1835話 猪突報撃
カツンと軽い音を響かせた黒刃は、固く分厚い巨大戦艦の装甲をいとも容易く切り裂き、瞬く間にその刀身の大半を埋める。
時折バチバチと飛び散る火花が深々と斬り付けられた切断面を照らし、巨大な船体の脇腹に真一文字の傷が刻まれていく。
だが。
「っ……! っ……!! ッ……!!!」
鋼鉄を切り裂く音が響き渡る中。
テミスは力のかぎり固く歯を食いしばり、全霊の力を以て大剣の柄を握り締め続けていた。
何故なら。
すれ違った二隻の船は今もなお互いに逆進を続けており、その相対速度は実に二倍近くとなっている。
故に。テミスの腕には、超重量かつ超質量で巨大な鋼の塊が押し寄せており、ブラックアダマンタイトの硬度と大剣の恐ろしいまでの切れ味を以てしても、常人では耐える事すらできない程の重圧が襲っているのだ。
当然。生半可な剣では触れた瞬間に折れ拉げるか、仮に剣の強度が持ち堪えたとしても、テミスの超人的な膂力が無ければ、押し寄せる圧力に耐えられずに船から放り出されている事だろう。
「すっ……げぇ……!! おい……見ろよコレ……」
「嘘だろ……? 深ッ……!! てか、厚ッ……!!?」
しかし、テミスがそのような重圧に耐えているなどとは知る由もないロロニアの配下たちは、大剣が敵の船体に深々と刻んだ傷を見て、驚きと感嘆の声を漏らしていた。
とはいえ、テミスの大剣と敵の巨大戦艦の大きさを鑑みれば、いくらヒトの身の丈程ある大剣とはいえ、効果のほどは象に縫い針を刺した程度にも及ばないらしく、刀身全てを埋めても、外皮に値する外郭装甲すら貫く事は叶わなかった。
「っ~~~!!! 抜けるぜッ!! 急速旋回!!」
「ッ……!!! くぁっ……!!」
巨大戦艦がロロニア達の船へと落とす大きな影の終わりが見えた瞬間、ロロニアは叫びと共に一気に操舵倫を回す。
そして次の瞬間。
巨大戦艦の腹に突き立っていたテミスの大剣は、ギャリィンッ……! と派手な音と共に装甲を裂き抜き、鋼鉄の中へと潜り込んでいた黒く輝く刀身を露にした。
続いて、ロロニアの操縦に従った船はギシギシと悲鳴をあげながら勢い良く進行方向を変え、巨大戦艦の後方を迂回し、追い縋る形で随伴を始める。
「……待ってくれ。おかしくないか?」
「あぁ? 何がだよ!?」
命懸けの交叉を潜り抜け、巨大戦艦の僅か後方側面に取りついて随伴を始めたロロニアの船に圧し掛かっていた極度の緊張が、僅かに緩みかけた時だった。
巨大戦艦の尻を睨み続けていたユナリアスがピクリと眉を跳ねさせると、怪訝な表情を浮かべて口火を切る。
「奴等の船は、何故前進を続けているんだ? これではまるで、私たちの事など眼中に無いかのようでは無いか?」
「んなもんッ! あんだけの巨体なんだ、俺達の船みてぇにそう易々と曲がれやしねぇんだ!」
「だとしてもだ!! 私達に応ずる気があるのならば、舳先が左右に傾き始めるなり、船体が傾ぐなりといった動きが……予兆が見える筈だ! 違うかいッ!? だというのに、あの船はっ……!!」
「……真っ直ぐ。ね」
叫ぶようにまくし立てたユナリアスの言葉に、それを聞いた誰もが巨大戦艦へと姿勢を向けるが、そこには確かに僅かな傾きすら感じさせる事無く、どっしりと舳先を沖へ向けて聳え立つ姿があった。
それはつまり、敵戦艦は沖へと進路を取ったまま舵を切っていないという何よりの証明だった。
「っ……!! まずいわ……!! もしかしてこの船、私達を無視してフォローダに攻め込むつもりじゃあ……?」
「何だって……!? けれどこんな化け物、フォローダの総戦力をかき集めたって勝てやしないッ!!」
「ハハッ……!! 心配はわかるがそりゃあねぇよ。あんなデカブツ、動かし続けるだけでどんだけ魔石を食うと思っているんだ。連中にはこの船みてぇな魔力持ちはいねぇんだろ? フォローダへ着くだけで途方もない金がかかるぜ! それこそ、国中の金が在っても足りやしねぇ!」
だが、ユナリアスの気付きを切っ掛けに顔色を青くしたフリーディアに、ロロニアは高らかに笑い声をあげて首を横に振る。
図体が大きく、船体が重い程に燃費は悪くなる。
船団を取り仕切る立場に在るロロニアだからこそ、船での戦いの費用対効果に関する計算は素早いらしく、誰よりも早く結論を出していた。
こんな巨大な船を動かして対岸まで出向けば、戦に勝ったとしても国は破綻してしまう。
それでは本末転倒。特にこの戦争を仕掛けた側であるヴェネルティ側には何一つ益は無く、寧ろ何もしなければ国が倒れる事は無かった分、損ですらある計算だ。
しかし……。
「いや……私はフリーディアの危惧に同意する。見誤ったやもしれんな、連中がこの戦争につぎ込んでいる執念を。それとも、奇襲の意趣返しのつもりか? それほど大飯ぐらいであるならば、あの船を起動させた時点で、どうせ滅びるのならば諸共……などと考えていても不思議ではない」
テミスは抜き放っていた大剣を背に戻すと、フリーディアを見据えながら僅かに低い声で告げる。
そこには、少なくない警戒と侮蔑の色が浮かんでおり、その場に居合わせた者達は思わずごくりと生唾を呑み下したのだった。




