1817話 刹那の重み
残る敵はあと一人。
しかし、テミスの手には既に剣は無く、たった今敵を刺し貫いたばかりのユナリアスは追撃に動く事はできない。
加えて、敵兵も相応の鍛練を積んできた者らしく、仲間の死に動揺している様子はあれど、その手は既に腰の剣へと閃いていた。
「ッ……!!!」
最早手詰まり。
後はもうユナリアスに託すしか無いとは理解していた。そして傷付いたユナリアスでは、その勝算が限りなく低いであろう事も。
だからこそ。
「……ッァァァァァアアアアアアアッッッ!!!!」
「なにっ……!!?」
テミスは突如獣のような雄叫びを上げると、自らを衝き動かす衝動に従って床を蹴り抜くと、身体を支えていたリコの腕から抜け出して敵兵へと突進する。
その突発的な動きは、既に剣を手放したテミスから視線を離し、ユナリアスへ意識を向けていた兵士にとっても想定外のものだったらしく、剣を抜き放ちかけていた身を硬直させた。
一秒にも満たない僅かな時間。
前へと飛び出したテミスは、そのまま全身に力を向けて残った敵兵に向けて突進する。
「ぐっ……コイツッ……!? うぉぉぉッ……!!?」
「がぁあああああああッッッ!!!」
全力の籠ったテミスの突進をまともに受けた敵兵は、驚きの声を上げながら体勢を崩すと、止まることなく突っ込んだテミスに押し倒されるようにして共に床へと倒れ込んだ。
しかし、ただ押し倒しただけで留めるテミスではなく、即座に敵兵の腹の上に馬乗りになって拳を振り上げ、敵兵の顔面へ向けて振り下ろす。
「ぐぁっ……!! やめっ……くそッ……!!」
「っ~~~!!! ユナ……リアスッ……!!」
「わかって――ッ!? なッ……抜けないッ……!?」
けれど、繰り出される拳には敵兵を昏倒させるほどの威力は無く、ばしり、びしりと肉を打つ音が続けて響くものの、敵兵は未だにテミスの下で藻掻いていた。
そしてさらに数発の拳を受けた後、敵兵はテミスの脚に抑え込まれていた腕を力任せに解き放つと、顔の前に構えて容赦なく振り下ろされ続けるテミスの拳を受け始める。
今の自分では、これ以上この兵を押さえておくことはできない。
瞬時にそう判断したテミスは、それでもなお敵兵を殴る手を止める事無く、苦し気に顔を歪めてユナリアスの名を叫んだ。
その声に応じ、ユナリアスは敵兵へと突き立てた己の剣を引き抜くべく身体を捻ったのだが、骨を貫いてしまったせいか刃が素直に抜き放たれる事は無く、酷く重たい手ごたえをユナリアスの腕へと伝える。
「このッ……舐めやがってッ……!!」
「ウッ……!? がぁっ……!!」
ほんの僅かな制止。
剣を留める敵兵から強引に剣を引き抜くべく、ユナリアスは剣の傍らを蹴り抜いて無理矢理に剣を解放する。
だがその間に、怒声と共に反撃に転じた敵兵は、絶えず振り下ろされる拳を自身の腕を以て弾くと、生じた隙を逃さずに腹の上に跨るテミスをものともせずに身体を引き起こした。
そしてその勢いを殺す事無く、今度はテミスの肩を掴んで床に叩き付けると、胸の上に膝を押し付けて組み伏せる。
「っぁ……!! ッ……!!」
当然。押し倒されようとも為すがままにされるテミスではなく、握り締めた拳を敵兵の膝へ、腹へと打ち付けるが、重厚な岩石の如く圧し掛かる敵兵の身体が動く事は無かった。
そこへさらに追い打ちをかけるように、すかさず伸ばされた敵兵の腕がテミスの細い首を鷲掴む。
ぎしぎしと固く首を締め上げられる感覚に、テミスは辛うじて敵兵の手首を掴んで抵抗する事しかできなかった。
だが、僅かとはいえ稼いだ時間は無駄ではなく、刺し貫いた敵兵から剣を抜き放ったユナリアスが、血の滴を飛ばしながらそのまま高々と振り上げる。
だが……。
「おっとそこまでだ。アンタがこっちに来て剣を振り下ろすのが早いか、俺がコイツを殺すのが早いかくらい解るだろう?」
「くぅっ……!!」
テミスを押し倒した敵兵はニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべて、悠然とユナリアスへ向けて言い放った。
その言葉に、剣を振り下ろすべく駆け出していたユナリアスはビタリとその場で動きを止め、戦場に嫌な静寂が訪れる。
「馬鹿がッ……!! 構うなッ……!! そのまま殺れェッ……!!」
「うるせぇよ。すぐに構ってやるからテメェは黙ってろ」
「ぁ……カッ……ッ……!! ク……ソッ……!!」
訪れた僅かな静寂の中。
首を締め上げられながらも絞り出したテミスの声が響くも、怒りの籠った視線を向けた敵兵が手に力を籠めると、テミスは言葉すらも封じられた。
「剣を捨てな。ま、嫌だってんなら今はそれでも良いがよ。コイツを殺されたくなけりゃそこでそのまま見てろ。さぁて……随分と好き勝手やってくれやがって……なァッ!!!」
「ッ……!!!」
剣を振り上げたまま硬直するユナリアスに、敵兵はニンマリと意地の悪い笑みを浮かべて一方的に告げた後、自身の膝の下で目を剥くテミスへと視線を戻す。
そして言い放った言葉と共に、まるで先ほどの仕返しだと言わんばかりに、握り締めた拳をテミスの顔面へと叩き込んだのだった。




