1828話 逆襲逆転
ヴェネルティ艦隊の包囲を突破したテミス達の船に、運良く生き残ったヴェネルティの兵士達は驚愕を覚えながらも、何処か胸の内に安堵を覚えていた。
たった一隻で百を超えるこちらの戦艦を沈めた化け物。
或いは、前に立ち塞がった船を尽く消滅させる新兵器を積んだ、ロンヴァルディアの切り札。
個々人の間に僅かな差異はあれど、概ねヴェネルティ連合の兵達のロロニアの船に対する認識はこの辺りに一致しており、いくら大義を掲げて出撃した兵たちとはいえ、勝ち目の無い戦いに挑もうとする者は一人として居なかった。
故に。
甚大な損害こそ出したものの、ひとまず自分達は生き残った。
加えて、あの船がここで退いてくれるのならば、要所であるパラディウム砦を奪取する事にも成功したと見て間違い無いだろう。
戦果としては満点とは言えないものの、及第点には十二分。戦いは終わった。生き延びた。
そんな思いが、ヴェネルティ連合の兵達の心を満たしつつあった。
だが……。
「おい……待て……。なぁ……アレ……おかしくねぇか?」
瞬く間に大砲の射程圏をも越えて駆け抜けた後、突如として速度を落としたロロニア達の船に、一人の兵士が震える声で呟きを漏らす。
嘘だ。あり得ない。気付いてはいけない。口にするな。気のせいだ。
違和感が口を突いて出て尚、兵士は必死で自分に言い聞かせたものの時は既に遅く、一度覚えてしまった違和感は次第に確信へと変わっていった。
それはあまりにも単純で、一目見れば誰でも気付くであろう眼前の事実。
だからこそ、ひとしずくの気付きは瞬く間に伝播していき、全く同じ現象がヴェネルティ連合に属する船のそこかしこで巻き起こる。
「はは……馬鹿言うなよ。だって……なぁ?」
「あぁ。あり得ねえ。幾らなんでもまさかだぜ」
「全くだ。無茶苦茶にも程がある。……勘弁してくれよ」
気付いてしまった兵士たちがまず真っ先に行ったのは、互いに顔を見合わせながら乾いた笑みを浮かべて、軽口を叩き合う事だった。
それはまさしく、現実逃避以外の何物でもなかったのだが。一度見出してしまった希望を根底から覆す残酷な事実を前に、誰もがそうせずには居られなかったのだ。
けれど。現実逃避は逆に自分の感じてしまった一抹の予感と同じものを、隣に立つ同胞たちが抱えている事を如実に表していて。
信じたくも無い現実から逃げた結果。ヴェネルティの兵達は、自分達で逃れたはずの現実へと突き進んでしまった。
「嘘だろ……オイ。冗談じゃねぇぞ……」
「だってよぉ……単艦じゃねぇか。持たねぇよ常識的に。魔石が尽きちまう」
そこから先。
引き攣った苦笑いを浮かべた兵士たちの表情が、鬼気迫るものへと変わっていくのにさほど時間はかからなかった。
兵士とはいえ、彼等もまた人の子。
故郷に家族を残してきた者も居れば、絆を育んだ友人も居る。
これまでの彼等は、あくまでもロンヴァルディアを攻める侵略者という立場だった。
だからこそ、憐憫が頭の片隅を過る事があったとしても、深く考える事はしなかったのだろう。或いは、職務であるが故にと無理やり忘れ去っていたのかもしれない。
だが、ロロニアの船の船首が、帰還するはずの西……つまりはロンヴァルディアに戻る方向ではなく、逆に自分達の国が在る東へ向けられた。
瞬間。彼等は侵略者という立場から一転、自分の国を、大切な家族や友人を守る守護者へと姿を変えたのだ。
「っ……!!! もしもあんなヤツが町まで辿り着いちまったら……」
ゴクリ……と。
事実に気が付いてしまった兵士たちの間で生唾を呑み下す音が響き、ヴェネルティ連合に属する船のそこかしこで、緊張に満ちた重苦しい雰囲気が立ち込め始める中。
堪え切れなかった一人の兵士が遂に、掠れた声で呟きを漏らした。
眼前に在るのは、たった一隻で自分達を尽く蹂躙した悪魔の船。
そんな船が自分達の町まで辿り着いてしまえば、如何なる惨事が巻き起こるかなど想像するのは簡単で。
兵士達は背筋を駆け抜ける悪寒にぶるりと身を震わせながら、祈るような気持ちで速度を落としたロロニアの船に食い入るように注目した。
そして訪れた静寂の後。
ロロニアの船が、船首をヴェネルティ連合へと向けたまま、再び加速を始めた瞬間。
「追えェェェェェェェッッッッ!!!! 狙いは本国だッ!!! 行かせたら駄目だッ!!! 沈めろッ!! あの船を沈めろォォォォッッ!!!」
ヴェネルティの兵士達は口々に叫びをあげると、ある者は必死の形相で危機を叫びながら自らの配置へと駆け込み、ある者は時刻に迫った危機を報せるべく、指揮官の元へと飛び込んだ。
然して。
テミス達の乗ったロロニアの船は、パラディウム砦を急襲していたヴェネルティ連合の艦隊を引き連れる形で、東へと猛進し始めたのだった。




