1823話 貫く理想
「状況は把握したわ。勿論、隠れ港の人たちの事も」
「っ……!」
力強く眠りへと誘う誘惑を断ち切ったテミスを迎えたのは、自信に満ちた表情を浮かべて語るフリーディアの姿だった。
だがその自信は、現状を冷徹に俯瞰するテミスからしてみれば蛮勇にほかならず、テミスは不覚にも情報統制を怠り、眠りこけてしまった自信に臍を噛んだ。
「……お前は、もう少し現実的な人間だと思ったのだがな」
「すまない。救われる身の上である癖に傲慢だとは承知している。だが……戦う力が無いとはいえ、彼等もまた役割が異なるだけ。同じこのパラディウム砦で、厳しい戦いを耐え抜いてきた仲間なのだ。目の前に希望があれば、縋らずには居られなかった」
「貴女ねぇ……ユナリアスに皮肉を言える立場だと思っているの? 救助対象を見棄てて逃げ出そうだなんて正気とは思えない。本来なら厳罰ものよ?」
テミスは腹立ちまぎれに、情報元であろうユナリアスへと冷たい視線を向けて恨み節をぶつけるが、フリーディアはそれを遮るようにテミスへと詰め寄ると、怒りに眉を顰めながら胸元に指を突き付ける。
だが、気合と根性と博愛で何もかも片が付く訳もなく。現実はただ非情なばかりだ。
敵の大艦隊を前に、こちらは一度敗北を喫した残存艦艇にロロニアの船をたった一隻加えたのみ。
ただでさえ脱出すら危ぶまれる状況だというのに、ここから更に非戦闘員の護衛まで抱え込むなど愚の骨頂でしかない。
とはいえ、非戦闘員の存在を知ったフリーディアが、彼等を救わない事を選ぶなど、たとえ天地がひっくり返ったとしてもあり得ないだろう。
つまるところ、既に残された脱出経路は、ただ前に進むしか残されていない訳なのだが。
「ハン……厳罰結構。私はただ、お前が信奉する人道精神に則り、非戦闘員たちの命が最も守られるであろう道を選ぼうとしただけだ」
「馬鹿な事を言わないで!! 彼等をここに残して行けばどんな目に遭うか……想像できない貴女ではないでしょう!! たった今、あなたがその身体で体験した癖に!」
そうと理解していながらも、テミスは冷ややかな目でフリーディアを見据えると、皮肉気に唇を歪めて皮肉を突き付ける。
だが当然、そこへ返ってくるのは怒りに満ちたフリーディアの叫びだった。
「あぁ、そうだな。耐え難い苦痛と恥辱に塗れるやもしれん。だが、命だけは助かる可能性はある」
「何よ! もしかして叩き伏せられて臆したの? 貴女らしくもない! こういった手合いこそ、貴女が最も憎む連中じゃなかったかしらッ!?」
「クス……」
淡々と告げるテミスに、フリーディアが気炎を上げて鋭く睨みを利かせながら言葉を重ねる。
だがその言葉に、テミスはクスリと笑みを深めただけで、すぐに言葉を返す事はしなかった。
そして。
「思い違うなよ? フリーディア。これまで何度も言ったはずだ。私は人助けなど趣味ではない」
「ッ……!!」
「だがその上で、敢えてお前の問いに答えるのなら、その通りさ。徒に戦火を広げ、平穏を侵し、弱者を食い物とする連中には虫唾が走る。だから私はここに居る。そうさ、他人を救いに来たお前とは違うんだよフリーディア」
悪逆は全からく鏖す。
それがテミスの信念であり、決して揺るがぬ行動原理だ。
故にそれを示すが如く、テミスはどろりと濁った昏い瞳でフリーディアの目を睨み返すと、全ての人々を救いたいという彼女の想いをせせら嗤うかのように鼻を鳴らした。
「それにだ。フリーディア。お前こそ、よもや自分の理想に非戦闘員共を殉じさせる気ではないだろうな? 船でこの島を脱出すれば、連中は間違い無く、敵艦を沈めんと容赦なく大砲を放って来るぞ」
「それをさせないための私たちでしょう!!」
「現実を見ろ。我々の船ですら、斬り込むので精いっぱいだったのだ。大勢の非戦闘員を乗せた船などただの的だ。できもしない理想を語るなよ? フリーディア。失敗すれば大勢の人間の命が失われるのだ。今のお前が語ったそれは、誰かを救うためのものでも何でもない。理想に呑まれ、理想を騙るただの大嘘付きだッ!!」
テミスは失望と共に、己が心の底で煮え滾る怒りすらも込めてフリーディアを怒鳴りつけると、深々と盛大に溜息を漏らす。
理想を語り、力を尽くす事は悪ではない。
だが、今テミス達が居るのは戦場。たった一つの判断が、多くの人々の命を左右する。
頑張ったけれどできませんでしたでは済まされないのだ。
けれど、こうして語り聞かせた所で、フリーディアが譲る事は無いのだろう。
ならばいっそ、先に足だけでも潰してしまうか?
そうテミスの脳裏に、新たな腹案が鎌首をもたげた時だった。
「馬鹿にしないで!」
「――ッ!!」
「貴女がそう言うだろうなんて事はお見通しよ!! 今からしっかり説明してあげるから、良く聞いて判断なさいな。貴女が大嘘付きだと言った私の理想が本当に嘘かどうかを。私としては……テミス、凄くあなた好みの作戦だと思うわよ?」
一喝と共にフリーディアはテミスの胸倉を掴み上げると、自信に満ちた笑みを浮かべて堂々と言い放つ。
その笑みは何処か、皮肉気に微笑むテミスのそれとよく似た笑顔なのだった。




