1816話 見敵必殺
極限にまで高まった緊張の中。
テミスとユナリアスは各々に剣を構え、その時を待っていた。
近付いてくる足音は僅かづつではあったものの確実にその大きさを増し、テミス達に敵の接近を知らせている。
「…………」
果たしてこの戦うという選択肢は正解だったのだろうか?
敵の訪れを待ち構える空白の時間の中。テミスの脳裏を一つの疑問が横切っていく。
こちらの手札は私とユナリアスが一撃づつ放つ奇襲のみ。敵の数によっては全滅だ。
ならば、横に薙ぐか? 否。縦に斬り下ろす斬撃とは異なり、横薙ぎの一撃は全身のばねを用いて放つ斬撃。リコに支えて貰わなくてはまともに歩く事さえできない今の身体では、横薙ぎの斬撃を放ったところで敵を倒しきるほどの威力にはなり得ないだろう。
故に。こちらで対応できる敵はただ一人のみ。
ユナリアスの方も、奇襲の形の先制を越え、まともな戦いとなれば同じく勝ちの目は薄いはず。
「……一人一殺か」
呻くように囁いたテミスの声に応ずる者はおらず、掠れた囁き声は固い静寂の中に消えていった。
ユナリアスの話では、戦火は砦全域に及んでいるという。
それだけの規模ならば、確かに敵は部隊を散会させ、少人数での制圧戦を展開している可能性は高い。
だがそれでも。戦いの中で仲間が戦死した、もしくは何かしらのトラブルによってはぐれてしまうといった理由以外で、戦火の中を単独で動く者は少ない。
もしも、それでも単独行動に出る輩が居たのならば、それはよほどの阿呆か、若しくは相応の実力を身に付けている者に他ならない。
それらを踏まえて考えれば、理想の敵数は二名。
二名であればこちらの先手だけで決着をつける事が出来るし、奇襲を防ぎ切るほどの実力を持っている者である可能性は低い。
それ以上でも以下でも危険。
この強行軍が分の悪い賭けであることは自覚していたものの、いざ戦いが目前へと訪れてしまえば、そのあまりの不利にテミスは自嘲気味に笑いを零す。
「ッ……!! 来るぞ……!!」
不調に霞む頭で、テミスがそんな事を考えていた時だった。
抑えられたユナリアスの鋭い囁きにテミスが我に返ると、足音は既に克明になり始めており、敵が間近にまで迫っている事を報せていた。
「……ッ!!!」
事がここに至っては致し方が無い。
敵の接近を知覚したテミスは一瞬の内にそう覚悟を決めると、片手で握り締めた大剣の柄に力を込める。
勝負は一瞬。やることは単純。ただ全力で前へと踏み込み、渾身の一撃を叩き込むだけ。
激しい雨が打ち付けるように響く足音に荒い呼吸音が混じりはじめ、眼前の曲がり角の向こう側に人の気配が色濃く漂う。
そして、固唾を飲んで力を溜めるテミス達の視界の中に、僅かに動く何かが現れた時だった。
「――ッォォォォオオオオオオオオオッッッッ!!!」
渾身の気合が籠った絶叫と共に、テミスは構えた剣の腹を蹴り上げて大剣を振り上げると、眼前に現れた人影へ向けて全力を込めて振り下ろした。
剣が空を裂く風切り音は鈍く、普段のテミスの一撃には及びもつかぬほどに無様で不格好な一撃。
だがそれは紛れもなく、今のテミスに繰り出せる最大最強の一撃で。
「――ッ!!? ウァッ……!?」
眼前に現れた人影は、突如として自らへと向けられた一撃にビクリと身を竦ませたものの、悲鳴をあげる暇すらなく、テミスの放った一撃をその身に受けて唐竹の如く両断される。
しかし、直後。
斬撃を放ったはずのテミスが、自身の掌に一瞬、ずるりと滑る嫌な感触を覚えた刹那、しっかりと握り締めていたはずの大剣の感覚が消え失せた。
テミスの力は自身の想定以上に弱まっており、剣を蹴り上げてまで放った斬撃に握力が耐え切れず、斬撃の途中で大剣がすっぽ抜けたのだ。
「何だッ……!? うぉッわぁッ……!!?」
ガイン! ゴィンッ! と。
テミスの手を離れた大剣は、振るわれた斬撃の威力をそのままに砦の固い床へ打ち付けられ、激しい音を奏でながら不規則に跳ねた。
その先には。
先行する一人の兵に随伴していたらしい兵が二人、状況を呑み込む事が出来ないまま、咄嗟に跳ねた大剣を避けて両脇の壁へと身を寄せている。
「くッ……!!」
だが。
新たな敵が眼前に現れようとも、剣を手放してしまったテミスにできる事は既に無く、ただ悔しげに臍を噛むことしかできなかった。
残る敵は二人。
一人はユナリアスが片付けるとして、あと一人をどうするか。
「ハァァァァッッッ……!!!!」
刹那の内にテミスの思考が加速した傍ら。
僅かにテミスに遅れて放たれたユナリアスの鋭い刺突が、眼前で混乱する一人の兵の胸を深々と貫いたのだった。




