1830話 砲声無き浸透
一方。
ヴェネルティ連合が一国、ヴェネトレア公国に属する港町ヴェルンでは、突如として襲来したロロニアの船に対して、駐留軍は消極的な防衛行動に移っていた。
彼等としても、白翼騎士団の旗を掲げた船である事から、一応は敵の船ではあるのだろうが、護衛の船すら連れずたった一隻であるが故に脅威とは判断せず、また掲げられた団旗から使者である可能性も鑑みての判断だった。
故に、町の住民への影響も鑑みて警鐘が打ち鳴らされる事は無く、伝令兵の呼びかけによって集められた駐留兵たちの間にも弛緩した空気が満ちており、軍港から出撃する戦艦もごく少数に絞られた。
「あ~……ツイてねぇ……。なんで俺達が……」
「そう腐るなって。あの白翼騎士団だぜ? もしかしたら、噂の団長を一目見られるかもしれないだろ?」
「ンな訳あるかよ。白翼騎士団っつっても、こんな所まで来るなんざ下っ端の役割だっての」
「そいつはわからねぇぜ? なにせ、お上からしてみりゃ、俺達がやっているのは正義のための戦争だ。釈明の使者を出すってんなら、あちらさんの国が持つ最強の騎士団を率いる団長くらい寄越すかもしれねぇ」
「ハン……馬鹿馬鹿しい。無駄な事だろ。どう考えてもよ。いくら綺麗事抜かそうが、俺達が戦争を吹っかけたことに変わりはねぇんだからよ」
「っ……!! おいッ……! 声が大きいぞ!! もし上官に聞かれでもしたら流石にやべぇ」
だからこそ。なのだろう。
出撃する艦船の甲板では、士気の低い兵達が配置にすら就く事なく、豆粒ほどの大きさに映るロロニアの船を眺めながら、盛大に愚痴を零していた。
それほどまでに、彼等の優勢は揺るぎの無いもので。
加えて誰もが、先に出た侵攻艦隊が敗北を喫するなどとは微塵も考えてはおらず、出撃する艦艇の間に漂っていたのは、戦闘に赴く緊張感というよりも事務処理を押し付けられた者達に近い倦怠感だった。
ただその感覚が続くのも、ロロニアの後ろに続く大艦隊を視認できる、沖へと達するその時までなのだが。
「ン……待て。なぁ、アレなんだ?」
「急にどうした? 今更、真面目腐った声を出しても遅いぜ? っ……! まさか本当に上官――ッ!!?」
「ちげぇよ馬鹿!! 敵艦の後ろに微かに見える……ありゃあ何だ?」
「……? 敵艦の後ろ? ……本当だ。陽の光が邪魔で良く見えないけれど、確かに幾つか影みたいなものが見える気がする」
「……なぁ。まさか、だ。あり得ねぇとは俺もわかっちゃいるんだけどよ」
駐留艦隊の者達の視界の中に、微かながらも必死でロロニアの船を追跡する侵攻艦隊の影が映り始めると、甲板で怠けていた兵の一人が冗談交じりに口を開きかける。
しかし、蔓延した慢心の所為か、はたまた視界の奥に映り始めた謎の影に注視しすぎた所為か。
彼等は見落としていたのだ。
豆粒ほどの大きさに映る敵の船。そこから、更に小さな複数の何かが、既に飛び立っていた事を。
「なんだよ急に改まって。気持ちの悪い奴だな。さっさと言えって」
「うるせぇ! ただよ。もしも……だ。あの敵船が、攻めて来たんだとしたら……」
「……。ぶっ……!! ははははははは!!! なんだよソレ!! 無い無い! あり得ねぇっての! たった一隻で何ができるってんだ!! まさか、久々の戦いだからって怖くなったんじゃねぇだろうな?」
「っ……! 笑うんじゃねぇ!! だからあり得ねぇかもって言っただろうが!! ただ何つーか、嫌な予感がしただけだよ!!」
口ごもりながら言葉を続けた兵士の言に、軽口を叩いていた傍らの兵が腹を抱えて大爆笑を始めた時だった。
――カツン! と。
甲板に何かが落ちたかのような軽い音を響かせて、兵士たちの後ろに小さな人影が着地する。
そして。
「あら。アタシは中々イイ線いっていると思うわよ? その予感」
「……っ!! 誰だッ……!!!」
「……!?」
クスクスと蕩けるような笑い声と共に、殺気に満ちた少女の声が響くと、予感を的中させた兵士が怒号をあげる。
遅れて、予感を笑い飛ばしていた兵士も身構え、声が響く元へと視線を向けると、そこには紅い槍を携えた一人の少女が佇んでいて。
「こんばんは。正解を報せに来たわよ? さぁ……遊びましょうか」
嗜虐的な笑みを浮かべた少女は、不気味に嗤い声を響かせながら手にした紅槍をクルリと回すと、眼前で身構える二人の兵士へとその穂先を突き付けた。
だが悲しいかな、この船で砲手を担っている二人の兵士の腰に戦う為の剣は無く、せいぜい身につけている武装といえば、たった一本の短いナイフだけだった。
「……お上の詭弁は本当だったらしい。行きなよ。敵の侵入……一級警報だ。笑い飛ばして悪かった。コイツは俺が引き受ける」
「っ……! 死ぬんじゃあねぇぞ!!」
到底敵うはずも無い。
少女のような見た目とは裏腹に、途方もなく濃密な殺気を燻らせるサキュドを前に、二人の兵士は瞬時にそう判断すると、二手に分かれて行動を始めた。
一人の兵士は短い言葉を残してサキュドに背を向けると脱兎の如く駆け出し、残った兵士が行く手を阻むかの事無前へと立ち塞がる。
「あはァっ……!! ……っと。いけない。本当なら愉しみたいけれど、手早く終わらせなくちゃ」
「何を訳の分からない事を――ッ!!?」
そんな兵士を前に、サキュドは歓喜の笑いをあげたものの、すぐに冷静さを取り戻すと、叫びと共に飛び掛かった兵士を一薙ぎであしらい、即座に逃げた兵士の後を追ったのだった。




