1829話 夕焼けと共に
パラディウム砦の包囲突破から約四時間後。
テミス達を乗せたロロニアの船は、ヴェネルティ連合のパラディウム砦襲撃部隊をその背に食らい付かせたまま、対岸の港町へと肉薄していた。
無論。テミス達がその気になれば、後続の艦隊など容易く振り切ることはできた。
だが、そもそもテミス達がここまで撃って出てきた目的は、砦に残った友軍が安全に脱出する隙を作る為。
故に、襲撃艦隊をここまで引きずり込んだ時点で、既に半ば目的は達成されているのだ。
「……ホゥ。遠目だが、随分と街並みが違うな。元が同じ国とは思えん」
時刻は夕暮れに差し掛からんとしている頃。
開戦からこれまで、未だロンヴァルディアに一度として攻め込まれていない町は、戦時である事を忘却してしまったかのごとく穏やかで。
テミスは遠景に広がる街並みを見据えて頬を緩めると、溜息まじりに感想を零した。
「それはそうよ。私たちが袂を分かってから長い時間が経っているもの。習慣も様式も変わっていて当たり前だわ?」
「できるのならば、このまま観光と洒落込みたい所だが……。今回ばかりはどうやらそうもいかんらしい」
「……理解はしていたつもりだけれど、思っていたよりもずっと変わり者みたいだね、貴女は。私たちにとっても、貴女にとってもここは紛れもない敵国の筈。まさか、そんな感想が出て来るとは」
追跡戦の最中とは思えない程に落ち着いた雰囲気の中。
傍らに並び立つフリーディアが苦笑を零すが、それを歯牙にもかける事無く独白を続けるテミスに、ユナリアスもまた言葉を添えながらフリーディアに倣う。
この町が、ヴェネルティ連合に属する国の何処で、何と呼称されている町なのかすらわからない。
けれど。何処か、かつてアーサーが支配していたヤマトの街並みを彷彿とさせる、白を基調とした美しく煌びやかな街並みは、異国ながらもどことなく繋がりを感じさせた。
「……すっかり忘れていたけれど、貴女は元々旅人だったわね。初めて訪れる場所なら、興味を惹かれるのも頷けるわ?」
「おぉ……! そうだったのか……!! それは是非、各地の冒険譚など聞かせて貰いたいものだ! かつては私も旅人を志した身ではあるのだが、恥ずかしながら学院を卒業してからフォローダを離れていなくてね」
「チッ……。あぁ、食事に風習、周辺の魔物や植生なども興味が惹かれるとも。あ~……ユナリアスも、機会があればそのうちな」
そんなテミスに、悪戯っぽい笑みを浮かべて告げるフリーディアの言葉を聞くと、ユナリアスは途端に目を輝かせて声を昂らせる。
フリーディアとて、多くの冒険者将校を要するロンヴァルディアの王族。テミスがはじめて出会った折に名乗った『旅人』という方便など、とうの昔に看破しているはずだ。
だからこそ、フリーディアは皮肉気で意味深な笑みを浮かべて、今も尚テミスに視線を向けているのだろうが……。
「オイ! アンタ等! 随分と暢気にお喋りしているけどよォ!! これからどうすンだッ!!? このままじゃ挟まれちまうぞ!!」
「そうね。陽動の目的は十分に果たしたわ。予定通りなら今頃、あちらもフォローダに到着している筈よね。なら後は、集められるだけ情報を集めて帰還しましょう」
「…………。クク……威力偵察だな。承った。伝達。サキュドとコルカに準備をしろと伝えろ」
「えぇっ……!? ちょっと!! 何を勝手な命令をッ……!!」
「ハァ……」
締まりのない雑談に花を咲かせるテミス達に、舵を繰るロロニアが怒号まじりの問いを叩き付けると、フリーディアはコクリと頷いてから返事を返した。
似つかわしくない戦略を執っても、フリーディアの目的はあくまでも陽動。
故に、その命の意図するところは敵の鼻先を掠めて転回し、帰路に就く事なのだろう。
だが。意図を理解しながらもテミスは喉を鳴らして嗤いを零すと、敢えて曲解した命令を自らの旗下へと下した。
当然。それを黙って見過ごすフリーディアではなく、すぐに気炎を上げてテミスを睨み付けるが、叫びかけた抗議の言葉は溜息と共に放たれた鋭いテミスの眼光によって押し込められる。
「馬鹿なのか? お前は。我々は観光に来た訳ではないのだろう? ここまで来ておいて何もせずに帰るだと? 少しは思い切りのいい指揮を取るようになったものだ……と感心した私の感動を返してもらいたいな」
「そんな皮肉は要らないわ! そもそも威力偵察って……目標は? まさか町を焼くつもりじゃないでしょうね!?」
「っ……! おいおい、何を言い出すかと思えば。我々をロンヴァルディアのような、略奪を是とする節操のないクズ共と同列にしてくれるなよ? 悪いがいつかのファントとは違って、この町の観光案内は引き受けかねるんでな。目標などじきにあちらから教えてくれるさ」
テミスの挑発に対して、フリーディアは怒りを以てテミスの威圧を打ち破ると、そのままテミスの肩を掴んで語気を荒げた。
しかしテミスは放たれた言葉にピクリと眉を跳ねさせた後、バシリと荒々しくフリーディアの手を払うと、抑え込んだ怒りに表情を歪めながら特大の皮肉を叩き付ける。
そして。
「ロロニア。町へ向けてそのまま前進。行きがけの駄賃だ。軍港を焼くぞ」
「ッ……!!! アンタって奴ァ……。了解だッ!!」
コツリと足音を立ててロロニアの傍らへと歩み寄ったテミスは、ニンマリと凶悪な笑みを湛えて囁くように進路を告げた。
そんなテミスを、ロロニアは引き攣った笑みを浮かべて振り返った後、ぎしりと操舵倫を握り直して威勢のいい声を上げたのだった。




