1846話 型無き剣戟
緊迫感に満ちた沈黙の後。
互いに武器を構えたまま、彫像のように動きを止めて睨み合っていたテミスとユウキは、まるで示し合わせたかの如く同時に甲板を蹴った。
間合いが重ならない程度には離れていた二人の距離は刹那の内に肉薄し、二筋の白刃が空を切る。
「っ……!!」
「ッ……!!」
短い呼気と共にテミスは、眼前のユウキを両断すべく構えた大剣を轟然と横薙ぎに薙ぎ払った。
前方全てを薙ぎ払うその一撃を躱す事は至難。しかし受ければ、人間離れしたテミスの膂力から放たれる斬撃の威力は凄まじく、如何なユウキといえども反撃に転ずるのは困難だ。
対するユウキは、剣を構えたまま突進すたものの、直前までその剣を振るう事は無く、テミスが猛然と一撃を放ってなお剣を振るう事は無かった。
だがその代わりに、ユウキは上体を反らして身体を捻ると、スライディングの要領でテミスの放った斬撃の下へと潜り込んだ。
「ハハッ……!」
空気を引き裂いて迫るテミスの刃を潜り抜け、ユウキは胸の内が沸き立つような思いに笑いを零す。
こんな戦いははじめてだ。
チリチリと喉がひりつくような熱い感覚。今の一撃だって、上手く躱す事が出来るかどうかなんてわからなかった。
……楽しいッ! その感情をユウキが戦いの中で覚えたのは、この世界に来てから初めての事だった。
自分がこの世界の中で、途方もなく強い事は理解している。
だからこそ、ユウキにとって戦いとは対等なものではなく、常に自身の力を抑えて立ち回るか、如何に効率よく相手を無力化するかといった作業に他ならなかった。
けれど。
今、目の前に居る敵は、自分の繰り出した本気の一撃を受けてもまだ、立って向かってきている。
紛れもない強敵。
押し寄せる激戦の予感に、ユウキはかつてない程に胸を躍らせていた。
「いくよッ!!」
テミスの懐へと滑り込んだユウキは、弾けるような笑顔を浮かべて頭上のテミスを見上げると、明るい声と共に剣技を発動させる。
放つ技はサマーソルト・ストラッシュ。後方宙返りと共に、掬い上げるように放たれるトリッキーな一撃で、突進技で相手の懐に潜り込んだ後、この技を起点に連撃へと繋げるのが、ユウキの得意技だった。
だが……。
「チッ……!」
予想外の一撃であったとはいえ、ユウキが放った斬撃を素直に食らうテミスではなかった。
テミスは外した横薙ぎの斬撃をそのまま甲板の上へと突き立てると、それを軸にして宙がえりの如く前へと跳び、ユウキと入れ替わるようにして、斬り上げられた斬撃を躱す。
初撃は互いに空を切り、テミスもユウキも剣を振り抜いた状態で背合わせに立ち並ぶ。
本来ならば、一度このまま前方へと退き、仕切り直すのが定石。
「だがッ!!」
「……だよねッ!!」
もしも相手が、崩れた体勢のまま無理矢理追撃を仕掛けてきた場合、定石通りの戦い方では受けに回らざるを得なくなる。
そしてこのユウキという少女は、決して定石などに縛られる事は無く、ここで退けば必ず追い詰められる。
思考よりも本能と直感でそう判断したテミスは、裂帛の気合と共に身体を捻ると、甲板に突き立っていた大剣を無理やり引き抜いて上段から袈裟懸けにユウキへと斬りかかった。
同時に、テミスの背後のユウキもまた、剣技の使用によって生した僅かな硬直が解けると、即座に身を翻して横薙ぎの一閃でテミスを狙う。
「ッ……!!」
「そう来ると思った!」
ガッギィィンッ!! と。
テミスの漏らした鋭い息と楽し気なユウキの声とが交叉し、大剣と片手剣が激しくぶつかり合うと、一対の剣は火花を散らして軌道を変えた。
互いに振り向きざまの一撃だったが故に、鍔迫り合いへと発展する事は無かったものの、そこから始まったのは至近距離にて縦横無尽の斬撃が飛び交う凄まじい斬り合いだった。
「あはははっ!! すごい! すごいすごい! そんなに大きい剣なのに、まるでボクと同じ剣を使っているみたいに迅いなんてッ!!」
「お前こそ、なかなかの剣圧だ。だからこそ解らんな。片手剣ではなく、普通の剣を使えば、更に威力も増すだろうに」
「片手剣がボクのスタイルだからね!! それに片手剣なら……ホラ! こんな事もッ!!」
「――ッ!!」
鋭い斬撃同士が打ち合わされる音が響く中、テミスは楽し気に剣を振るうユウキに絆されたかのように言葉を返す。
二人の放つ斬撃は鋭く、確かに互いの命を狙って放たれていた。
しかしそこには、恨みや憎しみといった昏い感情は無く、いつしかテミスの内で燃え滾っていた怒りの炎も、激しさを失いつつあった。
そこへ、まるで見せ付けるかの如く、ユウキは得意気な笑顔を浮かべて身を翻すと、流れるような動きで剣を構え、テミスの顔面へ向けて二撃、腹部へ向けて二撃。鋭い刺突を放ったのだった。




