1834話 飽くなき前進
ゴウン……ゴウン……ゴウン……と。
ビリビリと響く重低音を奏でながら、ソレはまるで這い出るかの如くゆっくりと、テミス達の前に姿を現した。
動く鋼の砦。
その姿はまさに、サキュドが称した通り動く鋼の砦そのものといった様相で。
テミス達の乗る船を優に超える、山のように巨大な鉄の塊が滑るように水面を移動している。
「なっ……んだ……ありゃあ……」
「なんて大きさ……!! これも本当に船……なの……?」
「ッ……!! これは……ッ……!!!」
舵を握るロロニアと、その傍らに立つフリーディアとユナリアスは、三者が三様の驚愕に表情を染めながら、高々とそびえ立つ巨大な船を見上げた。
それは、ロロニア配下の湖族たちや白翼騎士団だけではなく、コルカ達黒銀騎団の面々も同じで、誰もが空を仰ぐかの如く顔を上げ、茫然と立ち尽くしている。
だがそんな中に在ってもただ一人、テミスは憮然とした面持ちのまま、静かに前を見据えていた。
「ッ……!! 回頭ッ……!! あれだけデカけりゃあ足も遅ぇはずだ!! 逃げるぞッ!!」
「まさか……こんな切り札を隠し持っていたなんて……!! どうしてっ……!!」
「フリーディア。今は生きて帰る事だけを考えよう。ロロニア殿、我々も何か手伝う事は?」
「積み荷を棄てろッ!! 砲弾も全部だ!! できるだけ船を軽くして、全速力で逃げんぞ!!」
「待て。勝手な命令を出すな。前進だ。だが見ての通り、接触すればこちらが押し潰される。奴の傍らをすり抜けろ」
「なッ……ぁ……!?」
眼前に現れた強敵を前に浮き立ち、各々の判断で動き出しかけた一同だったが、コツリと足音高く歩み寄ったテミスの声が、彼等の動きを止める。
巨大なタンカー船、或いは大型空母。
かつて画面の向こう側で見たそれらの船たちはどれも、図体に見合わない高速航行を可能としていた。
尤も、感覚すら狂わせるその巨大さ故に、彼の世界の巨大船たちもまた、傍らから眺めている分にはさほど早さを感じなかったが。
ともあれ、あれ程の大きさの物体を始動する事が出来た時点で、最早この船に逃れるという選択肢はないだろう。
だが、その巨大さを誇るからこそ、如何に強靭な動力を搭載していたとしても、物理的に小回りが利く事は無い。
ならば、敵の砲撃の死角である至近にまで詰め寄り、かつ巨体を以て圧し潰されないように立ち回るのが最善手なのだ。
「ッ……!!! 策は……策はあるんだろうなぁ!!」
「当然だ。恐らく、こちらが勝っているのは機動力のみ。食らい付いて翻弄しろ」
「無茶苦茶言いやがるぜ畜生ッ……!! やってやらァッ!!!」
驚愕に驚愕を重ねるフリーディア達だったが、ロロニアは持ち前の胆力で一足早く正気に戻ると、固く歯を食いしばりながら怒鳴るように問いを発した。
しかしその手は既に動力を御するレバーを引いており、テミスが答えを返す頃には、船はうなりをあげて前へと進み始めていた。
「テミス!! 流石に無茶が過ぎるわ!? こんな大きなモノ……いくら貴女でも……!!」
「さて……どうだろうな? 全力で撃てば多少切り裂く事程度ならばできるだろうがな。なにせこれほどの厚みだ。両断できるかはわからん」
「……その口ぶりだと。大きさだけなら、これ程の大きさのものを斬った事があるように聞こえるのだが……?」
「あぁ、少し前にな。まぁ、多少こちらの方が大きいやもしれんが、ここまで来ると最早大き過ぎてさほど変わるまい」
顔を青ざめさせて叫ぶフリーディアに、クスリと唇を歪めたテミスは肩を竦めながら静かな声で応ずる。
その答えに、ユナリアスが引き攣った笑いを浮かべて首を傾げると、テミスは脳裏にゲルベットで戦った巨大な黒い騎士を思い浮かべながら頷きを返した。
ともすれば、いくら巨きかろうと船は船。月光斬を以て喫水している際を狙えば、容易く沈められる可能性はある。
しかし敵とて船が船たる弱点は把握しているはずで。
たとえ船底近くに穴を穿とうとも、その先には十重二十重に対抗策が用意されているはずだ。
「交叉するぞッ!! 旋回して並走する!!」
テミスがそう考えを巡らせている間にも、二つの船の間に在った距離はみるみるうちに縮まり、ロロニアの怒声と同時にすれ違う。
まさに手を伸ばせば触れられるほどの距離で疾駆する敵の船の装甲は見るからに重厚で、聳え立つ壁の如きその重圧に、誰もがごくりと生唾を呑み下した。
「フッ……ともあれ。あれこれと考えてばかりいても仕方が無い……か。一つづつ試していくとしよう」
「……ッ!?」
「ふっ……!!」
そんな、圧し潰されてしまいそうなほど重たく苦しい絶望感の中。
テミスはおもむろに船の端へ向けて歩を進めながら、シャリンと涼し気な音を奏でて背負った大剣を抜き放つと、未だ傍らを駆け抜けていく最中の敵船の装甲に向けて、短い呼気と共に横薙ぎに刃を振るったのだった。




