1820話 殺意の在処
最後に残った敵兵の命が絶たれ、戦場には血なまぐさい静寂が訪れていた。
剣を振り上げ続けていたユナリアスも構えを解き、崩れ落ちるようにしてその場に膝を付く。
そんな中。
フリーディアは眉根に皺を寄せて剣を収めてから、ゆっくりとした足取りで壁に背を預けているテミスの側へと歩み寄る。
「…………」
「随分なやられっぷりね。貴女なら、あの男くらいの力量なら簡単に倒せるでしょうに」
「……プッ!! そちらこそ、随分と遅い到着だな? 我々が先行している間、何処かでのんびりと休息でも取っていたか?」
俯いたまま動かないテミスを前に、フリーディアは腰に手を当てて溜息を吐くと、冷ややかな眼差しでテミスを見下ろしながら口を開いた。
それに対してテミスは、口に含んでいた食い千切った肉塊をベシャリと吐き捨てると、血に汚れた唇をニヤリと歪めて皮肉を返す。
「敵が多かったのよ。私は撤退した指揮官を追ってここまで来たの。それに……その様子なら心配する必要は無さそうだから訊くわ。なぜ彼を殺したの? 話は聞いていたのでしょう?」
だが、フリーディアはテミスの軽口を一蹴すると、眉を吊り上げて怒りを露にして問いかける。
投降した捕虜に対する攻撃は決して許される事ではない。
敗北を認める事で己が命を保全するこの高位は、戦争を惨劇ながらもただの殺し合いではなく、人の意志のぶつかり合いに留めている重要なルールなのだ。
「相変わらず頭が緩いな……お前は。下らん戯れ言だ。ここは戦場……敵を殺す事に理由など要るまい」
「でも彼は私たちに投降していた!! 戦いは終わっていたのよ! なのに貴女はッ……!!」
「待ってくれ! フリーディア。君は知らないかもしれないけれど、彼女は――」
「――オイ」
「っ……!! ……彼女は、君が駆け付けるまでの間、奴に嬲られ続けていたんだ! 会話など聞こえているわけがないだろう!!」
「そんな筈は無いわ。ユナリアス。あなたは知らないだろうけれど、彼女の頑丈さは、何度も剣を交えた私がよく知っているもの」
「だったら!! 君は百を超える拳を浴びせられ続けても、意識を正常に保てるというのかい!? 君がそれ以上彼女を糾弾するつもりなら、私はこう証言するよ。確かに、敵が投降したなどという事実は無かった……とね」
「ッ……!! ユナリアス……貴女までッ……!!」
「…………」
テミスを庇うように割って入ってきたユナリアスの言葉を皮切りに、フリーディアの矛先は彼女へと向けられ、二人は語気を荒げて言い争いを始める。
その声を聞きながら、テミスは口の中を染め上げる血の味に顔を顰めつつ、静かに状況を理解し始めた。
朧に霞んだ意識の中。僅かな隙を掻い潜ってこじ開けた活路だと思っていたが、どうやらそれは誤りらしい。
あの時生じた隙はフリーディアの手によるもので。
私をサンドバックの如く甚振ってくれたあの敵兵は、既にその身分を捕虜と変えていたのだ。
「フリ――」
「だったら!! これを見てもまだ君は同じことが言えるかい!?」
「ユナリアス……! 何を……ッ!!?」
事態を把握したテミスが、フリーディアを見上げて口を開きかけた時。
ユナリアスが怒りに駆られた叫びをあげると、突如として事切れて倒れ伏している敵兵の死体を蹴り上げる。
そのあまりに人道から離れた行いに、フリーディアは驚きのあまり叫びをあげるが、直後にカチャリと音を立てて、床の上に零れ落ちた一振りの短剣を見て息を呑んだ。
「君が目を離した一瞬、コイツは懐に手を走らせていた!! 私は確かに見ていた! 解るかい? コイツは投降したふりをしていただけなんだよ!!」
「っ……! そうとは限らないわ! 懐に手を伸ばしたのも、この短剣を棄てる為だったかもしれない!」
「あり得ないね! 始終警戒を解かずに見張っていた私の前で、コイツは懐から手を抜いて手を挙げたんだ! つまり、この短剣の存在を秘匿した! 明らかな敵対行為だ! 武装放棄していなかった以上、彼は捕虜足り得ないよ!」
食い下がるフリーディアに対して、ユナリアスは床の上に転がる短剣を指差して吠えるように断言する。
その言葉を聞いて、テミスは改めて己の間違いを理解した。
確かにあの時、私の意識は薄らいでいた。
反撃に転ずるには余りある怒りと憎しみを抱いていたことも認めよう。
だがそれでも、希釈された意識の中で生まれた隙に即応する事が出来たのは、敵が未だに殺気を捨て去らずにいたお陰なのだろう。
「それとも君は何かい? 私の窮地に駆け付けてくれた彼女を、道理を歪めてでも咎人に仕立て上げたいのかい?」
「そんな事は無いわ!! ただ私は、たとえ敵であっても無暗に命を奪う行為は咎められるべきだと言っているの! それが捕虜なら猶更よ!」
「……ユナリアス。もう放っておけ。自分を狙った殺意にも気付けん馬鹿の戯れ言だ。私は殺気に応じただけに過ぎん」
こいつの意地汚さに救われたな……。と。
テミスはチラリと敵兵の死体に目を向けながら、そう胸の内で密かに零した後、二人の言い争いに決着をつけるべく口を開いたのだった。




