1825話 静寂の軍港
軍港へと戻ったテミス達を出迎えたのは、不気味なほどの静寂だった。
押しては返す波の音、吹き寄せる風の音こそあるものの、放たれる砲撃の音や剣戟を交える音は無く、穏やかな時間だけが横たわっている。
加えて、軍港の入り口に立ち塞がっているはずのロロニアの船もそこに姿は無く、開けた視界の奥には肩を並べる夥しい数の敵船が目視できた。
「っ……! これ……は……?」
「…………」
ロロニアが裏切ったか?
刹那。驚愕に目を見開くフリーディアの傍らで、現前の状況を呑み込んだテミスの脳裏を冷徹な考えが過る。
だが、テミスは言葉を発する事無くかぶりを振ると、即座にその可能性を捨て去った。
もしもやつが裏切るのならば、もっと良いタイミングは幾らでもあったはずだ。
救出部隊と制圧部隊と防衛部隊。確かに、戦力を三つに分けた現状は、裏切るには好機ではあるものの、そこに至るまでの過程で敵が被った損害を鑑みれば、ここまで粘る利点は少ない。
尤も、部隊規模の戦力としてはロンヴァルディアの中でも最強である、黒銀騎団を交えた今の白翼騎士団を屠る価値を、ヴェネルティア側が正しく理解できていれば話は変わって来る訳だが。
「クス……暢気なものだ」
しかし、たとえロロニアは裏切ったとしても、同じ船に乗り込んでいるコルカ達やサキュドが黙ってはいないだろう。
そうなれば必然的に、この軍港内には地獄のような光景が広がっているはずであり、このような静けさに満ちた長閑な雰囲気が満ちている事などあり得ない。
よって、残された可能性はただ一つ。
「っ……!! テミス様!! お帰りなさい!! 砦の方はいかがでしたか?」
不安気に辺りを見渡すフリーディアの反応を愉しみながら、テミスがクスリと微笑みを漏らした時だった。
一行の前に、上空からスタリと軽い着地音を奏でて小さな人影が舞い降りると、人影はテミスへ向けて頭を垂れながら朗らかな声で語り掛けた。
その小さな人影はまさに、つい先ほどまでテミスの視界の端、軍港内に係留されている戦艦の砲台の先で寝そべっていたサキュドだった。
「サキュド! 貴女ッ……!! これはどういう状況なの? ロロニアさんの船はッ!?」
だが、水を向けられたテミスが口を開くよりも先に、フリーディアがサキュドに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄って問い詰める。
けれど、当のサキュドはフリーディアのそこそこ迫力のある詰問にも眉一つ動かす事は無く、意地の悪い笑みを浮かべて、ただ問いかけるようにテミスへと視線を向けた。
「はぁ……ったく……。サキュド。状況説明を」
「ハッ……!!」
恐らくは、新たに戦列に加わるであろうユナリアスへのサキュドなりの牽制と、フリーディアに対するこれまでの憂さ晴らしなのだろう。
便宜上は白翼騎士団として動く以上、テミスたち黒銀騎団はフリーディアの指揮下に収まる形となっている。
しかしそのような姿だけを見せてしまえば、黒銀騎団が白翼騎士団の小間使いであると侮られかねない。ならば最初に一つ、明確にこちらの意思を示しておくべきと考えたのだ。
そうサキュドの意図を介錯したテミスは小さくため息を零すと、鷹揚に頷きを返して策に乗った。
「テミス様のご指示通り、軍港内の制圧は既に完了しています。ならびにロロニアより、撃沈した敵艦によって軍港の入り口が封鎖され、通行不能との報告が。敵もそれを承知したのか、しばらく前より攻撃を止め、一定の距離を保ったまま包囲を維持しています。その時間を利用し、ロロニア達は船の修繕作業を、残った我々は休息に務めながら突入部隊の帰還を待機していた次第です」
「了解した。ご苦労だったサキュド。別命あるまで待機。大仕事が控えている。休息に戻ってくれ」
「はぁい! クスッ……」
テミスの命を受けたサキュドは、姿勢を正した格好のまま、まるで事前に用意していた原稿を読み上げるかの如く、つらつらと報告を述べる。
一通りの報告を聞き終えた後、テミスはサキュドにそれとなくこれからの作戦を伝えた。
そこには、言外にコルカやサキュド旗下の飛行部隊へ伝達する意図も含まれていたものの、全てを承知していると言わんばかりにサキュドは敬礼と共に返答を返した後、ユナリアスとフリーディアに向けて含みのある微笑みを残してから、再び蒼空へ向けて飛び立っていく。
「聞いての通りだフリーディア。計画の変更は必要か?」
「……いいえ。貴女にさえ問題が無いのなら。だけど。私達も休息を取ってから、仕掛けるとしましょう」
「問題無い。元より想像していた事さ。たとえ万全でなくとも、進む道程度切り拓いてみせるとも」
「そ……。なら、ここで一度解散ね。私は、ロロニアさんにこれからの事を伝えて来るから、貴女はしっかりと休んでいて。悪いのだけれど、ユナリアスは私に付き合ってくれるかしら?」
「あ……あぁ……。わかった。ではテミス殿。少し失礼する。また後程」
飛び去ったサキュドを見送った後、テミスは肩を竦めながらフリーディアへと問いかけた。
それに返ってきたフリーディアの答えには、サキュドの意図に気付いているのか、少なくない棘が含まれていたものの更なる追撃は無かった。
続けて、フリーディアは澄ました顔で場を取り仕切ると、一足先に身を翻して立ち去っていく。
そんなフリーディアに遅れて、自身に一礼をしてから後を追ったユナリアスを見送りながら、テミスは思い思いに散って行く騎士達に混じって、不敵な笑みを浮かべていたのだった。




