1826話 秘めたる怒り
カンカンカンカンッ!! と。
出港を知らせる鐘の音を響かせながら、港の中に停泊していたロロニアの船がゆっくりと回頭する。
無論。今は動くことのできる船が居ないこの状況で、本来は事故を防ぐ為に存在するこの鐘を打ち鳴らす必要など無く、これはテミスたちから港を包囲しているヴェネルティ軍に対する宣戦布告に等しかった。
「出港だ!! テメェ等! 命が惜しい奴ァ今すぐに船を降りろ!!」
舵を握るロロニアが威勢の良い声を発する傍らで、テミスは静かに腕組みをしたまま前を見据えていた。
「おい! 最後の確認だ! この距離じゃすぐに止まることは出来ねぇ。本当に……お前を信じて良いんだな!?」
「…………。あぁ……」
怒声に似た叫び声でロロニアが問うと、テミスはロロニアに視線を向けず、頷きと共に短く返す。
その、戦いを前にしてなお微塵も昂りを感じさせない静かな態度に、ロロニアは思わず眉を顰める。
だが、ロロニアがさらに問いを重ねるべく口を開きかけた時。
こつりと足音を響かせて、ロロニアの隣に歩み寄ったフリーディアが、まるでそれを制するかの如く穏やかに口を開く。
「大丈夫よ。心配ないわ」
「っ……! だがよぉ……!」
「アレは真剣に集中しているところ。邪魔をしてはいけないわ。あんな姿、本当に珍しいわ」
「ほぉ……それは僥倖だ。うむ……確かによく見てみれば並々ならぬ気迫を感じる」
「でしょ? 悔しいけれど、あの背中は頼もしく思えるわ」
それでも、ロロニアは抗弁する先をフリーディアへと変えて口を開く。
けれど、フリーディアは何処か嬉しそうに目を細めてテミスを眺めながら、数歩後ろに控え立つユナリアスと共に胸の内を漏らした。
「わかった。そこまで言うんなら信じてやる。なら代わりにアンタに確認させてくれ。奴サンが例の一撃で敵をブチ抜いたとして、進路は東……ヴェネルティ側で良いんだな?」
「えぇ。めいっぱい……敵が自分達の町を焼かれるかも? って思うくらい全速力でお願いするわ。彼等がこの砦にしたようにね」
「ハッ……無茶苦茶だぁ……。だが、了解した。そういう賭けは嫌いじゃねぇ!」
ロロニアの問いに、フリーディアはニヤリと不敵な笑みを浮かべて答えを返すと、自らの内から湧き出る怒りに固く拳を握り締めた。
この砦に来るまで、フリーディアはヴェネルティ連合の者達が抱いた思いを、少しだけ理解できるような気がしていた。
人類の敵たる魔族と戦い、人類の盾の一員たる役割を果たしているのがロンヴァルディアだ。
その為に、ロンヴァルディアは各国から支援金や様々な援助を受けているし、そのお陰もあってこれまで戦い続ける事が出来た。
だが、そんなロンヴァルディアが、ある日突然魔族と戦う手を止めたら?
ともすれば、ロンヴァルディアが魔族へと寝返って自分達に刃を向けようとしているのではないだろうか?
多くの民の命を預かる各国の王や重臣たちの胸の内に、そんな思いが過るのは当然の事だろう。
でも……。
「抵抗の無い相手を一方的に嬲るなんて……許せないッ……!!」
「…………」
まるで胸中に滾る怒りを零すかの如く、フリーディアは眼前に立ち並ぶ敵の船団を睨み付けながら呟いた。
けれど、それを隣で聞いていたユナリアスは意味深に苦笑いを零し、チラリと前に立つテミスへ視線を向ける。
もしもこの言葉を君が耳にしたのなら、きっと馬鹿馬鹿しいと吐き捨てるのだろうな。
自分達の為に憤るフリーディアの隣で、ユナリアスは胸の内でそうテミスへと語り掛ける。
戦争を牛耳る指揮官にとって最も正しいのは、自軍が一方的に敵軍を攻撃することの出来る状況を作り出す事だ。
そうすれば、自分達は傷付く事なく、物資の消耗だけで敵軍を破る事が出来る。
だが、実際そんな状況を作り出す事などほぼ不可能で。
だからこそ、ユナリアスは自身を窮地に追い込んだものの、島を包囲しての艦砲射撃という手段を取った敵の指揮官を責める気にはなれなかった。
「ふふ……これもある種の言い訳なのかもしれないね……」
おもむろに背負った大剣の柄に手を伸ばし、船首へ向けて歩き始めたテミスを眺めながら、ユナリアスはクスリと口角を歪めてひとりごちる。
最新鋭の艦艇を揃え、一方的に攻め込んできた敵の指揮官を責めない。
だから、彼女という凄まじい戦力を持った者の手を借りる自分も責められる謂れは無い。
きっとそう結論付ける事で、今から目の前で起こる大虐殺を……。
「っ……!! はは……。つくづく……嫌になる……」
ユナリアスは達観した理屈で自身の心境を結論付けようとした寸前、高鳴る鼓動に背を押されるようにしてペタリと唇に触れた。
そこに在ったのは、紛れもなく笑顔を形作った己の口角で。
瞬間。
ユナリアスは自分が胸の底に渦巻いていた黒い感情を自覚すると、深いため息を吐いて頭を掻く。
そんなユナリアスの眼前で。
猛々しい雄叫びと共に形作られたテミスの巨大な刃が、眼前の敵を屠るべく放たれたのだった。




