断ずると、思い出したかのように疼きだした傷の痛みを堪えながら小さく鼻を鳴らした。
「所詮は飼い犬。さて……飼い主共の方はどうなったかな?」
そう独りごちりながら、テミスは空いた手で傷を押さえながら静かに呟くと、フリーディアの姿を探して周囲へと視線を巡らせたのだった。




