171話 希い、抗う者
「フッ……!!」
「ギッ!?」
ドロシーの刃がテミスに届く直前。テミスが身を翻したかと思うと、ドロシーの顎を凄まじい衝撃が貫いた。視界が明滅し、地面がぐらぐらと揺れる。そんな気持ち悪さを数秒味わった後、ズキズキと鈍い痛みが遅れてやってきた。
「なっ……にがッ……」
反射的に盾を構えたドロシーが歯噛みして、テミスの居た場所を見据える。そこには、大剣をはさんでドロシーと対峙するテミスの姿があった。
「他愛もない」
テミスはニヤリと口角を吊り上げて呟くと、自らの事を見据えるドロシーに目をやった。
確かに大した速さだし、守りも硬い。今、顎を蹴り抜いた感覚からしても、何かしらの強化魔法を付与しているのは間違いないだろう。
――だが。近接戦闘に対しての経験が圧倒的に足りていないのは明らかだ。
先ほどの一撃は万全を期して、地面に突き立てた大剣を軸に跳び上がり、サマーソルトの要領で顎を蹴り抜くなんていう奇策を打ったが、この分では杞憂だったようだ。
例え咄嗟の反撃であったとしても、攻撃に転ずるときに盾を遊ばせておくなど言語道断だ。だと言うのに、ドロシーは盾を構えすらせずに剣を突き出した。予想外の戦い方に驚きはしたが、ドロシーの練度であれば問題は無いだろう。
「下らん。まるで話にならんな? ドロシー」
「っ……!!」
テミスはそう口を開くと、大剣を引き抜いてドロシーを嘲り嗤う。多少ふらついている所を見ると少しばかりのダメージは通ったようだが、やはり何かしらの防御を施していると見るべきだろう。
「基本がまるでなっていない。せっかくの剣と盾が泣いているぞ?」
「うるさいっ!」
「おっと……そんな事もできるのか」
「チィッ……」
挑発に乗ったドロシーが盾を振るうと、その軌跡から弾けるように火球が射出される。しかしテミスは軽くそれをいなすと、余裕の笑みを浮かべてドロシーへと目を向けた。
敵の戦力が解ったのならば、あとは目的を果たすだけ。いかに心を折り砕き、誇りを踏み躙るか……。この女を絶望の底に叩き落としてこそ、ようやく私の気も晴れるというものだろう。
「――っ!!」
「ククッ……どうした? 人間の私が魔法を放つとでも思ったか?」
おもむろにテミスが空いた片手を向けると、素早く反応したドロシーが盾を構えて衝撃に備える。しかし、テミスの手からはなにも放たれる事は無く、結果としてドロシーが一人相撲をしている格好になった。
「このっ――何処まで愚弄すれば――ッッ」
「ハハハッ! 動きが直線的で読みやすい。まるで児戯だな?」
「黙れッ……!」
盾を構えた格好のままドロシーが正面から斬り込むと、テミスはそれをあざ笑うかのように易々と剣を打ち合わせる。
同時に。バヂバヂィッ! と電気が走ったかのような音が鳴り響き、ドロシーの剣が僅かに形を変えて光を散らした。
「このっ!」
「ハハハッ! やはり慣れぬ事をするものではないな? 勢いが落ちてきてるぞ?」
「くっ……っ……!」
剣を打ち合せ、躱し、防ぐ。
しかし激しい剣戟が続くにつれて、ドロシーが盾で攻撃を防ぐ回数が増えていった。
「まだッ――!」
「クハハッ! 逃がす訳が無いだろう!」
「あぐっ――」
後ろに大きく跳んで逃れたドロシーにぴったりと張り付くようにテミスが追い縋る。そして、追撃とばかりに繰り出した剣が僅かにドロシーの肩を掠めた。
――おかしい。テミスの速度が上がっている?
表情を歪ませたドロシーは、目の前で起きている現象が理解できなかった。
強化魔法はまだ切れていない。加速も筋力増強も、ドロシーの体を確かに今も強化していた。
なのに何故……こうも一方的に圧され始めている……?
少なくとも、戦いが始まった時は互角……いや、私の方が圧していたはず。なのに、気が付けばこちらが防戦一方だ。
「……不思議か?」
「なにっ……?」
「不思議か? 初撃で圧倒したにもかかわらず、こうして追い詰められている事が」
「っ……」
テミスに胸中を言い当てられ、ドロシーの表情が僅かに揺らいだ。
テミスはそれを見逃さず、歪めた口角を更に吊り上げて狙い通りに事が運んでいる事を確信した。ドロシーの心は、私への憎しみのみで埋め尽くされていた筈だ。だがこうして追い込み続ける事でその憎しみは保身へと変わりつつある。
憎しみならば、それを叩き折った所で燻ったその思いは再び立ち上がる力となる。ならばそのエネルギーごと消し去ってしまえばいい。
「読みやすいんだよ……お前の動きはな。もう慣れた」
テミスは攻撃の手すら止め、皮肉気な笑みを湛えて言い放ったのだった。
2020/11/23 誤字修正しました