1843話 無知の罪
こいつはダメだ。
怒りによって沸騰した頭の片隅で、テミスは冷淡にユウキをそう断ずる。
権力という力を持つ為政者に、善政を敷くという責務が求められるように。
戦力という力を持つ者には、その力を正しく振るう責任が生じる。
無論。道を違えたところで神の怒りたる神罰の雷が落ちる訳ではなく、ただ他の力を持つ者に討たれる運命を辿るだけなのだが。
「お前はッ……!! 何故戦いを止めなかったッ!!」
「止めたよッ! ちゃんと止めた方が良いって言ったもんッ!!」
「温いッ!!! 私と互角に渡り合うほどの力があれば、いくらでもやりようはある筈ッ!!」
「ボクの力は皆を守る為にあるんだ!! それを皆に向けるなんてできないッ!!」
「ならば当然理解もできよう!! 我々が決して退かんという事もッ!!」
「わからないよ!! ボクはただ、キミたちが攻めてきたから皆を守るんだ!!」
「道理も弁えん糞餓鬼がッ……!!」
激しい剣戟を繰り広げながら、荒々しく怒鳴りつけるテミスに、ユウキは悲痛な声で叫びを返す。
ともすればその様子は、テミスが一方的にユウキへ怒りをぶつけているかのようで。否。事実としてテミスは、自身の内に燃え盛る途方もない怒りを、眼前のユウキへ向けて斬撃と共に叩き込んでいる訳だが。
「自ら斬りかかっておいて、自分は斬られたくないなどと戯れ言をほざくな!!」
「公爵たちは止まらない……戦いは止められない……!! ならボクにできる事は、せめて少しでも犠牲を少なくすることだけだっ!!」
「他人に犠牲を強いるなッ!!!」
「くぅっ……!!」
バギィンッ……!! と。
一喝と共に叩き込まれたテミスの強烈な一撃を、ユウキは辛うじて受け止めたものの、大きく弾き飛ばされて膝を付く。
そんなユウキを蔑むような眼で睨み付けながら、テミスは更なる追撃の為に振り抜いた大剣を再び構え直す。
コイツに悪意はない。良く言えば純粋な心の持ち主なのだろう。
だが悪く言えば短絡的で白痴。他人の立場に立つことなく、自らの都合と視点だけで全ての物事を判断する、どうしようもない愚か者だ。
そんな者が安直に力を振るえば、たとえそこに悪意が欠片ほども存在しなかろうと、悪逆非道な暴君の行いと何ら変わりはない。
「悪いが、餓鬼の癇癪に付き合っている暇はないし、私は見ず知らずの他人の無知を正してやるほど、底の抜けたお人好しでは無いのでな。無知の罪は命で支払って貰う」
怒りを吐き出したテミスは、一転して冷徹な態度へと変わると、ギラリと瞳に鋭い光を宿して甲板を蹴る。
額を突き合わせ、時間をかけて懇切丁寧に説明してやれば、ともすれば理解を示すのかもしれない。
或いは、口先三寸で偽りを吹き込み、ゆっくりと丁寧に口説き落としてやれば、こちらの戦力として使う事も出来るだろう。
だが、そのどちらも手間暇がかかるうえに、テミス達にとって大きな利点があるとは言えなかった。
だからこそ、テミスは敢えて眼前のユウキと同じように、ファントの為に、敵を鏖殺すると決めたのだ。
「……酷いよ。もしかしたら、分かり合えるかもしれないって……思ったのにッ!!!」
しかし、真正面から斬り込んだテミスに対して、ユウキは酷く悲し気に呟きを漏らすと、片膝を付いたままおもむろに剣を構える。
瞬間。
ユウキの構えた剣の刀身が微かに白い光を帯びた。
それは紛れもなく、ユウキが放つ妙な剣技の前兆で。
けれど、飛び込んだテミスもまた既に構えた大剣を振るい始めており、もはや退くという選択肢は無かった。
「オオオオォォォォッ……!!!」
「ハァァァァァァァッッッッ!!!」
直後。
二つの雄叫びが真正面からぶつかり合い、テミスとユウキの姿が交叉する。
互いに背を向け合ったまま二人は彫像のように動きを止め、僅かに時が過ぎた。
そして……。
「グッ……!!?」
苦悶の声を漏らし、ぶしりと血飛沫をあげたのはテミスの方だった。
その身には、両の肩口から袈裟に深々と刀傷が刻まれており、テミスはぐらりと前方へ姿勢を崩すも、すんでの所で足を出して踏み留まる。
「…………」
交叉の瞬間。
ユウキの手から放たれたのは恐ろしく早い三連撃だった。
第一閃の横薙ぎの一撃を以てテミスの斬り込みを弾き、その勢いを殺さぬまま二閃目の袈裟の一撃、そして身体を回転させて三閃目逆袈裟の一撃を、一瞬の内に叩き込んだのだ。
「ボクの勝ちだよ」
倒れ伏しこそしなかったものの、ボタボタと血を流しながら佇むテミスに、ユウキは剣を振るって刀身に付着した血をびしゃりと払いながら、物憂げな声で自身の勝利を告げる。
それはまさしく、戦いを憂う勇者然とした姿であり、傷付いたテミスに追撃を仕掛けない慈悲も見せ付けていた。
「ハッ……!! 舐められたものだな。私をこの程度で制したつもりか?」
だが、テミスは皮肉気に頬を吊り上げて吐き捨てるように嗤うと、大剣の切っ先で甲板を引っ掻きながら身を翻し、再びユウキへ向けて構えを取ったのだった。




