1840話 無垢なる問い
純粋にして奇怪。
それが、ユウキと相対したテミスが彼女に抱いた第一印象だった。
人畜無害で無垢な微笑みを浮かべながらも、自らの内に在る芯が揺らぐ事は無く、だというのにその芯が一向に見えて来ない。
言うなれば、愛玩動物のように可愛らしい見た目をしているというのに、何処かその見てくれが乖離している感覚。
一皮剥けば見るも悍ましい化け物が、もしくは荒々しく屈強な猛獣が潜んでいる。
そう思わせるほどの威圧感に、テミスは正眼に構えていた大剣を身体の周囲をぐるりと薙ぎ回し、背負うような格好でピタリと構えた。
その構えは、一見すれば剣を収めたかのようにも思える。
だがその実、肩の上から回された両の腕は大剣の柄を固く握り締め、何時如何なる時であろうと、轟然たる一撃を叩き込む事が出来る剥き身の構えだった。
「そもそもボク、この開戦には反対だったんだよ? 公爵のおじちゃんにも言ったんだけどさぁ……連合の一員として足並みを乱す訳には~……とか、難しい事言っちゃってさぁ」
「…………」
「だから……。キミたちはロンヴァルディアの人たちでしょう? 色々と教えて欲しいんだ。ロンヴァルディアは本当に魔族と手を組んだのか。というかそもそも、魔族の人たちってどんな人たちなのか。なんで魔族の人たちはボクたち人間を攻めて来るのか。……とかね」
警戒を露にするテミスの前で、ユウキは表情豊かに切り替えながら朗々と喋り続け、右へ左へと細かに歩き回る。
その間も、テミスは厳しい面持ちでユウキを睨み付け、歩き回るユウキを追って身体を捻り、白刃という名の咢を向け続けていた。
この流れは少しばかりまずい。
如何なる意図が潜んでいようとも、言葉の上では対話を求めてきている以上、お人好しのフリーディアには応ずる他に道は無い筈だ。
だが、そうこうしている間にも船はフォローダへ向けて進んでいく。
仮にたとえ、この自称勇者の宣う戯れ言が全て本心であったとしても。
この船がフォローダの町を射程に収めてしまったえば全てが終わりなのだ。
腕は立つが扱い辛い駒。もしも彼女がその類いの存在であるのならば、敵の公爵とやらがどれほど知略を巡らせる事が出来る人物なのかは皆目知らないが、彼女の本心すら利用して時間を稼いでくる可能性もある。
寧ろ、私ならば間違い無く、そういった使い方をするだろう。
故に。何を囀ろうといっさいに耳を貸す事無く、即座に斬り伏せてしまうべきではないだろうか。
そんな心の奥底を過った考えに、大剣の柄を握るテミスの手に力が籠った時だった。
「待って。テミス」
「…………」
そらきた。と。
静かな言葉と共に前へと進み出たフリーディアに、テミスは胸の内で盛大な溜息を漏らすと、ありったけの非難を込めて視線を向ける。
けれど、フリーディアはただ静かに微笑みを浮かべ、コクリと頷きを返しただけで。
ああ駄目だ……何も解っちゃいない。
止める間も無くユウキに向き合うフリーディアの様子に、テミスは脱力しそうになる程の嫌気がさすのを覚えながら嘆きを零した。
「私はフリーディア。貴女の意見には同意よ。戦う前に話し合って、解りあうのが一番だもの」
「うんうん! そうだよね! 良かったぁ~! きっと、そう言ってくれると信じていたよ!」
「ハァ……ったく……」
面倒な役割だ。
嫌気を溜め息に乗せて吐き出したテミスは、フリーディアの背を睨み付けたまま呟くと、密かに大剣を握る手へと力を籠める。
こうなってしまったフリーディアはどうせ止まらない。
ならば、もはや制御などしようと心を砕くのではなく、好きにさせたうえで淡々と事を進めてしまえば良いのだ。
そう心を決めたテミスは、フリーディアの身体を避けてユウキを斬り伏せるべく、じわり、じわりと気配を殺して横へ動いた。
だが。
「えぇ。だから、まずは船を止めて。話はそれからよ。今この船はフォローダの町へ……私たちの国へ向けて進んでいる。話し合いを望むのなら、まずは侵攻を止めるのが筋でしょう?」
「っ……!」
ユウキの目を真正面から見据え、フリーディアは凛とした態度で言葉を放つ。
それは、テミスの想定していたフリーディアの動きとは大きく異なり、それは言葉を交わす余地すらなく斬り伏せんと動くテミスの足を止めるには十分過ぎた。
相手の主張をすべて受け入れるような馬鹿な真似をするのではなく、相手の要求を呑んだうえで対等に条件を付ける。
条件に応ずるのならばそれで良し。応じなければ話し合いを求める相手の姿勢そのものが虚偽であり、敵対の意志ありと見做す。
時間に限りのあるテミス達にとって、このフリーディアの交渉は、上手く事が運べばこの場で全てを終結させる事が出来るうえに、たった一回の問答で白黒を付ける事が出来るという、まさに理想的な一手だった。
「えっ……? うぅん……そっかぁ……そうだよねぇ……」
その答え如何によっては、即座に戦闘が始まる。
どろりとした緊張感がテミス達の足元を満たす中で、ユウキはフリーディアの言葉に困ったように眉根を落とすと、軽い調子で口を開いたのだった。




