17話 正義(アクマ)が目覚めた日
血のような朝焼けの光が街道を照らす中、冷たい早朝の空気を切り裂くように3頭の馬が疾駆している。
「隊長! 様子が妙です!」
「見れば解る!」
背後から叫ぶマグヌスの声に、テミスは焦燥と苛立ちを込めて叫び返した。
眼前には、少し前に後にしたファントの町の城壁。その奥から尋常ではない量の白い煙と怒号、そして悲鳴が聞こえてくる。少なくとも、戦闘が始まったばかりという訳ではなさそうだ。
「襲撃は朝方ではなかったのかっ! まだ夜が明けて間もないぞ!」
吐き捨てるように叫ぶと馬の横腹を蹴り上げ、さらに加速させる。
「隊長。これを」
「なんだ!」
「通信機です、必要ないかと思いましたが、この状況は」
「貸せっ!」
テミスはマグヌスの手からひったくるようにして装置を奪い取る。ヘッドホンのような形をしたそれを首に付け、辛抱たまらず怒声を上げた。
「こちら、魔王軍第十三独立先遣隊! 応答せよ! 現在の状況はっ?」
しかし、ヘッドホンから流れてくるのはノイズばかりで、一向に応答がない。
「クソッ……自分の目で見た方が早い! 続け!」
「隊長。敵の規模も状況も不明。一度引き返して――」
「黙れっ! こんなものを見せられておめおめと引き返せるか。怖いのならば帰っていいぞ」
テミスは進言するマグヌスをひと睨みして怒鳴りつけると、馬の背に身を伏せて速度をあげる。
「なん……だ、これ……は?」
門を抜けて見えたものは、地獄のような惨状だった。建物は崩壊し、至る所から火の手が上がっている。
「キャァアアアッ! や、やめっ……助けてっ!」
「っ!」
突如あがった悲鳴に身構えると、人間軍と思わしき数人の兵士が、下品な笑みを浮かべながら一人の女を追い回しているところだった。その顔に見覚えは無いが、普段着を着ている事を見るとこの町の住人なのだろう。
「略奪に、凌辱……やってくれるっ!」
バキリッ。と奥歯が音を立てた。目の前では、ニチャァ……という擬音でも聞こえてきそうなくらいまで笑みを広げた兵士が、泣き叫ぶ女の肩を掴み地面へと組み倒している。
「……それが、お前達の答えか」
ヘルムの中でボソリと呟いた言葉が反響し、驚くほど冷たい殺意を帯びたそれが耳を通って脳へと還ってきた。
「……隊長ッ!」
テミスが怒りと絶望にに打ち震えている間に、女を追いかけまわしていた兵士達は組み伏せた女の周囲に輪を作り始め、隣のマグヌスが焦れたように声を上げた。
「動くな。私がやる」
テミスは馬から跳び降りると、冷たい声でマグヌス達に一言だけそう命じる。そして、おもむろに瓦礫を拾い上げ、ゆっくりと3体の野獣と化した兵士たちの方へ歩み寄る。
――今にもその欲望が女へと襲い掛かろうとした時。
「ハァッ!」
テミスは烈覇の叫びと共に、手に持っていた瓦礫をショートソードに変えて、兵士の一人へと投げつけた。緩く弧を描いて飛んだショートソードは、吸い込まれるように兵士の肩口へと突き刺さる。
「なぁっ……クソッ残敵か!」
苦痛の悲鳴を上げながら肩に刺さった剣を押さえて転がる兵士を尻目に、残った二人が弾かれたように立ち上がって抜剣した。
「楽には殺さんぞ畜生共」
奇襲を受けた時の対処法か、はたまた生存本能か。幸運にもテミスの初撃を逃れた二人は数歩下がり、ゆっくり左右へ分かれると前進を続けるテミスの出方を窺っていた。
「フン……」
「なっ……ぎゃぁぁぁあああああああっッッ……あしぃ……足ッがぁぁぁぁっ!」
テミスはそれを鼻で嗤うと、二人から顔を逸らして背負った大剣を地面へ、初撃で倒した兵士の足へと突き立てる。直後。凄まじい悲鳴と共に、噴水のように吹き出た返り血がテミスの脚甲を濡らした。
「っ……な、何を……」
「どうもこうも無い。お前達がそこの女にしたように、私も趣味に走ろうかと思ってな」
自らを挟んで対峙する強大な暴力に腰を抜かし、動く事のできない女の向こう側から兵士の舌打ちが聞こえる。
だが、そんな事はどうでもいい。
「どうだ? 奪われる側に回った気分は」
テミスはそう問いかけながら、悲鳴を上げてのたうち回る兵士を足で押さえつけ、その肩口に刺さったショートソードを無造作に引き抜いた。
「がぁっ……あぐ……やめっ、助け――」
「おや……? 似たような台詞をごく最近聞いた気がするな? あれは確か……兵士に追い回される女のものだったか?」
苦悶の声を漏らしながら命乞いをする足元の兵士の耳に顔を寄せて、彼にとって絶望であろう言葉を囁いてやる。
「ひぐっ……」
「あいつっ、怪我人にまで……止めろォッ!」
足元の兵士の顔が絶望の色に染まると同時に、身勝手な怒りを乗せた咆哮が背後から聞こえる。
「では……さらばだ。後悔して死ね」
テミスは引き抜いたショートソードを兵士の首へと突き立てると、体を巻き込むように横回転させて背中の大剣を抜き放って背後を薙ぐ。
「えぁっ……?」
剣閃の先で、間抜けな声を上げた兵士の体が、血飛沫のカーテンと共に銅を両断されて、ショートソードを突き立てられた兵士の遺体の左右に叩きつけられた。
「む……しまった。全員殺してしまっては現状が聞き出せん」
テミスはそう呟くと、ゆっくりと立ち上がりながら血に濡れた大剣を肩に担いで、じわじわと広がっている血だまりから外へ出る。
「舐、めるなァ!」
そのまま恐怖に凍り付いた表情でこちらを見ている女へ近づいていくと、背後から叫び声と共に風を切る音が聞こえてきた。
「別に、舐めてなどいないさ」
正確に首へと叩き込まれた一撃を空いている左手を軽く上げて防ぐ。奇襲するときに叫ぶなんて、何を考えているんだこいつは?
獲物を受け止めた腕の隙間から様子を見ると、その背中には大きな箱のようなものが背負われている。
つまり、一人遅れて現場に辿り着き、不意を突こうと考えた訳か。まぁ、何にせよ今の私にとっては都合がいい。
「ちょうど良かった、司令官は何処だ?」
「お、教える訳が無いだろう! 部隊は壊滅! 至急援軍を頼む!」
軽く左手を押しやって小ぶりのダガーを押し返し、数歩の距離を取る。その問いに兵士は叫び返すと、兵士は自分の手の中に増援を請う文句を叫んだ。背中の箱と併せ見るに、こいつは通信兵なのだろう。
「重い通信機を背負ってまで婦女子と鬼ごっことは、よほど欲求不満らしいな」
「だ、黙れ汚らわしい魔族め! 一人で何ができるっ! 今に仲間が来て――」
青ざめた顔でダガーを構えて叫ぶ兵士の顔が凍り付く。その視線は私を通り越してその後ろ、僅か上方に向けられていた。
「隊長」
「む」
背後から聞こえた声に振り返ると、マグヌスとサキュドがそれぞれ、指示を仰ぐように馬上からこちらを見ていた。
テミスにとってこの程度の相手は、逃げるにしても切り付けて来るにしても、視界に入れておく必要すらなかった。
「東西に散会して町に入り込んだ害獣を始末しろ。一人残らずだ」
「了解」
「待て」
テミスは指令を下した視界の端で、サキュドの口角が吊り上がるの捕らえ、急いで命令を追加する。
「魔族・人間問わず、町の者を傷付けることを禁ずる。また、助けを求める者が居れば手を貸してやれ」
「了解」 「……了解」
追加の命令に無表情で頷くマグヌスと、口角を下げてわかりやすく不満気なサキュド。こいつらを指揮するのはやたらと骨が折れそうだ。
「急いでいるんだ、情報を喋らないなら用は無い。死ね」
テミスは走り去るマグヌス達を見送ると、先ほどから背中に無駄に押し付けられるダガーを振り払い、振り返りざまに真後ろで踏ん張っている兵の鳩尾に拳を叩き込んだ。
「げあっ……」
拳を受けた兵士は体をくの字に折り曲げて苦悶の声をあげると、地面に倒れ伏した後、数回体を痙攣させてそのまま動かなくなる。
「さてと……」
テミスは気だるげに呟きながら、足元に取り落とされたダガーで持ち主の首を掻き切ると、体を起こして再び周囲を見渡す。
「あの追われていた女は……」
探す間もなく、テミスは少し離れた位置に腰を抜かした女性を発見し、大剣を背負いなおしながら近付き、しゃがみこんで問いかける。
「私は魔王軍第十三独立先遣隊の隊長だ、今の状況が知りたい。知っている事を教えてくれないか?」
「は、はぃぃ……朝方でしょうか、まだ寝ていたので日は出ていなかったと思います。急にドカーンって、大きな音がして……」
女性は恐怖に体を震わせながら、必死な様子で説明を始める。剣を持った敵軍の兵士に追われたのだ、恐怖冷めやらぬというやつなのだろう。
「夜襲か……敵の規模や今の状況は?」
「街の中は敵の兵隊でいっぱいです。あいつら、お店の物とったり、女の人を捕まえたり……」
「チッ……」
「ひぃっ……ごめんなさいごめんなさい」
敵兵の愚劣さに舌打ちをすると、何故か目の前の女性が悲鳴を上げて頭を下げながら謝り始めた。
「いや、何故謝る……情報感謝する。安全な所まで避難できるか?」
聞く限りの状況は最悪。下手をすれば、マーサ達はもう敵の手に落ちている可能性もある。テミスが焦る気持ちを押し殺しながら女性に問いかけると、女性は恐々と頷いた。
「安心しろ、この町を滅茶苦茶にした連中は、一人残らず地獄へ送ってくれる」
テミスは、少しでも気を抜けば、怒りで沸騰しそうになる心を押さえつけながら女性に頷くと、再び馬に跨ると馬を走らせる。先ほどの通信を受けて向かってくる連中が居れば始末しなければならない。
「集結! 集結ゥ! こいつらは上級魔族だ! 一気に叩いて殺せェ!」
遠くから、悲鳴と怒号に混じり、サキュドが高笑いする声が聞こえてくる。あの余裕っぷりからすると、少なくともサキュドの前には、私が相手をすべき冒険将校は居ないらしい。
「退けぇっ!」
テミスは立ち塞がる雑兵に蹄鉄の一撃を叩き込んで一喝し、随伴していた兵達を大剣で切り飛ばす。通った後の道に兵士たちの死体を並べながら、マーサの宿屋へと急ぐのだった。